2010年7月6日-1
Bunge哲学辞典:理論
Mario Bunge氏の立場として、システム主義と創発主義と科学主義が挙げられよう。それゆえか、主張が明快である。一つは、定義とともに、それが適用される例が掲げられているからである。
理論という語についても、Bunge (2003)は明快に説く。ここでは、抽象的(形式的)と具体的(解釈的)といった軸が設定されている。
理論 theory [BungeDic2_theory]
仮設演繹的体系[システム]。つまり、一組の前提〔仮定assumption〕とそれらからの論理的帰結から成るシステム。言い換えれば、或る理論のあらゆる式は、前提であるか、一つ以上の前提の妥当な帰結(定理)であるか、のどちらかである。つまり、_T_ ={t|_A_ |ー t}。再び言うと、或る理論は、演繹のもとに閉じた一組の前提である(つまり、公理の論理的帰結のすべてを含んでいる)。たいていの人々は、そして哲学者の何人かでさえも、理論を↑【仮説】と混同する。これは誤りである。なぜなら、理論は、単一の命題ではなくて、無限の組の命題だからである。したがってそれは、単一の仮説を確証したり、あるいは反証することよりも、はるかに困難である。(類推:網は、それを構成する糸のどれよりも強い。よって、作ることも引き裂くことも難しい。)もう一つの重大な混同は、理論と言語との混同である。それは誤りである。なぜなら、理論は主張を作るが、言語は中立だからである。この誤りは、↑【形式主義】の一部であり、形式主義は↑【唯名論】の数学的構成要素である。或る理論は、何とも言いようのないものであれしっかり定義されているものであれ、概念的であれ具体的であれ、なんらかの類kindの対象を指示するかもしれないし、その前提は、真であるか、部分的に真であるか、偽であるか、あるいはどれでもないかもしれない。最初の前提からの論理的な演繹可能性という条件は、理論に対して形式的(統語論的)統一性を授ける。これは、人が理論を(複雑な)個体〔個物〕として扱うことを可能にする。これらの個体は、それらの構成要素(命題)のどれもが持たない、整合性(無矛盾性)といった創発的性質を持つ。例1:集合論、グラフ理論、そしてブール代数は、抽象的な(解釈されない)理論である。例2:数論、ユークリッド幾何学、そして微積分学は、解釈された数学的理論である。例3:古典力学、自然淘汰の理論、そして新古典派のミクロ経済学は、事実的理論である。例ではないもの:『すべてのAはBである』と『すべてのCはDである』いう前提。そこでは、A、B、C、そしてDは、相互に定義可能ではなく、一つのシステムを構成していない。よって、仮説演繹的体系を生成しない。実際、それらを一緒にしても、何の帰結も出てこない。〔20100705試訳〕
Bunge哲学辞典:理論
Mario Bunge氏の立場として、システム主義と創発主義と科学主義が挙げられよう。それゆえか、主張が明快である。一つは、定義とともに、それが適用される例が掲げられているからである。
理論という語についても、Bunge (2003)は明快に説く。ここでは、抽象的(形式的)と具体的(解釈的)といった軸が設定されている。
理論 theory [BungeDic2_theory]
仮設演繹的体系[システム]。つまり、一組の前提〔仮定assumption〕とそれらからの論理的帰結から成るシステム。言い換えれば、或る理論のあらゆる式は、前提であるか、一つ以上の前提の妥当な帰結(定理)であるか、のどちらかである。つまり、_T_ ={t|_A_ |ー t}。再び言うと、或る理論は、演繹のもとに閉じた一組の前提である(つまり、公理の論理的帰結のすべてを含んでいる)。たいていの人々は、そして哲学者の何人かでさえも、理論を↑【仮説】と混同する。これは誤りである。なぜなら、理論は、単一の命題ではなくて、無限の組の命題だからである。したがってそれは、単一の仮説を確証したり、あるいは反証することよりも、はるかに困難である。(類推:網は、それを構成する糸のどれよりも強い。よって、作ることも引き裂くことも難しい。)もう一つの重大な混同は、理論と言語との混同である。それは誤りである。なぜなら、理論は主張を作るが、言語は中立だからである。この誤りは、↑【形式主義】の一部であり、形式主義は↑【唯名論】の数学的構成要素である。或る理論は、何とも言いようのないものであれしっかり定義されているものであれ、概念的であれ具体的であれ、なんらかの類kindの対象を指示するかもしれないし、その前提は、真であるか、部分的に真であるか、偽であるか、あるいはどれでもないかもしれない。最初の前提からの論理的な演繹可能性という条件は、理論に対して形式的(統語論的)統一性を授ける。これは、人が理論を(複雑な)個体〔個物〕として扱うことを可能にする。これらの個体は、それらの構成要素(命題)のどれもが持たない、整合性(無矛盾性)といった創発的性質を持つ。例1:集合論、グラフ理論、そしてブール代数は、抽象的な(解釈されない)理論である。例2:数論、ユークリッド幾何学、そして微積分学は、解釈された数学的理論である。例3:古典力学、自然淘汰の理論、そして新古典派のミクロ経済学は、事実的理論である。例ではないもの:『すべてのAはBである』と『すべてのCはDである』いう前提。そこでは、A、B、C、そしてDは、相互に定義可能ではなく、一つのシステムを構成していない。よって、仮説演繹的体系を生成しない。実際、それらを一緒にしても、何の帰結も出てこない。〔20100705試訳〕