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グローバル資本主義と日本の選択

2011年01月10日 20時32分33秒 | 生命生物生活哲学
2011年1月10日-1
グローバル資本主義と日本の選択


 2011年1月9日読了。
 武者氏の楽観主義的見解ないし処方箋は、幻想となるだろう。
 金子氏は、
  「一九八〇年代後半の社会主義崩壊のときも」(4頁)。
と述べているが、(表現をそのまま受け取って)社会主義が崩壊したのではなく、社会主義を採用していると見られる国が崩壊した、ということであろう。では、社会主義を採用している国はあったのだろうか? あったとしても、少なくとも社会主義ゆえに「崩壊した」わけではないと思う。
 逆に、資本主義ゆえに或る国が「崩壊」することもないだろう。商業至上主義あるいは際限なき金儲け主義ゆえに、国の経済活動が大混乱するとか、また経済体制が崩れるということは、むしろ大いにあるだろう。そのことはすでに一般人にとっても、確証されつつあるのではないか。
 たとえば多国籍企業は、国を渡り歩くのである。しかし本質的には、金 money という抽象的なものが、数字として口座決済されたりして、現実の力を持つこと、そして問題は投機的思惑で人は金を動かすということである。要は、その動きが制御できないという点が問題である。すると解決策の一つは、物物交換的な経済決済システムにすることである。原点に戻れ、である。
 もっとも、文字通りの物物交換ではなく、少しは便利なように、工夫すればよい。というのは一つには、こと的労働があるからである。よって、物事物事交換となる。地域通貨とかの実践から、なんらかの示唆はないだろうか。
 もう一つ。経済を成長させる、のではなく、地域環境的および地球環境的に妥当なまでに、文化的な人間生活が安定して暮らせるように、経済規模をむしろ縮小させることである。とりわけ、無益な競争を止めて、無駄な製造を止めることである。

 グローバル資本主義についての分析や本質的定義がよくわからなかった。

 橘木氏の説く格差問題については、参考になった。本質的なところを、箇条書きで、かつ、(たとえば図解で)構造的に(=相互関係の配置を示すように)表現してもらえるともった良かった。

*金子勝・橘木俊詔・武者陵司.2010.3.グローバル資本主義と日本の選択:富と貧困の拡大のなかで.岩波書店.[ISBN:9784000094795] [y525+]