生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

福島原発事故98:原発リスクと地球温暖化リスク(2)、科学技術のリスク

2011年04月24日 02時21分26秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月24日-2
福島原発事故98:原発リスクと地球温暖化リスク(2)、科学技術のリスク

 1957年10月10日 ウィンズケール〔セラフィールド〕原子力工場事故
 1979年3月28日 スリーマイル島原発事故
 1986年4月26日 チェルノブイリ原発事故
 2005年4月   セラフィールド再処理工場放射能洩れ事故
 2011年3月11日 福島第一原発震災事故

 本の腰巻きに、アメリカ物理学協会科学著作賞受賞とある、原著は1990年に出版で訳書は1997年に出版の『科学技術のリスク』各論14の放射線と原子力から、抜粋する。なお、訳者の宮永一郎氏は、訳者紹介によれば、「〔昭和〕62年原子力安全委員会委員、平成5年退任」とある。(検索すると、2009年11月に亡くなられていた。伊藤直次、宮永さんを偲んで、保健物理, 45(1): 7-8 (2010)。http://www.jstage.jst.go.jp/article/jhps/45/1/45_7/_article。)

  「確率論的リスク評価の技術は原子炉に対して最も進んでいて、重大な原子炉事故の確率をかなりよく計算することができる。この種の《最低線》の評価は大きな不確実さを伴うが、それでも想像だけよりはましである。アメリカの原子炉に村する最近の最善の評価は原子炉・年当たり約一万分の一であり、放射性物質の環境への重大な放出の可能性はその一〇分の一か一〇〇分の一である。この数字を真面目にとると、炉心溶融は現在運転中の一〇〇基あまりの原子炉で一〇〇年毎に一回起ることになるだろう。今世紀が終わるまでに炉心溶融が起るかどうかについては信頼性のある予測方法はない。予測技術の精度はそこまで良くはないからである。おそらくそういうことはないだろうが保証はない。」(ルイス 1990: 204頁)。

  「〔スリーマイル島事故について、〕大統領の委員会〔略〕が問題をかなり整理した。事故は機械の故障から起り、多重のヒューマン・エラーが加わって起ったもので、自信過剰による避けられない結果であった。それまで事故を経験したことのなかった原子力産業は、事故は起り得ないと信じるようになっていたのである。何だか聞いたことがあるような気がしませんか?
   スリーマイル島事故の数年前の一九七五年に、パイオニア的な原子炉の確率論的評価法、いわゆるラスムッセン研究〔略〕が完成していた。いろいろ問題はあるが、炉心溶融事故の原因として最も可能性があるのは過渡現象(最初の給水喪失は過渡現象である)、小LOCA(リリーフ・バルブの漏洩は小LOCAである)、それに人為的ミス(たくさんある)であると正しく結論していた。事故はいろいろな形をとるので、予測はできるが避けがたいものである。しかし、産業界も規制当局も適切に反応しなかった??彼らはこの調査の主要な結論、すなわち、原子炉事故はきわめて起りにくいという結論に喜んでいたからである。〔略〕
   自信過剰や成熟した技術のさまざまな病状に対しての治療法や予防法は、災害にはならないような、よく起る事故で苦い経験をすること以外にはなさそうである。もし確率的調査が事故の確率がゼロでないことを予測し、他にこれを否定する責任ある調査結果がないなら、それは事故は起るということを意味する??唯一有益な質問はそれがいつかということである。このことの認識をあやまると国民の健康と幸福に害を及ぼすことがあるのである。」(ルイス 1990: 206-207頁)。

 
 百万年に一回だとしても、その当たり年は今年かもしれないわけである。いったい、このような安全を評価するという事故確率にはどういう意味があるのだろうか。メカニズム的な評価は無いのだろうか? 


[L]
ルイス,H.W. 1990.(宮永一郎訳 1997.4)科学技術のリスク:原子力・電磁波・化学物質・高速交通.xv+299pp.昭和堂.[Lewis, H.W. 1990. Technological Risk.]


福島原発事故97:原発リスクと地球温暖化リスク(1)

2011年04月24日 02時09分40秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月24日-1
福島原発事故97:原発リスクと地球温暖化リスク(1)

 「福島原発と東北地方太平洋沖地震」を「福島原発事故」に変更し、副題をつけることにする。

 
 卯辰(2010: 56頁)は、原子力技術を利用する際の主な懸念として、次の3つを挙げている。

  1. 原子力事故の際の影響は、広範囲に及び、また世代を超えて長期間残存する。
   例:1979年の米国スリーマイル島(TMI)原発事故と1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故。
  2. 核廃棄物処理・処分技術が確立されておらず、人間への晩発的影響についての知見が未解明である。
  3. 核拡散、核ジャック、テロ等の危険性がある。

 懸念あるいは心配というより、これまでの経験から、他の原子炉についても可能性があると言える。さらに、小さな事故が多く実際に起きていること、また柏崎原発では、まだ3機が再運転していない(むろん、しないほうがよいし、廃炉にすべきである)ことから、かなり深刻なシステム破損があったのではないかと思われることから、日本のどこかで大きな事故が起きることが予想される。そして福島で起きてしまった。
 

 
[U]
卯辰昇.2010.6.原子力技術に対する予防原則の適用.植田和弘・大塚直(監修),損害保険ジャパン・損保ジャパン環境財団(編)『環境リスク管理と予防原則:法学的・経済学的検討』: 55-76. 有斐閣.



政治経済的危機1

2011年04月23日 21時25分17秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月23日-1
政治経済的危機1


 金銭またはマネーについてMario Bunge氏はどう言っているだろうかと、『Political Philosophy』の索引でmoneyを見ると、
  money, the power of
というのが211頁にあると。そこで、下記に、関連する二つの段落を訳してみた。

  「金銭は力とそれに付随する自由を買うことができる。というのは、お金持ちに、助言と追従〔おべっか〕を含めた、品物〔商品〕または役務を得る力を与えるからである。また、金銭は、自信過剰感または優越感の引き金となる。これは今度は、社会的活動を、否定的な流儀へと現実化する。実際、最近の実験(Vohs, Mead, and Goode 2006)は、金銭は、個人が無報酬の手伝いを頼むことだけでなく、私欲なく助け〔手伝い help〕を申し出ることも減らすので、個人を共同体から分離する、と示唆している。要するに、社会的に望ましいどころか、過剰な金銭は、社会を溶かす力があり[socially dissolvent]、したがって民主主義的参加に対して、意欲をそぐものである。新保守主義者たち〔ネオコン〕が、そんなにも自由に熱中すること、そしてそんなにも民主主義〔民主政体〕に疑念を向けるのも、不思議ではない。彼らは、自由を買う手段を持つが、自由を切望し経済的手段よりもむしろ政治的手段によって自由が得られると信じる人々からは脅かされていると感じるのである。新保守主義者たちの天国は植民地風の香港であり、地獄は社会民主主義的なスウェーデンである。
 経済的自由主義者(新自由主義者〔ネオ・リベラル〕)は、自由市場においてすべての参加者は平等である、そこでは市場は個々の自由を保証するから、と主張する(Friedman 1962)。しかしこれは、作りごとである。なぜなら、所有者と経営者は雇ったり首にしたりするのが相対的に自由であるが、賃金を稼ぐ者は技能から離れられないか[are stuck with their skills]、技能を欠いているかであり、労働組合が弱い場合は交渉力はほとんど無いからである。そのうえ、束縛のない市場は、合併と不誠実な競争を通じて、寡占あるいは独占へとさえ向かう。資本(または経済力)が集中すればするほど、労働条件を契約する個人の自由は弱くなる。
 経済的自由主義者はまた、自由市場のもとでは、雇用者と被雇用者の関係は対称的だと主張する。すなわち、仕事が好きでない人々は、辞めて他の仕事に着くことが自由だと、主張する。しかし、この仮定は、高い失業状態のときには、非現実的である。なぜなら、欠員がほとんど無いからであり、多くの人々は空席を満たすのを厭わないからである。要するに、自由市場は個人を守らず、反対に、脅かすかもしれない。強い労働組合だけが、個々の労働者を守るために、経済力を制限することができる。これが、なぜ、労働勢力[the work force]の大部分が労働組合に組織され、左翼思想の諸党が政府を形成するに足る力を持つところでは、いわゆる福祉国家が最も強いかの理由である。」(Bunge 2006: 211, paragraphs 3 and 4)[試訳 20110423]。

 
 なお、この本の第5章 Contention and Negotiationの第6節は、「経済力 Economic Power」 [pp. 209-214]となっており、最初の段落は、

  「経済力[economic power]とは、私的商業の所有者または経営者が、人々の態度、価値、趣味、習慣、そして投票に対する影響を持つ能力[ability]である。それは、とりわけ、人々を肉体的あるいは心的〔精神的〕に有害な仕事をさせ、物と人々が本当は必要としない役務を買わせ、そして法的または政治的審議を買い、特権を好むイデオロギー〔思想傾向〕を擁護する組織体に資金を提供し、また、大きな商売の利益を保護する法律制定を採用するように議員に働きかけ、進歩的な法律制定を妨害する。」(Bunge 2008: 209-210)[試訳20110423]。

である。

 
[B]
Bunge, M. 2008. Political Philosophy: Fact, Fiction, and Vision. x+439pp. Transaction Publishers.

[F]
Friedman, Milton. 1962. Capitalism and Freedom. Chicago, IL: University of Chicago Press.

[V]
Vohs, Kathleen D., Nicole L. Mead, and Miranda R. Goode. 2006. The psychological consequences of money. Science 314: 1154-1156.


福島原発と東北地方太平洋沖地震96

2011年04月22日 00時53分26秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月22日-1
福島原発と東北地方太平洋沖地震96

 1998年の著書の『罪つくりな科学』で、核物理学者の武谷三男氏は、安全問題についての原則的な法則を挙げている。

  「1. 性能がよい新技術はより安全なものかというと、逆に危険も大きい。
   2. 新技術では人体に対する影響が各時点では微小でほとんど検出されないことが多いが、それが長期にわたって蓄積されると、恐るべきことになる。
   3. 「危険が証明されていないから使ってもよい」という考え方ほど危険なものはない。
   4. 「この技術は安全だ」と言う人間の手にかかるほどその技術は危険になる。」(武谷 1998: 22-23頁)。

 放射線に関して、

  「許容量の考え方が成立するのは、その人個人に放射線を受ける健康上の「メリット」がある場合だけである。科学的には放射線の許容量など存在しません。いかに微量であっても、害がないと証明できない限り、よけいなものを体に受けることを「許容する」理由などないのです。」(武谷 1998: 50頁)。


  「ビキニ実験の際、リビーの許容量というものは、天然にある放射線を基準として考えられたものでした。〔略〕人が一年間に受ける放射線は約一・一〔ミリが抜け?〕シーベルトとされています。もともと自然にこれだけ存在しているのだから、そこにちょこっと付け加えたって大丈夫だろうという論理です。〔略〕天然の放射線は、当然ながら白血病や各種ガンのもとになっています。そういった有害なものと微妙なバランスを取りながら、生物は暮らしてきたのです。」(武谷 1998: 54-55頁)。

  「原子力発電所は、「便所のないマンション」のようなものだと、私はずいぶん前から言ってきました。〔略〕

  いったいトイレはどこにもっていくのか?
  原発の商業運転がスタートしたのは一九六六年ですが、廃棄物をどうするかの検討が始まったのは何と一九九五年。」(武谷 1998: 59-61頁)。

  「たとえば一時間に一〇〇万キロワットの電気出力をもつ発電所では、一日の運転で広島型原爆が三発ないし四発爆発した分の死の灰が作られるのです。」(武谷 1998: 63頁)。

  「「原子力発電所で大事故が起る確率は、隕石がぶつかって人が死ぬ確率と同じである」
   これが有名なラスムッセン報告と呼ばれるもので、かつて原発推進派が金科玉条としていたものです。〔略〕
   個別の系統の小さな事故を、それぞれ独立のものとして扱って、それが起る確率をかけあわせて大事故の確率を出したために、こんな結果になったのです。
   けれども巨大システムの事故は、一ヶ所がおかしくなれば隣もおかしくなるといったぐあいで、各部分を独立したものとして扱ってはいけないのです。」(武谷 1998: 64頁)。

  「だいたい一〇〇万キロワット級というのは収拾のつかない大きさで、どんなタイプの原子炉であろうと、こんな規模でやること自体が正気の沙汰ではありません。
   エネルギーの集中度の高いもの、ある空間の中にエネルギーが集中しているものは、それ自体が危険なのです。」(武谷 1998: 65頁)。

 電気エネルギーの獲得は、かなり生命線に関わる。一軒に一台の機器で供給できるような研究はされていないのだろうか。また、小規模地域で共同発電できるシステムは作れないだろうか? 寡占体制は危険である。

 
[T]
武谷三男.1998.罪つくりな科学:人類再生にいま何が必要か.229+11pp.青春出版社.


福島原発と東北地方太平洋沖地震95

2011年04月20日 02時28分28秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月20日-3
福島原発と東北地方太平洋沖地震95

 
 東電が発表した工程表について、いくつかのテレビでも、そんな期間では進まないだろうと言っていた。さすがに、東電や政府の発表に対して、少しは批判的意識でのぞむようになってきたということなのだろうか。

 下記に、小出裕章氏が工程表について意見を述べている。

【福島原発】2011/4/18/月★東電の工程表について 1/2
http://www.youtube.com/watch?v=ZozryTqb9Y0

【福島原発】2011/4/18/月★東電の工程表について 2/2
http://www.youtube.com/watch?v=ZozryTqb9Y0

 小出氏は、東電のやろうとしている水棺方式はできない、という。
 また、窒素注入は意味が無いとも。一号機で必要なら、二号機と三号機もやらなければならないはずだと疑問を呈している。
 そして、このような高い放射線量では、小出氏は作業員は何万人も必要になるだろうと言う。
 ロボットでは(人間のように)見ながら測定しているわけではないので、もっとも高いところを測っていないと言う。
 たとえば2号機は格納容器の一番低い部分(サプレッションチェインバーが壊れている。これは東電も認めている)が壊れている。
 水をかけて冷えるまで待つしかないと言う。

 
 冷やすのに外から水を入れているので汚染水は溢れるわけだが、それをも含めた循環を作るには、すでに組み立てたものをくっつけるのがよいだろうが、それを一部破損している原子炉に繋ぐところが問題である。結局、汚染濃度が高すぎて作業困難である。
 チェルノブイリでは、マスクをしていたのでは作業ができないとかあったりして(主要には高い放射能によるが)、死者が出た(最近のテレビでやっていた)。石棺は破損部分も出てきて、それをさらに外に覆う物体を先に組み立てて、それをレール式で移動して石棺を覆うということが計画されているが、資金不足で進まないという。

 ロボットコンクールが日本では開催されてきた。よく練った計画を立てて、役立ちそうなロボットを投入するのはどうだろうか? できるだけ、人間による作業を減らすようにして。

 ゼオライトは吸着するらしいが、放射性物体の放射能(放射性物質の放射活動またはその性能)を中和する技術は無いのだろうか。[物質とは分類カテゴリー、つまり概念であり、物体とは具体的な物を意味する。]


福島原発と東北地方太平洋沖地震94

2011年04月20日 01時34分37秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月20日-2
福島原発と東北地方太平洋沖地震94

 わからない場合は、質問する。そのようにしたら、要領よく理解が進むだろう。
 国民は、責任ある部署などに質問しよう。
 下記は、自由契約(フリーランス)の上杉隆氏らが、述べているとのこと。

 「上杉隆氏ら自由報道協会による「原発事故」取材の報告」
http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3Do91IDAxrNG8%26feature%3Drelated&feature=related&v=o91IDAxrNG8&gl=JP

を文字起こししたものが、下記のようだ。

  「テレビ・新聞の記者が何にも質問をしないと。これは、何度でもいいますが、何にも質問をしないです。東京電力に気を使って、東電の社長の居場所すら聞かない。プルトニウムという言葉すら発しない。格納容器が壊れたとも言わない。

メルトダウンと言った瞬間に袋叩きにあって、テレビの番組から降ろされると。3月に私はTBSラジオのきらきらというレギュラーを2年間やっていました。そこで、東京電力電事連に関して、情報隠蔽しているんじゃないですかというふうに、ずーっと15分間のフォーラムで言って生放送が終わった瞬間に、プロジューサーが来て、すみません、上杉さ」
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/268695/223908/67836609?page=4


  「んちょっといいですかと、ハイなんですかと、今月いっぱいで辞めてくださいと、突然言われました。
   〔略〕
ほかの人も相当圧力かかってます。岩上さんも特ダネフジテレビ降ろされましたけど、このことが理由かどうかわかりませんが、番組を終わらされてます。

つまり、政府・電事連・記者クラブの情報と違うことをいう人間は、全部消せと、これ本当に自分でやりんがら当事者になりながら、映画の世界じゃないかという不思議な感覚になるんですが、実際起こっていることです。

で、これが日本の今の状態です。だから、情報公開しないことによって何が起こったかというと、70年前のいわゆる大本営発表と全く同じ事が起こっていると。」
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/268695/223908/67836609?page=5


福島原発と東北地方太平洋沖地震93

2011年04月20日 01時09分25秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月20日-1
福島原発と東北地方太平洋沖地震93

 村上陽一郎『安全と安心の科学』の帯(腰巻き)に、

  「いくら「安全」と言われても「安心できない理由[わけ]がある」

とある。
 その第三章(99-129頁)は、「原子力と安全?過ちに学ぶ「安全文化」の確立」となっている。

 1999年9月30日に起きたJCO事故については「初心忘るべからず」という教訓を、2001年11月7日に起きた浜岡原発での小さな水素爆発による余熱除去系統の配管破損事故では技術の継承という問題点を指摘している。
 確率論的安全評価 Probabilistic Safety Assessment (PSA) という手法は、「アメリカの原子力関連の業界で誕生した」(125頁)らしい。
 原子炉という巨大なシステムは、人間ー機械系であり、また「多様な要素の累積体」(127頁)だが、

  「すべての要素は(人工物)は故障したり損傷したりする可能性があり、かつすべての要素(人間)は過ちを犯す可能性がある」という前提を立てます。
   そして一つ一つの要素に〔略〕何らかの不都合が発生する確率を算定します。その算出には、それぞれの要素についての過去の実績が基礎となります。そしてその不都合の一つ一つが実現したと仮定したとき、どのような連鎖を構成して、炉心溶融という原子炉施設にとって最悪の危険に辿りつくか、そのシナリオ(「事象の木」と呼ぶようですが)を想定します。〔略〕その想定から、そのシステムが炉心溶融という最悪の事態を惹〔→引?〕き起こす確率も算出できることになります。」(村上 2005: 127頁)。

とのことである。『確率』とは何だろうか?
 それはさておき、

  「事故が起こる確率は計算してみると、一千万年に一回だ、と言われれば、私たちは、相当安全だと考えていいんだな、と思いますね。〔略〕困ったことには、こうした数字を「合理的」に算出されても、私たちは「安心した!」と言ってしまえないところがあります。
 落とし話に、亀を買ってきたら翌日死んでしまった、亀は一万年生きると聞いていたのに、こんなに直ぐ死んでしまうとは、と嘆いたら、きっと今日が、一万年目だったんだろう、と言われたといものですが、一千万年に一回のその事象が、私の生きている間、あるいは今日絶対に起こらないという保証は、少なくとも心理的にはない、ということです。」(村上 2005: 128-129頁)。

 ここでは、確率という考え方と、或る事象が起こる時機 timingの問題があると思う。亀の場合には、買ったときに何歳だったのかを、その亀生物体(の性質)を観測して(方法があればだが)推定することができる。同様に、原子炉の場合にも、『寿命』があるし、その後に設計の誤りが見つかるかもしれない。それらを考慮に入れれば良いだろう。寿命を変更するのは、危険が増すことになるだろう。いけません。
 
 メキシコ湾でのブリティッシュ・ペトロリアムの原油流出事故では、或る作業をすれば、6割か7割の確率で流出防止に成功すると予想されていた。しかし、失敗した。この確率の値とはなんだったのだろうか。
 ところで、ロイターによれば、

  「NOAAのジョースト・デゴウ氏らによると、原油の中に含まれていた最も軽い化学物質は科学者が予想していた通りに数時間で蒸発したが、予想外だったのは、分子構造でより多くの炭素原子を持つ重い化学物質(有機エアロゾル)は蒸発にもっと時間がかかり、より広範囲に拡散、大気汚染粒子の形成に大きな役割を果たしたことだという。
 同氏は大気汚染粒子の大部分が、あまり測定されず、かつて科学者が被害をもたらすほど多くはないと想定していた化学物質で形成されているとの理論が確認された形だ、と述べた。」
http://jp.reuters.com/article/3rd_jp_jiji_EnvNews/idJPjiji2011031100353

とのこと。

 予測が外れたり、想定外の事故が起こったりして、科学理論やと科学技術の改良は進む。
 想定外のことが起きて、燃料棒溶融とか炉心溶融(どれだけの燃料棒が溶ければ炉心溶融[メルトダウン]と呼ぶのか?)といった過酷事故が起きたときの(不安も含めて)被害は甚大なので、抑制的に制御しなければ暴走する核分裂型の原子炉は、そもそもの設計思想が悪いと言えよう。

 自然におけるウランには、ウラン235は0.27%弱で、安定している(117頁)。原子力の平和利用といいつつ、潜在的には原爆を作れるので、多くの国で原発が作られたという一面があるだろう。そして、30年とか数百年とかの半減期の汚染の可能性があれば、とても心穏やかにはなれない。

 幸い日本には高標高の土地が各地にある。エネルギー消費少なくして可能な人は、冬は温かい所へ、夏は涼しい所へ(できるだけ自転車や乗り合い電気自動車で)移動するのは、どうだろうか。あるいは、夏は冷房を止めて熱島(ヒートアイランド)現象への寄与を少なくしつつ水撒きしてなんとかしのげないだろうか? 熱中症で死なないように気をつけなければならないが。
 すでに、首都圏での夏の停電防止のために使用電力量を減らすために、事業所で冷房温度設定を30度とかいう話も出ているらしい。働き過ぎも止めて、二週間とか一か月の休暇を設定することを義務づけるのはどうだろうか。残業廃止方向も実践してほしい。

 
[M]
村上陽一郎.2005.1.安全と安心の科学.206pp.集英社[新書].


福島原発と東北地方太平洋沖地震92

2011年04月19日 22時05分16秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月19日-2
福島原発と東北地方太平洋沖地震92

 「スティーヴン・シュナイダー」と「原発推進」で検索すると、

 「猿でもわかる原発の秘密!」と題した頁
http://aitsuk1.blog104.fc2.com/
があった。そこに、
 
  「Q でも原発って二酸化炭素ださなくてクリーンなんでしょ?
   A 二酸化炭素による地球温暖化は原発利権のためのデマといわ〔れ〕ている。二酸化炭素が地球温暖化の主因となっているとする科学者は御用学者(スティーブン・シュナイダー等)を除けばもうほとんどいないんだ。
   原発でもウランの採取や発電所の建設や燃料棒の廃棄処分で大量の化石燃料を使う。それに原発は熱排水がすごいのでそれが地球の温暖化の原因になっているんだ。そもそも地球温暖化自体そんな悪いことではないんだよ。」
http://aitsuk1.blog104.fc2.com/

とあった。原発は、温排水として2/3のエネルギーを海に捨てて、それによって海を温めている(原発は、エネルギー量で評価すれば、その主要な役割から言えば、海水温め機である)。海水の温度が上がると、海水中に溶けていた二酸化炭素が、空中に出て行くらしい。
 そうすると、地球上の原発が気温上昇に寄与する分はどれくらいなのだろうか? 資料はないのだろうか? どこかで評価はしなかったのか?

 そのシュナイダー氏は、原発推進論でも知られているらしいが(ワート『温暖化の“発見”とは何か』を見よ。また、
http://zinruisaimetsubou.blog45.fc2.com/blog-entry-1364.html
も見よ)、

http://chikyuondanka1.blog21.fc2.com/blog-category-62.html
の、「地球温暖化の歴史」頁によれば、

  「1971年 シュナイダー(現IPCCの第2作業部会の報告書の統括執筆責任者)、寒冷化脅威論を「サイエンス」誌上に発表。」

  「スティーヴン・シュナイダー教授 (スタンフォード大学) 〔略〕【2007年】IPCCの第2作業部会の報告書の統括執筆責任者として、温暖化脅威論をまとめる。」
http://chikyuondanka1.blog21.fc2.com/blog-category-62.html

とある。
 ところが、池田信夫氏の2008年04月01日 02:00のブログ記事「地球は氷河期になる」
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294646.html
は、
 「"Atmospheric Carbon Dioxide and Aerosols: Effects of Large Increases on Global Climate" (Science 173, 138-141)」
で述べたことを紹介していて、

  「IPCCのリーダー、スティーヴン・シュナイダー(スタンフォード大学教授)〔略〕の予測によれば、大気汚染で太陽光線が遮断される効果によって地表の温度は今後50年間に3.5℃も下がり、地球は氷河期に入るおそれが強い。凍死者の数は温暖化による死者の50倍にのぼるので、これは温暖化よりもはるかに重大な問題だ。」
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294646.html

とのこと。[温暖な気象(したがって温暖化)よりも寒冷な気象(したがって寒冷化)のほうが苦難は大きいことは、通常の思考上からも予想されるし、日々の生活からも実感できることである。(東日本での気象は変動するので)寒くなった福島原発周辺や気仙沼周辺でも、4月19日だというのに、かなりの寒さである。気候というのは、どうも、長期間の平均的な気象のことを指しているらしい。もしそうならば、気候とは、気象からの計算された構築体(つまり、頭の体操結果という人為産物)である。]

 また、

  「IPCCは緊急会合を開き、大気汚染の影響を勘案した新しいモデルによってシミュレーションをやり直すことを決めた。」
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294646.html

とのこと。