2011年4月24日-2
福島原発事故98:原発リスクと地球温暖化リスク(2)、科学技術のリスク
1957年10月10日 ウィンズケール〔セラフィールド〕原子力工場事故
1979年3月28日 スリーマイル島原発事故
1986年4月26日 チェルノブイリ原発事故
2005年4月 セラフィールド再処理工場放射能洩れ事故
2011年3月11日 福島第一原発震災事故
本の腰巻きに、アメリカ物理学協会科学著作賞受賞とある、原著は1990年に出版で訳書は1997年に出版の『科学技術のリスク』各論14の放射線と原子力から、抜粋する。なお、訳者の宮永一郎氏は、訳者紹介によれば、「〔昭和〕62年原子力安全委員会委員、平成5年退任」とある。(検索すると、2009年11月に亡くなられていた。伊藤直次、宮永さんを偲んで、保健物理, 45(1): 7-8 (2010)。http://www.jstage.jst.go.jp/article/jhps/45/1/45_7/_article。)
「確率論的リスク評価の技術は原子炉に対して最も進んでいて、重大な原子炉事故の確率をかなりよく計算することができる。この種の《最低線》の評価は大きな不確実さを伴うが、それでも想像だけよりはましである。アメリカの原子炉に村する最近の最善の評価は原子炉・年当たり約一万分の一であり、放射性物質の環境への重大な放出の可能性はその一〇分の一か一〇〇分の一である。この数字を真面目にとると、炉心溶融は現在運転中の一〇〇基あまりの原子炉で一〇〇年毎に一回起ることになるだろう。今世紀が終わるまでに炉心溶融が起るかどうかについては信頼性のある予測方法はない。予測技術の精度はそこまで良くはないからである。おそらくそういうことはないだろうが保証はない。」(ルイス 1990: 204頁)。
「〔スリーマイル島事故について、〕大統領の委員会〔略〕が問題をかなり整理した。事故は機械の故障から起り、多重のヒューマン・エラーが加わって起ったもので、自信過剰による避けられない結果であった。それまで事故を経験したことのなかった原子力産業は、事故は起り得ないと信じるようになっていたのである。何だか聞いたことがあるような気がしませんか?
スリーマイル島事故の数年前の一九七五年に、パイオニア的な原子炉の確率論的評価法、いわゆるラスムッセン研究〔略〕が完成していた。いろいろ問題はあるが、炉心溶融事故の原因として最も可能性があるのは過渡現象(最初の給水喪失は過渡現象である)、小LOCA(リリーフ・バルブの漏洩は小LOCAである)、それに人為的ミス(たくさんある)であると正しく結論していた。事故はいろいろな形をとるので、予測はできるが避けがたいものである。しかし、産業界も規制当局も適切に反応しなかった??彼らはこの調査の主要な結論、すなわち、原子炉事故はきわめて起りにくいという結論に喜んでいたからである。〔略〕
自信過剰や成熟した技術のさまざまな病状に対しての治療法や予防法は、災害にはならないような、よく起る事故で苦い経験をすること以外にはなさそうである。もし確率的調査が事故の確率がゼロでないことを予測し、他にこれを否定する責任ある調査結果がないなら、それは事故は起るということを意味する??唯一有益な質問はそれがいつかということである。このことの認識をあやまると国民の健康と幸福に害を及ぼすことがあるのである。」(ルイス 1990: 206-207頁)。
百万年に一回だとしても、その当たり年は今年かもしれないわけである。いったい、このような安全を評価するという事故確率にはどういう意味があるのだろうか。メカニズム的な評価は無いのだろうか?
[L]
ルイス,H.W. 1990.(宮永一郎訳 1997.4)科学技術のリスク:原子力・電磁波・化学物質・高速交通.xv+299pp.昭和堂.[Lewis, H.W. 1990. Technological Risk.]
福島原発事故98:原発リスクと地球温暖化リスク(2)、科学技術のリスク
1957年10月10日 ウィンズケール〔セラフィールド〕原子力工場事故
1979年3月28日 スリーマイル島原発事故
1986年4月26日 チェルノブイリ原発事故
2005年4月 セラフィールド再処理工場放射能洩れ事故
2011年3月11日 福島第一原発震災事故
本の腰巻きに、アメリカ物理学協会科学著作賞受賞とある、原著は1990年に出版で訳書は1997年に出版の『科学技術のリスク』各論14の放射線と原子力から、抜粋する。なお、訳者の宮永一郎氏は、訳者紹介によれば、「〔昭和〕62年原子力安全委員会委員、平成5年退任」とある。(検索すると、2009年11月に亡くなられていた。伊藤直次、宮永さんを偲んで、保健物理, 45(1): 7-8 (2010)。http://www.jstage.jst.go.jp/article/jhps/45/1/45_7/_article。)
「確率論的リスク評価の技術は原子炉に対して最も進んでいて、重大な原子炉事故の確率をかなりよく計算することができる。この種の《最低線》の評価は大きな不確実さを伴うが、それでも想像だけよりはましである。アメリカの原子炉に村する最近の最善の評価は原子炉・年当たり約一万分の一であり、放射性物質の環境への重大な放出の可能性はその一〇分の一か一〇〇分の一である。この数字を真面目にとると、炉心溶融は現在運転中の一〇〇基あまりの原子炉で一〇〇年毎に一回起ることになるだろう。今世紀が終わるまでに炉心溶融が起るかどうかについては信頼性のある予測方法はない。予測技術の精度はそこまで良くはないからである。おそらくそういうことはないだろうが保証はない。」(ルイス 1990: 204頁)。
「〔スリーマイル島事故について、〕大統領の委員会〔略〕が問題をかなり整理した。事故は機械の故障から起り、多重のヒューマン・エラーが加わって起ったもので、自信過剰による避けられない結果であった。それまで事故を経験したことのなかった原子力産業は、事故は起り得ないと信じるようになっていたのである。何だか聞いたことがあるような気がしませんか?
スリーマイル島事故の数年前の一九七五年に、パイオニア的な原子炉の確率論的評価法、いわゆるラスムッセン研究〔略〕が完成していた。いろいろ問題はあるが、炉心溶融事故の原因として最も可能性があるのは過渡現象(最初の給水喪失は過渡現象である)、小LOCA(リリーフ・バルブの漏洩は小LOCAである)、それに人為的ミス(たくさんある)であると正しく結論していた。事故はいろいろな形をとるので、予測はできるが避けがたいものである。しかし、産業界も規制当局も適切に反応しなかった??彼らはこの調査の主要な結論、すなわち、原子炉事故はきわめて起りにくいという結論に喜んでいたからである。〔略〕
自信過剰や成熟した技術のさまざまな病状に対しての治療法や予防法は、災害にはならないような、よく起る事故で苦い経験をすること以外にはなさそうである。もし確率的調査が事故の確率がゼロでないことを予測し、他にこれを否定する責任ある調査結果がないなら、それは事故は起るということを意味する??唯一有益な質問はそれがいつかということである。このことの認識をあやまると国民の健康と幸福に害を及ぼすことがあるのである。」(ルイス 1990: 206-207頁)。
百万年に一回だとしても、その当たり年は今年かもしれないわけである。いったい、このような安全を評価するという事故確率にはどういう意味があるのだろうか。メカニズム的な評価は無いのだろうか?
[L]
ルイス,H.W. 1990.(宮永一郎訳 1997.4)科学技術のリスク:原子力・電磁波・化学物質・高速交通.xv+299pp.昭和堂.[Lewis, H.W. 1990. Technological Risk.]