経栄山 題経寺(通称:柴又帝釈天)
寛永6年(1629)、2名の僧によって開創された日蓮宗寺院
9世住職の日敬の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった
柴又駅から参道を数分歩いた先に二天門が見えてくる
二天門
明治29年(1896年)の建立。入母屋造瓦葺の楼門で、屋根には唐破風と千鳥破風を付す
帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置する

日光東照宮の陽明門を模したといわれている

多くの木彫群によって荘厳された重厚優美な二天門である


御神水
江戸寛永の昔、松の根方に霊泉の湧くのを見て、庵を結んだのが当山の縁起
寅さんの「帝釈天で産湯をつかい…」は、この御神水のようだ

浄行菩薩
法華経に説く四菩薩の一人で、地水火風の四大の内、水大の菩薩として、この世を浄化し、人々の罪や穢れを洗い清める

南大門
二天門前もそうだが自転車が多く、地域に根ざした寺という感じがした

祖師堂(本堂)
古くから帝釈堂として、江戸の信心を集めていた
明治になって、現在の帝釈堂を造り上げて移し、大修理を加えて現在の祖師堂になる

釈迦堂(開山堂)
当山最古の建造物。文化・文政期の江戸の伽藍造り
内陣に白鳳期の釈迦立像を安置し、当山の開祖・日栄上人と中興祖・日敬上人の木像を奉祀



大鐘楼
昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼。高さ約15m
寅さんの映画でも、この大鐘楼の効果音が挿入されている

団体観光客が引けたので、お目当ての帝釈堂に移動する

帝釈堂
手前の拝殿と奥の内殿から成り、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付す

内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置

帝釈堂の内殿外側全面ある浮き彫りの装飾彫刻は必見である
撮影 平成27年10月13日
寛永6年(1629)、2名の僧によって開創された日蓮宗寺院
9世住職の日敬の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった
柴又駅から参道を数分歩いた先に二天門が見えてくる
二天門
明治29年(1896年)の建立。入母屋造瓦葺の楼門で、屋根には唐破風と千鳥破風を付す
帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置する

日光東照宮の陽明門を模したといわれている

多くの木彫群によって荘厳された重厚優美な二天門である


御神水
江戸寛永の昔、松の根方に霊泉の湧くのを見て、庵を結んだのが当山の縁起
寅さんの「帝釈天で産湯をつかい…」は、この御神水のようだ

浄行菩薩
法華経に説く四菩薩の一人で、地水火風の四大の内、水大の菩薩として、この世を浄化し、人々の罪や穢れを洗い清める

南大門
二天門前もそうだが自転車が多く、地域に根ざした寺という感じがした

祖師堂(本堂)
古くから帝釈堂として、江戸の信心を集めていた
明治になって、現在の帝釈堂を造り上げて移し、大修理を加えて現在の祖師堂になる

釈迦堂(開山堂)
当山最古の建造物。文化・文政期の江戸の伽藍造り
内陣に白鳳期の釈迦立像を安置し、当山の開祖・日栄上人と中興祖・日敬上人の木像を奉祀



大鐘楼
昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼。高さ約15m
寅さんの映画でも、この大鐘楼の効果音が挿入されている

団体観光客が引けたので、お目当ての帝釈堂に移動する

帝釈堂
手前の拝殿と奥の内殿から成り、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付す

内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置

帝釈堂の内殿外側全面ある浮き彫りの装飾彫刻は必見である
撮影 平成27年10月13日