今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

彰義隊の墓(東京都台東区上野公園)

2015年11月16日 | 名所・旧跡
彰義隊
鳥羽・伏見の戦いの後、徳川慶喜は、新政府に対する恭順の意を表し、翌12日上野寛永寺に蟄居した
徳川慶喜の警護などを目的として結成されたのが彰義隊。「大義を彰(あきら)かにする」という意味」
そこには徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士などが集まり、上野の山を拠点として新政府軍と対峙した

彰義隊の墓
大村益次郎が指揮する政府軍は、寛永寺一帯に立てこもる彰義隊を包囲し総攻撃を行った
新政府軍が優勢に戦闘をすすめ、1日で彰義隊を撃破、寛永寺も壊滅的打撃を受けた



手向けられている花の石柱には「尽忠報国」「彰義隊」と刻まれている



戦闘後、上野には200名を超える彰義隊士の遺骸が残った
芝増上寺、縁故者等が引き取りを申し出たが、官はこれを容れなかったという
戦死者を上野で荼毘に付したうえ、官許を得て遺骨を南千住円通寺に埋葬した



しかし1874年(明治7年)、元彰義隊士小川興郷などの願が許可され、激戦地であり隊士の遺体の火葬場となった上野に彰義隊の墓を建立



以後、120年余りに渡り、小川一族によって墓所が守られてきた



現在、上野公園入口付近にあるこの墓所の管理は東京都に移されている



撮影 平成27年10月14日
コメント (2)
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