今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

金陵山 西大寺(岡山県岡山市東区西大寺中三丁目8番8号)

2023年09月11日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年6月4日

金陵山 西大寺
高野山真言宗別格本山の寺院
日本三大奇祭のひとつ「会陽(えよう、裸祭り)」が有名

仁王門(国登録有形文化財)
1740年(元文5年)再建
三間一戸の楼門で、和様(二階三手先、一階四手先)と禅宗様(尾垂木・台輪・頭貫)を併用し、組物を多様する装飾的な建物



鬼瓦の鳥衾(とりぶすま)
鬼瓦の鳥衾は、長く伸びて渦巻き状で、県下でもごく数例しか見られないもの
<鳥衾は鳥が鬼瓦に止まらないように休める場所>



扁額には山号の「金陵山」
「釈逸山」という落款があり、禅僧で書の大家



隣にある三重塔が気持ちが奪われ、仁王像を撮るのを忘れていた(残念)



六角経蔵(国登録有形文化財)
建立は、輪蔵:嘉永7年(1854年)/書架:文化2年(1805年)
六角堂内の回転式書架「経蔵」を回転させるだけで大般若経600巻を読誦したのと同等のご利益がある



高祖堂(国登録有形文化財)
御影堂とも呼ばれ、弘法大師が祀られている
その木像の銘文によると、作者は大阪天満の吉右衛門丞で、延宝3年(1675年)の作



「髙祖堂」の扁額は、佐々南谷という高僧の筆によるもの






建立は、延宝年間(1673~75年)建立/安永9年(1780年)大改築



鐘楼門・朝鮮鐘(国指定重要文化財)
鐘楼門は小規模な入母屋造の建物
建立は、延宝頃(1673~80年)



会陽の祝主・福男の名が記された行灯



三重塔(岡山県指定文化財)
この日の訪問予定場所を検索していたときに、この塔の存在を発見し目的地に決めた
初めて訪れたが塔以外でも予想をはるかに上回る立派な寺院であった



延宝6年(1678年)の建立
塔身と相輪とのバランスもよく、和様を基調としながら一部に禅宗様を取り入れている



「胎蔵界大日如来」を安置している






石門<龍鐘楼>(登録有形文化財)
文政2年(1819年)の建立
下階は石造で2階は一軒扇垂木の木造で、漆喰塗籠め、縁を朱塗りとしたその白亜の姿は、竜宮城を思わせる



正面には鳥居が立つ



身代り水垢離観音
悩みや苦しみを観音様が代わりに水垢り(みずごり)をして流し清めてくれる



垢離場で、西大寺会陽(裸祭り)の2週間前からお祭り当日まで、ここで心身を清める「垢離取り修行」を行う



本堂(岡山市指定文化財)
文久3年(1863年)の再建
県下でも最大級の屋根で、大彫刻を入れ部材も木太く、棟が極めて高い
写真左右に写っている人物と比較するとその大きさが理解できる



本尊:千手観世音菩薩(秘仏)
脇侍:広目天・多門天を従え、裏脇には不動明王・愛染明王を祀る



西大寺の会陽(裸祭り)
日本三大奇祭の一つに数えられる会陽(裸祭り)は、毎年2月の第3土曜日に開催される
本堂の御福窓から裸の男衆の頭上に香を焚きしめられた2本1対の宝木がそれぞれ牛玉紙(ごおうし)に包んで投下される
そしてこの争奪戦を制して2本いずれかの宝木を手にし、仁王門の外に出た者(取り主)がその年の福男になる

西大寺の会陽(裸祭り)



内部は会陽(国重要無形民俗文化財)を行う為、外陣部分が板敷のふきはなし
内陣正面上部には会陽の際に宝木を投下するための御福窓を備えている



普陀南海観音
普陀山から十分の一の大きさの南海観音像の贈呈を受けた



牛玉所殿(国登録有形文化財)
明治13年(1880年)の建立
倉敷の「瑜伽大権現」は四国の「金比羅大権現」と両参りが盛んであった
そこに西大寺「牛玉所(ごおしょ)殿」が加わり江戸時代後期に三社参りとして隆盛をみた



額にある「牛玉所大権現」「金毘羅大権現」を合祀している



水かけ誓願不動



厄難を除くツワブキに囲まれた不動明王に清水をかけて誓願すると成就するという



和合の楠



活力の楠






撮影 令和5年6月4日

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