今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

一乗山 大伝法院 根来寺(和歌山県岩出市根来)

2020年11月18日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月21日

一乗山 大伝法院 根来寺
秋の旅では重文の多宝塔を持つ寺をいくつか回ってきた
根来寺はこれまで拝観した多宝塔のなかでは一番大きく、全国に6基ある国宝の多宝塔の一つでもある

大門(重要文化財)
根来寺の参拝は二度目になるが、この「大門(仁王門)」の存在は知らなかった
道の駅「ねごろ歴史の丘」の敷地内に「ねごろ歴史資料館」があり、その資料により存在を知った



この日は日差しが強く正面からは逆光で撮れず、木陰からねらう
根來一山の総門で嘉永3年(1850年)に再建、左右に仁王像を配している



「仁王像」






上層には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されている
高さ16.88m 横幅17.63m 奥行6m



大門横にある「不動明王」



大門駐車場から不動堂近くの駐車場へ移動する
「新義真言宗総本山 根来寺」の石柱



前回訪れた時はこの門は閉ざされていた



大伝法堂(重要文化財)
根來寺の本堂で文政10年(1827年)に再建



真言宗の最も大切な修法を伝える道場で「傳法大会」「傳法潅頂」など、僧侶が厳しい修行をする場所



本尊:大日如来 脇仏:金剛薩埵(こんごうさった)、尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)






大塔(国宝)
正式名:大毘廬遮那法界体性塔(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう) 通称:大塔



高さ40m、幅15mの木造では日本最大の多宝塔



秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕



本尊・胎蔵大日如来



大塔前には芝生の大きな広場があり、ベンチに座って多宝塔を眺める









大師堂(重要文化財)
明徳2年(1391年)の建立。大塔とともに秀吉の焼き討ちをまぬがれた建物



真言宗を開宗された弘法大師・空海像を本尊として祀っている






「奥の院」への参道



「興教大師(覚鑁)廟所」



覚鑁(かくばん)は、平安時代後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた



真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖
康治2年(1143年)12月12日に入滅



本坊から入り、堂内を拝観する



名草御殿に面した江戸時代の名勝庭園



「光明殿(重文)」内陣



「閼伽井(あかい)」



「行者堂 ( 重文)」本尊:役行者



「聖天堂」内陣



聖天堂から見える「聖天池」



廊下を歩き置かれているものを撮っていく「大黒天尊像」



人生訓になる



薄暗い場所に置かれていた弥勒菩薩



屋久杉に書かれた「抱甕(ほうおう)(かめをいだく)」






光明殿(重要文化財)



本尊・興教大師。江戸時代後期の享和元年(1801年)建立



聖天堂(重要文化財)
聖天池に浮かぶ堂で聖天尊を安置している



「鐘楼門」 鐘楼が付いた門



毎日、午前6:00に鐘が鳴る



不動尊参道に移動する



不動堂(重要文化財)



「三国一のきりもみ不動」で有名な不動尊が本尊
興教大師覚鑁が難に遭った時に身代わりとなって守ったので、この名がある



「春日堂」



身体の痛い所や病気の場所と観音像の同じ場所をタワシで洗い「病気平癒」を祈願する
かなり美形の女性が観音像の顔を洗っていたので思わず「美人なので必要ないでしょう」と声をかけた



撮影 令和2年9月21日

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