明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします
律宗総本山 唐招提寺
奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山
本尊は廬舎那仏、開基は鑑真
井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐の僧鑑真が晩年を過ごした寺
南大門から入ると視界に金堂が入ってくる
金堂(国宝)
奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のもの。寄棟造、本瓦葺きで、大棟の左右に鴟尾を飾る
堂内中央に本尊・廬舎那仏坐像、向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像の3体の巨像を安置、本尊の手前左右に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像を安置
唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたもの
寺名の「招提」は、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていた
つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和尚のための寺」という意味
会津 八一石碑
おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものこそおもへ
鼓楼<舎利殿>(国宝)
入母屋造、本瓦葺き 鎌倉時代・仁治元年(1240年)の建築
西側の対称的位置に建つ鐘楼に対し「鼓楼」と称するが、この建物には太鼓ではなく、鑑真が唐から請来した仏舎利を安置しており、そのため舎利殿とも称する
礼堂(重要文化財)
鼓楼の東にある南北に細長い建物
もとの僧房を弘安6年(1283年)に改築した。桁行19間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺き
中央やや南寄りに馬道(めどう、土間の通路)があり、それより北の10間分が東室、南の8間は仏堂となり、隣の鼓楼(舎利殿)に安置された仏舎利を礼拝するための堂として礼堂(らいどう)と呼ばれる
鐘楼
次回に続く
撮影 平成25年11月16日
律宗総本山 唐招提寺
奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山
本尊は廬舎那仏、開基は鑑真
井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐の僧鑑真が晩年を過ごした寺
南大門から入ると視界に金堂が入ってくる
金堂(国宝)
奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のもの。寄棟造、本瓦葺きで、大棟の左右に鴟尾を飾る
堂内中央に本尊・廬舎那仏坐像、向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像の3体の巨像を安置、本尊の手前左右に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像を安置
唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたもの
寺名の「招提」は、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていた
つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和尚のための寺」という意味
会津 八一石碑
おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものこそおもへ
鼓楼<舎利殿>(国宝)
入母屋造、本瓦葺き 鎌倉時代・仁治元年(1240年)の建築
西側の対称的位置に建つ鐘楼に対し「鼓楼」と称するが、この建物には太鼓ではなく、鑑真が唐から請来した仏舎利を安置しており、そのため舎利殿とも称する
礼堂(重要文化財)
鼓楼の東にある南北に細長い建物
もとの僧房を弘安6年(1283年)に改築した。桁行19間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺き
中央やや南寄りに馬道(めどう、土間の通路)があり、それより北の10間分が東室、南の8間は仏堂となり、隣の鼓楼(舎利殿)に安置された仏舎利を礼拝するための堂として礼堂(らいどう)と呼ばれる
鐘楼
次回に続く
撮影 平成25年11月16日
コメントをいただきありがとうございました。
ブログを見た方が旅に出たくなるような写真を掲載できるよう努力します。
さっそく拝見!気ままに出かけているのですね!
写真の上手さにビックリ!
奈良にはこの7年出かけていますが、時間に追われ
会議に出るだけで・・・もったいないことをしたと反省!
今年は、ついでにせめて一か所くらい行ってみようかな?
これからも楽しみに拝見します。