今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

民話の里 遠野を車で巡る その2(岩手県遠野市)

2016年09月27日 | 名所・旧跡
方向音痴の私にとってナビをフル活用できない遠野観光は悩みの種
「続石」も周辺を数往復してやっと駐車場(道路際にあったのだが)を見つけた
鳥居の左下に「熊出没注意」の看板が…



花や木にも囲まれ、整備された散策路を快適に歩いていく



途中から上りに変わり、次第に呼吸が乱れ心拍数が増していく
「不動岩」の案内があるが無視して先に進む



間もなく足が止まった。数十m先に「熊がいる」。熊出没注意の看板が頭をよぎる
数分間様子を見たが、動く気配がないので意を決して先に進んでみると、何と、熊の形に似た岩であった



間もなく「弁慶の寝床」に到着
鳥居があったということはここは「手水鉢」ということになる



泣石
弁慶が今の続き石に乗っている笠岩を、初めに乗せたと云われる石だ



「自分の方が位の高い石なのに、こんな石を乗せられて悔しい…。」と、悔しくて泣いたのだという
弁慶もその泣き声が煩いので、笠岩を現在の場所に代えたという話が伝わっている



続石



見る角度によっても違うが迫力ある巨石が迫ってくる



横から見るとこのようになっている
弁慶が乗せたとも言われている巨石、長さ7m奥行き5m高さ2m



更に近づいてみると、二つの石ではなく一つの石だけにのっている。これには驚いた



続石の奥に祠がある。「山神社」と近くの石に刻まれている



不動岩の方から見える「続石」



不動岩
大きすぎて動かないので不動なのか。数秒の滞在で駐車場に戻ることにした。



野に咲く花の名前は知らないが…



違う土地だと、このような何気ない瞬間も新鮮で楽しむことができる



かっぱ淵 
遠野では一番人気の場所である。「常堅寺」(後日紹介)の境内を通り向かう



ここはかつて河童が多く住んでいたという伝説の残る淵。独特の雰囲気を醸し出している






川辺には乳の神である夫婦のカッパが鎮座する祠があり、拝むと胸が大きくなるという噂も



竿先には、えさの「きゅうり」が






「稲荷堂」 奥の鳥居はかなり傷んでいる



阿部一族の屋敷跡もこの周辺にある



かっぱ淵に戻ると釣り人が一人



そこに若者が竿を持ってくると「許可証」がなければ駄目だと説明
実はこれはTV局の番組のリハーサル風景。観光客がいなくなったので始まった



かっぱ淵からの帰り道。道路の両側にホップの栽培作業を行っていた女性に声をかける
「どこのビール会社のホップですか」と私。「キリン一番搾り」だと女性



キリン本社から送られてきた苗を育てているそうだ
旨い「一番搾り」が飲みたくなった



伝承園
遠野地方の農家のかつての暮らしを再現している
数年前、愛想の良い女性が受付にいて、お土産を買った記憶が甦ってきた



佐々木喜善記念館
1908年(明治41年)頃から柳田國男に知己を得、喜善の語った遠野の話を基に柳田が『遠野物語』を著す






曲り家 菊池家(重要文化財)



旧菊池家住宅は18世紀中頃までに建立された曲り家



当初は曲り部分を持たない直家(すごや)だったが、建立後間もない時期に曲り部分の馬屋を増築し、現在の曲り家の姿となった



天皇陛下もこの場所で昔話をお聴きになった



家の中の様子



私のお気に入りの場所



この奥に心残りの場所がある



御蚕神堂(オシラ堂)
心残りというのは、前回訪れたときピンぼけ写真ばかりだったということ



東北地方の家の神様といわれている「オシラサマ」を祭った「御蚕神堂(おしらどう)」






神域というのは写真には向かないと思いつつ、お堂を後にする









もう一度、佐々木喜善記念館に立ち寄り、資料をゆっくり読み直す






伝承園の出口が売店になっていて、数年前の愛想の良い女性もいた
無料の冷たいお茶をご馳走になり、何かを買いたいという衝動にかられたが…

撮影 平成28年5月26日

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