今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

東叡山 寛永寺 その2(東京都台東区上野公園)

2015年11月08日 | 神社・仏閣
東叡山 寛永寺
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した

不忍池辯天堂



不忍池の中心にあるのが弁天堂



不忍池辯天堂は、天海大僧正が琵琶湖竹生島になぞらえて、寛永年間に不忍池に中之島を築き建立した



昭和三十三年に再建されたのが現在のお堂
 


本尊の八臂大辯財天は、竹生島の宝厳寺から勧請した
不忍池弁天様は八本の腕に剣や弓などを握った八臂弁財天という形態



最初のうちは離れ小島で船を使って行き来していたという
不忍池のボートはその名残か



 


立入禁止となっている聖天島の神社
当初、弁天様はこの小さな島で元の神様と一緒に祀られていたようだ



大黒天堂
「豊太閤護持大黒天堂」と書かれている



徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願する場所に何故
豊臣家の怨念を鎮めたのか



地蔵菩薩と扇塚



弁天堂の横でスズメに餌を与えている人がいた
私も毎日、庭に餌をまいているだけに気になって見ていた
都会のスズメは人慣れしているのか。考えられない光景だ



私がカメラを持って近づいても、飛び去ろうとしない
お堂のことよりこちらの方に時間を費やしてしまった



撮影 平成27年10月14日
コメント (2)
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東叡山 寛永寺 その1(東京都台東区上野公園)

2015年11月07日 | 神社・仏閣
東叡山 寛永寺
寛永寺は、寛永二年(1625)慈眼大師天海大僧正によって創建された
天海大僧正は、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した
山号は東の比叡山という意味で東叡山となった

清水観音堂(重要文化財)
寛永八年(1631)天海大僧正により建立された



京都東山の清水寺を模した舞台造りの堂



寛永寺にある重要文化財の五重塔を目指して来たのだが、案内板によると上野公園内に寛永寺○○といった場所が数カ所
全部廻ってみよう決め、JR上野駅に一番近い場所が清水観音堂だった



手水舎



人形供養碑
清水観音堂の人形供養は安置する子育て観音に「子授け・安産・子育」を祈願した人々が心願成就のお礼としてお子様の身代わりを奉納し供養したことに始まる
今日では心の安らぎを得たり愛情を注いできた人形を報恩供養するようにもなった



戊辰戦争で焼失を免れた堂で、往時の雰囲気をしのぶことができる
本尊は清水寺より恵心僧都作の千手観音像を迎え秘仏として祀る
その扉の前に千手観世音菩薩のお前立ちを安置









歌川広重の代表作の「名所江戸百景」で描かれた、「月の松」



約150年ぶりに復活したようだ



階段を下り、下にある道路から撮す



ここからだと、舞台造りの堂だということが分かる



撮影 平成27年10月14日
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経栄山 題経寺<通称:柴又帝釈天>「彫刻ギャラリー」その2(東京都葛飾区柴又)

2015年11月06日 | 神社・仏閣
帝釈天の彫刻については、あるテレビ番組を視て知っていたが想像以上の作品群で驚いた

帝釈天彫刻ギャラリー 
帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われている

胴羽目板の法華経説話の浮き彫り



羽目板の上方には十二支と天人






法華経説話彫刻












16世日済上人の発願により、名匠 加藤寅之助師が大正11年に最初の1枚を彫る



翌年の大震災にもかかわらず名人たちが彫り上げ、昭和9年に完成
 


欅材の木彫は近世法華経美術の頂点をきわめている









彫刻を保護するため、内殿は建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」として一般公開
芸術作品にコメントはできないが、彫刻に圧倒され何度も何度も通路を往復した
 


邃渓園(すいけいえん)
庭園への立ち入りは禁止されているが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から見ることができる
 


寺院や城を廻っていると有名な庭園が多くある
私にはその良さがまったく理解できないため写真の枚数も少なくなる



周囲を歩くことができたので、本来とは逆に、庭からみている人間の方角を撮してみた









動物の石仏の前の茶碗には「御神水」か「御神酒」が



庭園の入口



客殿からの風景






この後、近くにある「矢切の渡し」に足をのばす
帰りには夕陽が二天門を照らしていた



 


撮影 平成27年10月13日
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経栄山 題経寺<通称:柴又帝釈天>その1(東京都葛飾区柴又)

2015年11月05日 | 神社・仏閣
経栄山 題経寺(通称:柴又帝釈天)
寛永6年(1629)、2名の僧によって開創された日蓮宗寺院
9世住職の日敬の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった
柴又駅から参道を数分歩いた先に二天門が見えてくる

二天門
明治29年(1896年)の建立。入母屋造瓦葺の楼門で、屋根には唐破風と千鳥破風を付す
帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置する
 


日光東照宮の陽明門を模したといわれている



多くの木彫群によって荘厳された重厚優美な二天門である






御神水
江戸寛永の昔、松の根方に霊泉の湧くのを見て、庵を結んだのが当山の縁起
寅さんの「帝釈天で産湯をつかい…」は、この御神水のようだ



浄行菩薩
法華経に説く四菩薩の一人で、地水火風の四大の内、水大の菩薩として、この世を浄化し、人々の罪や穢れを洗い清める



南大門
二天門前もそうだが自転車が多く、地域に根ざした寺という感じがした



祖師堂(本堂)
古くから帝釈堂として、江戸の信心を集めていた
明治になって、現在の帝釈堂を造り上げて移し、大修理を加えて現在の祖師堂になる



釈迦堂(開山堂)
当山最古の建造物。文化・文政期の江戸の伽藍造り
内陣に白鳳期の釈迦立像を安置し、当山の開祖・日栄上人と中興祖・日敬上人の木像を奉祀









大鐘楼 
昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼。高さ約15m
寅さんの映画でも、この大鐘楼の効果音が挿入されている



団体観光客が引けたので、お目当ての帝釈堂に移動する



帝釈堂
手前の拝殿と奥の内殿から成り、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付す



内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置



帝釈堂の内殿外側全面ある浮き彫りの装飾彫刻は必見である

撮影 平成27年10月13日
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大井競馬場でナイター競馬を楽しむ

2015年11月04日 | 放言大論
私のブログに「あしあと」を残している方々のブログを開いてみると、猫を飼っている人が多い
猫は苦手な方だが、BSの『岩合光昭の世界ネコ歩き』を、よく見る。カメラアングルが独特で実に面白いからだ。

私が好きなのは馬だ。競争している馬の順位を予想するのが好きなのだ
必然的に、この日の東京観光の最後は大井競馬場になった

モノレールを降り、競馬場への道を急ぐと、まもなく馬の匂いが漂ってきた
入場券を購入し場内に入る。数年前からみると「きれいになった」が第一印象である



ローカル競馬が、「東京シティ競馬 (TCK) 」の愛称に。田舎娘が洗練された女性に変貌した



まず、パドックに向かった。目の前に「大井の帝王」的場騎手が通る
南関競馬で20年以上馬券を購入しているが、困った時にはお世話になる信頼できる騎手だ
この日の馬券はすべて的場騎手から購入した



私が学生の時、この馬場に「ハイセイコー」が走っていた
その10数年後に笠松から中央に「オグリキャップ」が現れる
その頃から馬券を買い始めた。30年以上のキャリアをもつことになる



競馬と言えば、「競馬新聞に赤鉛筆を持った親爺」が頭に浮かぶが、今はそうではない
例えば「ファンファーレ隊」も男性から女性に変わった
入場するときからスポットライトをあび、行進してくる



先導馬に騎乗しているのも女性だ。場内カメラが寄ると手を振る演出もある
さすが水着はないが、レース内容により和服で登場することもあり、ファンの目を楽しませる



今回、大井競馬場に来た目的の一つがファンファーレ隊を見ることだ
後半の3レースのみ「生演奏」をする



リーダーの足踏みの仕草により演奏が始まるが、ファンファーレ隊の仕草が可愛く人気になっている
演奏もすばらしいが、能力ある美女は見ているだけで楽しい



昔から南関競馬との相性がいい。北海道では新聞を購入できないのでTV画面のパドックと返し馬を参考にする
生で見ると当然的中率もアップする
さて、馬券購入の結果であるが 5レース購入し2レース的中(的場騎手4レースにからむ)



この日は朝9時から東京都内観光で歩きすぎ、足首にかなり負担がかかって痛みが出てきた
予後不良とならないうちにホテルに戻ることにした

私にビクトリーロードはあるのか



撮影 平成27年10月13日
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矢切の渡し(東京都葛飾区柴又~千葉県松戸市)

2015年11月03日 | 名所・旧跡
つれて逃げてよ… ついておいでよ…
夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し
親のこころに そむいてまでも 
恋に生きたい 二人です

細川たかしの「矢切の渡し」の歌詞である。
それが、帝釈天から歩いて10分ほどのところにある。

歩いて行くと、柴又駅で写真を撮ってあげた、世田谷のセレブに会った
「どうでしたか」と尋ねると。大きく横に手を振り「何もない」と
 
すでに舟の出発時間になっていたが私を待っていてくれていたので乗ることにした
船頭に片道ですか往復ですかと聞かれたが、泳いで帰って来るわけにいかないので「往復」と応えた



これが、「矢切の渡し」 
NHK朝ドラ「あさがきた」風に言えば「びっくりぽんや」である
江戸時代に、江戸川の両側に田を持つ農民が、関所を通らずに江戸と往来したことから、この「矢切の渡し」が始まったという



昔風に艪で漕いで舟を進める
急ぐと4~5分で着くと思うが、ゆっくり時間をかけて進めてくれる



若い船頭に「向こうに何があるの」と尋ねると、「何もありませんよ」とあっさり
愛想はないが正直そうだ。「水深は」聞くと、「深いところで7m位ある」と



向こう岸に着いたが船頭の話したとおり何もない
変わった黒い犬と細川たかしの「矢切の渡し」と刻まれた石碑があるだけだ



「野菊の墓」の政夫と民子の悲しい恋の舞台であることを案内板で知った



行きでは気付かなかったが、遠くにスカイツリーが見える



若い外国人観光客だがどのように感じたのだろうか



撮影 平成27年10月13日
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葛飾柴又「男はつらいよ」(東京都葛飾区柴又)

2015年11月02日 | 放言大論
人情味溢れる映画「男はつらいよ」は、苦手な分野の映画で好んで見ることはない
しかし、フーテンの寅さんの生き方
私とは体型以外にも共通することも多く、訪ねてみたいと強く思っていた
柴又駅に降りたが、ここが東京なのかと目を疑った



「フーテンの寅」像
1999年に地元商店会と観光客の募金によって、柴又駅前に建てられたそうだ

長い旅から故郷に戻ってきたような感じがする像だ
この像をバックに世田谷のセレブから撮影を頼まれた
通常、数秒で済むはずが、注文が多く5分以上もかかった
さすが、昔のお姉さん。遠慮がなくて楽しい



銅像の足元に、山田洋次による寅さんの故郷への思いが刻まれている



帝釈天参道
帝釈天の参道ということが一目でわかるのがいい
歩いていくと、時間がゆっくり刻んでいくような不思議な感じがする



誰もが知っている寅さんのフレーズ。このあと主題歌が流れる
これがなければ物語が始まらない。そして、ワンパターンの内容に皆が惹きつけられていく
(フィルムに書かれていることを、写真をみて発見した)



狭い参道の両側に商店が並んでいる
他の観光地とは違い、参拝者に気遣いながら商売をしているのがいい
「とらや」の看板、第一話から四話まで、この店で撮影したそうだ



参道の先には帝釈天の「二天門」がある。柴又駅からゆっくり歩いても10分程度



この後、長い時間をかけて寺を廻り、そして少し離れた場所へも
気がつけば帰りがすっかり遅くなり日も暮れてきた



再び、「とらや」周辺。名物の「草だんご」を食べたかったが、一人では量が多すぎる
あきらめ、ゆっくり柴又駅へ向かう



「旅に出る寅さんが、さくらの方を振り返ったシーン」をモチーフとしているらしい
すでに、寅さんは永遠の旅に出て、もう戻ることはない。それを感じさせるいい像だ

一所懸命努力して生きている人より、勝手気ままに生きている人間の方が「つらい」場合がある
「男はつらいよ」 絶妙な映画タイトルだと思っている



私のブログタイトル「今、出発の刻(たびだちのとき)」も、かなり時間をかけて考えた
 
撮影 平成27年10月13日
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長栄山 大国院 本門寺(池上本門寺)その3(東京都大田区池上)

2015年11月01日 | 神社・仏閣
この寺を訪れた大きな目的は五重塔にある
可能なら全国にある重要文化財・国宝に指定されている塔を廻ってみたいと思っている



五重塔(重要文化財)
桃山時代・慶長13年(1608)建立。高さ31.8メートル
空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つ
時代なのかドローン禁止の立て札が目に付く。昨年はなかったはずだ



本塔の発願は徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願だった
この日は秋晴れで過ごしやすかったが、陽射しが強過ぎて塔に色が着かない



関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔らしい



全面ベンガラ(赤色塗料)塗り、屋根は初層と二重は本瓦葺き、三重以上は銅板葺き
建築様式は初層は和様、二重から上は禅宗様



墓地から撮影



力道山の墓
本門寺には著名人の墓が沢山あるが、日本中にプロレスブームを生み出した力道山の墓



小学校の頃、不死身の力道山がやくざに刺され死んだことが信じられなかった



家にテレビがきたときにプロレス中継を父と共に熱中して視ていたことが懐かしい



本門寺には絵師の狩野探幽と考信、俳優の市川雷蔵などの墓もある。墓から見える大堂



東京にある2つの重要文化財の五重塔の1つである



日蓮聖人像(説法像)
宗祖七百遠忌記念のとして昭和58年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納された
枝を揺らし説法しているように撮ったのだが



96段の急な石段を降り、池上駅に向かう



撮影 平成27年10月13日
 
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