21時45分にようやく小浜エイドに着きました。
着替えて、装備を補充して食事して、
時間の計算がしやすいようにと
22時30分に出ました。
残り100キロの制限時間は18時間半しかありません。
む、ムリっぽい・・・
でも、行くだけ行かなきゃ。
リスタートしました。
森先生が「がんばって!」とエールで送り出してくれました。
先を急ぎました。
少し速いペースで、6分30前後で走っていたと思います。
痛みが耐えられなくなったら、30歩く、というふうにして進みました。
とにかく、まずは後半最初のエイド、
186.9キロ地点の津波見エイドをめざしました。
あそこまで、まずはがんばろうと。
muramotoさんとyamanakaさんと3人で前後しながら進んでいました。
このあと、原城の手前まで、ずっと前後しながらの走行となりました。
この区間で、すでに相当の数の100キロランナーに
抜かれてしまいました。
ぼ〜っと抜かれながら進んでましたが、
ふと、この時点で元気な100キロランナーに抜かれたら
まずいんじゃないか?ということに気がつきました。
これはもう少し焦らないといけません。ふらふらしてる場合じゃない。
それにしても眠くてたまらない。
muramotoさんもかなり眠そうです。
ふらふら歩いて、ふと立ち止まります。
立って寝てるんです。
「だいじょうぶですか?」と聞きますが、
もう、だいじょうぶってどこまでがだいじょうぶなんだか・・・
聞いてるわたしもだいじょうぶなのかどうか、あやしい状態です。
歩き出すととたんにモウロウとしてきます。
ガードレールについてるポールが
ロングコートを着た人の後ろ姿に見えたりします。
近づいたら、あ、見間違いか、と思うんですが、
これが、みんなが言う幻覚だったようです。
いろんなものが人に見えました。
わたしのすぐ横にはずっと並走している人がいたし、
防波堤に絵が描いてあると、それがするするっと逃げて行きました。
どこかで仮眠しようかと寝るとこを探しながら進みましたが、
適当なところが見つからず、
エイドに着いたら寝かせてもらうことにしました。
津波見エイドでは、リタイアしたたこ嬢さんと河内のおっちゃんが
元気にボラしてくれてました。
そして、奥の椅子で寝かせてくれて
15分たったら起こして、とたのみ、仮眠しました。
仮眠をしたら、少し回復しました。
が、それもつかの間、すぐに眠気が強くなってきました。
次のエイドまで頑張らなきゃ。
つぎは194.4キロ地点口之津エイドです。
エイドとエイドの間はほんの7〜8キロしかないのに
その倍くらいに感じました。
ふらついて、進むのにとても時間がかかりました。
ヘッドライトの光が弱くなってきて
視界が悪くなってきて、さらに眠気が強くなりました。
口之津エイドで電池を取り替えました。
このあたり、通過時間を覚えていません。
多分もう、100キロのランナーみんなに抜かれて
最後尾くらいになっていそうでした。
バス停があったらコースマップを見て、
いま、何キロまできた、と、
1キロ程度の進みをはげみに進み続けました。
いつのまにか muramotoさんは視界からいなくなっていました。
反対車線がわの歩道をyamanakaさんが歩いていました。
原城址入口までは、できるだけ走ろうと思いました。
yamanakaさんを抜いて、先へと進みました。
原城址入口まで、ひどく長く感じました。
かどをやっとの思いでまがると、少しほっとしましたが、
のんびりしているわけにはいきません。
できるだけ走りました。
でも、お城への坂道は歩いてしまいました。
と、エイドに着くと、誰もいませんでした。
荷物は置きっぱなしで、鍋もタッパも蓋も閉めずに
なにもかもやりっぱなしで置いて行ってあります。
まるでなにかに襲われて、あわてて逃げたあとみたいでした。
なにかあったのかな?と思いながらも、
奥のチェックポイントに急ぎました。
すると、後方から呼ばれて、
パンチがこわれているから、こっちでチェックします〜!
とスタッフが叫んでいます。
そそくさともどり、チェックを受けました。
エイドスタッフは4時半で先に行ったそうです。
このとき、5時半をすぎていたと思います。
あちゃ〜、前半ゆっくりしすぎました。
もう絶望的になってきました。
エイドのおかゆを暖め直して食べようかと思いましたが、
そんな時間はありません。
くだものを少しつまんで出発しました。
原城趾を出てからは、必死に走って先を急ぎました。
必死に走ってたら、前からスタッフ車がきました。
ぎんさんやりょうじさん、ママさんたちが乗っていて
あったかいものをつくってあげようか?
と言ってくれましたが、もう時間がありません。
「時間がないのでいいです」と言って先に進みました。
ほどなく、明るくなってきました。
3日目の朝が来ました。
明るくなってからのこのあたりを通ったことがないので
途中で道を間違えたのではないかと思い、
少し引き返したりしました。
でも、少し先で見覚えのあるオブジェを見つけて
また進み始めました。
もう痛みでほとんど走れなくなってました。
眠気もMAXで、たまらずなにかお店の駐車場の段差に腰掛けて寝ました。
10分ほどウトウトしてまた歩きだしました。
でもまたすぐ眠くなりました。
朦朧としてまっすぐ進めません。
車道に行ってしまうか側溝に落ちてしまうかどちらかという感じで
こわくて足がすくみました。
ああ、だめだ。
とても島原に間に合わない。
立ち止まっていたら、ボラスタッフが車で来て
「だいじょうぶですか?」と声をかけてきました。
わたしは「やめます」と言いました。
「西の浦」というバス停の前でした。
208kmでわたしの湾岸Wがおわりました。
収容車で島原に向かってたらかわりゅうさんがリタイアして乗ってきました。
コース上にはまだまだ先を目指して進んでるランナーがたくさんいました。
島原エイドに着いて、かわりゅうさんとお疲れさんの乾杯をしました。
なんだか気持ちは無感動状態でした。
ショックもなければほっとしてるわけでもない。
まわりにはまだまだレースを続けているランナーがたくさんうごめいている中で
自分は終わっている。
心の整理が着いていないとは、ああいう状態をいうのでしょうか。
そのうちにバスが来て、すばらしく荒い運転で小浜に向かいました。
バスの中ではぶんぶんふりまわされているにもかかわらず爆睡していました。
ゴール会場にもどると
oobaさん、nisidaさん、Hさん、Dさんの
リタイアした諸先輩がたがかいがいしくボラしていました。
なんだかかわいかったです。
そして、わたしを見つけたDさんが、開口一番
「俺が早くに離れていればよかったな、足を引っ張ってごめんな」
と言いました。
ああ、わたしはDさんをできるだけ引っ張りたかった。
頼まれたわけではないのに、そうしたかったからした。
自分も前に人がいてくれることでがんばれるから
そういう役割をしたかったし、
夜を越えるためにともに走ってくれたDさんと
できるだけ一緒に行きたくて行ったのでした。
でも、むしろ離れて行った方が、Dさんの心の負担にならなくて
よかったのかなと思いました。
お風呂に入ってから
公民館の部屋で爆睡してました。
起きて少ししたらkimiさんが来ました。
kimiさんは「きょうの平成新山はあの絵のとおりだったよ」と言いました。
そしたら、急に涙があふれてきてkimiさんの腕の中で泣きました。
宴会ではリタイア仲間の諸先輩がたやあいあいさんと同席で
楽しく語り合い、また、次から次に仲間が来てくれて
楽しく過ごしました。
で、リタイア代表でひとこと言うように
縞猫さんからマイクをわたされました。
「とっても悔しいので、
今回の参戦を最後にあとはボラをするつもりでいましたが、
また273に参戦したいと思っています。
リベンジしたいです」
と言っている自分がいました。
今回、208キロまでしか進みませんでしたが
その間の時間は、とてもすてきな時間でした。
いろんな仲間とのいろんなかかわりがあり、
悩みもしたけど、ぼ〜っとした頭ではあったけど、
そのとき最善と思う行動をしたと思っています。
ちがう判断をした方がよかったのかもしれないと
あとで思ったりもしてますが、
あれでよかったんだと思うことにします。
これもまた、思い出です。
いい思い出です。
そういえば、2007年にはじめて橘湾岸に出たとき
Tさんが膝を痛めてたった29キロでやめようとしていたのを
なんとか完走させたくなって
自分のレースをほっぽりだして、Tさんと最後まで歩いたんでした。
遅すぎて、途中ワープさせられました。
あれもまた、いまとなってはいい思い出です。
みなさん、いい思い出をつくってくださって
ありがとうございました。
次にチャレンジするときには
どんな思い出ができるのかなあ?
「リトライ」します。
きっと今度こそ負けずにがんばりたいです。