橘湾岸スーパーマラニックのボラに行ってきました。
22日は家を出るのが6時40分ごろだったので
走らないつもりでしたが
2キロだけ走りました。
きょうも疲れてて走りに行かなかったので
距離合計が減っちゃいました。
あたた。
練習しなさいとガーミンが言ってます。
それはさておき、
6時40分に家を出て2キロ歩いて豊明駅へ。
豊明駅から名鉄で名古屋駅へ。
名古屋から新幹線で博多まで。
博多から長崎までは高速バス。
で、15時半ごろ長崎入りし
大会受付に行き、しばらくスタッフとおしゃべりして
スタッフの車が来るのを待ち
そこから車に乗せてもらって女神大橋エイドに行き、
ここからボラ業務につきました。
気温が10℃くらいまでさがって寒かったです(><;)
ここではうどんとおいなりさんを提供しました。
ここは19時半までいて、
あとは撤収担当班にお願いして川原エイドへ。
途中、茂木エイドに寄って食事をもらったり
預けてたエイド用品の引き取りなどして進みました。
川原エイドについたら開設をし
作業の段取りを決めて選手の迎え入れをしました。
ここではピラフとスープ餃子を提供しました。
ここは「老人いこいの家」で畳の部屋があるので
選手は休憩ができました。
また、オーバーナイトのため
ここでリタイアをする選手も何人かいました。
リタイア者はここで収容車が来るまで休んでもらいました。
わたしたちも交代で1〜2時間仮眠しました。
ここには23日7時までいて
撤収担当班に引き継いで小浜へ。
小浜の公民館についたら少し休憩して
後半の食事作りをしました。
と、なにがなんだかよくわからない状態が発生。
よくわからないですが・・・
前半のエイドで提供すべき食材が見つからずに
急遽インスタント製品で作って提供することになったこと、
提供できなかったので当然それが余ってたんですが
それがあとで見つかり、後半のエイドで提供されることになったんだけど、
ミネストローネだかクラムチャウダーだかホワイトシチューだか、、、
そう言ったじゃない!そうじゃなくてこうだ!
という言い合いが展開されたり
言い間違いも挟まって、
もうなにがどこに行くのかがわからない・・・
そんななかで中華粥と生姜汁と豚汁を作り
おにぎりを数百個にぎらないといけないという、
しかもおにぎりの数がどこに何個いるのかが
なかなか把握できなくて、
さあ、これで足りたぞ、と言ってたら
いやいや足りないぞ、となって、
まさにけんけんがくがくな修羅場へと・・・( ̄◆ ̄;)
それでも夕方19時ごろには落ち着いて
仮眠することができました。
24時に次のエイド島原城に向かいました。
約1時間で到着し、設営開始。
ここではお赤飯と豚汁などを提供しました。
ここは屋外の吹きっさらしなのでさっぶ!!
気温は8℃くらいまで下がってたようです。
そこへトップのH部門の杉下さんが3時50分ごろ到着し
その5分ほどあとにW部門の平田さんが到着。
平田さんが先行で出発しました。
杉下さんはちょっとフラフラするので休みますと
建物の陰に。
この寒さの中で外で寝てたら低体温症になると思い
待機していた収容バスに乗せようかと話してたんですが
収容バスに乗るとリタイアになるそうで
せめてバスに積んでいた毛布をかけてあげたら
「もうだいじょうぶです」と言って
すぐに起きて出発していきました。
公民館などの室内の暖かいエイドで寝るぶんにはいいけど
そうじゃないところでバスに乗るのはダメというのは
どうなんだろう?と思ったけど、
そういうルールなら、
寒いところで休憩しても大丈夫な体力をもつとか、
休憩は暖かいところでとるという計画性をもつとか、
そういうのも実力ということなのかなあと思いました。
夜中のうちはポツンポツンと選手が来て
そのうち援護のボラ班も来たので
ボリュームゾーンが来る前に
車で少し仮眠しました。
夜明けの少し前の空がうっすら白んでくるころに起き出して
またボラに入りました。
ここは10時が関門です。
でも7時くらいに通過しないと先が厳しくなります。
ボリュームゾーンがだいたいそのあたりで
それを過ぎたらだんだんに選手も減ってきます。
それにここは103キロ部門でも57キロ地点で
276キロ部門で230キロ、320キロ部門で274キロ起点なので
みんなぼろぼろです。
遅い選手ほどぼろぼろです。
しかもこの先は山間部エリアになるので
収容車が到着するのに時間がかかります。
もし動けなくなっても寒い中で長い時間を待たないといけません。
でも、ここなら収容バスが待機していて
すぐにぬくぬくです。
その誘惑は強烈です(^^;)
ぼろぼろのからだでつぎのギリギリの関門を目指すためには
かなりの気力が必要です。
なので、ここでリタイアを決める選手は多いです。
ようやく夜間の睡魔との戦いを切り抜けてここにたどり着いて
ここから山!というこの大会のコースの過酷さを
改めて思いました。
わたしたちの班は10時までが担当なので
あとを撤収担当班にたのんで小浜の公民館に行きました。
途中、雲仙のエイドに寄ると強風でテントが飛ばないように押さえながら
対応をしていました。
小浜に帰ってからしばらく休んで
今度は片付けとリタイア者やゴールした選手の食事の対応をしました。
15時あたりからは撤収したエイドからの洗い物と
提供した食事の食器洗いとが重なって
それから数時間の間は一心不乱に洗い物と格闘することになりました。
つ、疲れた・・・
公民館の撤収は19時半を過ぎていて
それから打ち上げ会場に着いた時には
打ち上げは早くに始まっていたので
早く参加できた人たちは出来上がってる状態でしたが
それがまた楽しかったです(^^)
帰宅は日が変わった25日でした。
24日に公民館の業務が終わってからでは
愛知までたどり着けないのと
体力的に無理だろうと思って
25日にしました。
家に着いたのは21時でした。
やっぱり遠いな〜。
しかも
きょうになってもまだ疲れてます(;・∀・)
でも、このところ、走ることへの熱が冷めてきて
橘を走ることも、もういいかななんて思うようになってたんですが
選手たちの姿を見て、モチベーションがあがりました。
やっぱり、走りたいなあと思います。
無理して行ってよかったなと思いました(^^)
参加したみなさん、お疲れ様でした〜!