2007年の初頭にからだのバランスが狂い、
常に重心が前に流れてコントロールできなくなっていたのが
故障の自覚の最初だった。
でも、故障とは気がつかず、
治すこともできないまま、
阿蘇50キロ、福岡シティハーフ、橘100キロと出て、
その年の10月、大濠でのランザローテ練習会の
20キロペーランでついに痛みが勃発。
治療に通いだすものの治らず、
青太に出て悪化し、
また治療するも芳しくなく、
2008年には、第一関門まででいいからと阿蘇に出て、
その後しばらくして、とうとう右足のコントロールを失ってしまった。
その後、何年もの間、
右足をまともに動かせないできたけれど、
少しコントロールができるところまで持ち直して、
なんとか走れるところまでもってこれた。
そして、同時にもうこの故障が完治することは
望めないのかもしれないと思っていたので、
2012年秋に、橘100キロを一応復帰戦という位置づけで走った。
完走できて、とてもうれしかったし、
仲間もみんなとても喜んでくれた。
でも、いまにして思えば、ぜんぜんひどい状態だった。
それでも、それまでよりはずいぶんましだという気でいたから、
2013年には橘173キロを走り、
秋には273キロに挑戦した。
そして、2014年の橘173キロで故障が悪化。
これはいけないと、故障の改善に努めることにし、
練習量を落とし、歩きをメインにした練習にした。
すると徐々に改善し、もしかしたら完治できるかもしれないという
希望も持つようになり、引き続き、完治目指して努力を続けた。
しかし、なかなかすっきりと完治には至らない。
それでも走れそうならと、橘にエントリーは続けていた。
が、ことごとくDNSとなった。
大会を走れなかったのは辛かったけど、
治すことの方がだいじだからと自分に言い聞かせて、練習の質を落として、
からだの状態をしっかり見ながら自分なりにケアするうちに
今年の夏には、ずいぶん改善できてきた。
でも、これ以上は自分だけで治せないと判断し、
いまの整骨院に通い始めた。
これまで、整形外科6軒、治療院8軒のお世話になった。
そして、ようやく完治できた( ̄▽ ̄)
こうしてこれまでのことをダイジェスト版で書いてみたけど、
それでもこんなに長くなっちゃったな~。
ほんとに長かったな~。
こうして治ってみて、
自分はもう完治することを
諦めていたんだということに気がついた。
そんなはずないとか、
きっとまたぶりかえすんだろうとか、
そんなふうにしか思えなかったのだ。
だから、はっきり完治しましたぁー!!
と言えなかった。
完治と言えるとか、ランナー復活だとか、
煮え切らないことしか言えなかった。
でもみなさん、今度こそは、
完治!
したんですよ!
これまで、状態がよくなったら完治したと勘違いして、
みなさんに何度もぬか喜びさせてきてしまったけど、
今度こそは、ぬか喜びでなく、大喜びしていいんですよ!
ほんとにこれまですみませんでした。
そして、ここまでずっと心配し、応援してくださり、
ありがとうございました!!
みなさんがいてくれたから、
ここまでがんばれたと思います。
もし、仲間がいてくれなかったら、
いつか走ることは諦めていたと思う。
そして、このブログも消えていたと思う。
ほんとうにありがとうございました!!
そして、これから、改めて、
よろしくお願いします!!
いまはまだ400mくらいしか走れないけど、
少しずつ走れるようにしていって、
故障の間、
動かない足で辛い思いして進んだあんな道こんな道を
気持ちよく走りたいと思ってる。
じつはおとといは、わたしが走り始めたころからの仲間
「九州で走ろう会!」のみんなで集まっての飲み会だった。
わたしが普通に走っていた頃を知ってる仲間だ。
完治の報告をしたらすごく喜んでくれた。
そして、次から次に楽しいランの計画のお誘いをしてもらった。
うれしかった~( ̄▽ ̄)
で、その飲み会には
家からお店までの10キロを歩いていったった( ̄▽ ̄)
なので、きのうは休足日にした。
そして、きょうは練習した。
近所の青葉公園に行ってきた。
芝生ひろば400m2周ジョグ。
あいかわらず一周でせいいっぱいだったので、
一周ごとに休んで走った。
2'58"+2'48"
流し100m×2回。
合計で1キロになった。
まだ右への重心の移動がヘタ。
でもコリも減ってきて
練習するたびによくなってるので
ちゃんとできるようになる日は近いと思う。
ファイト!ファイト!
いっぺんに1キロ走れるようになる日は近いと思う(  ̄^ ̄)ゞ