きのうは阿蘇対策のひとつとして
この衰えきった体力を少しでも改善すべく
長時間労働、
じゃなくて、
長時間運動をしなくては!
てんで、歩きでもいいから
とにかく4時間以上動こう!
という企画をもくろみました。
ほんとは7時間くらい動きたいところですが
今の段階じゃまず無理だと思い、
妥当な線として4時間と見込みました。
んで、せっかくだから
長崎街道をちょっくら行ってみよう!
と考え、ルートを調べてたら
出発が遅くなり、あんまし時間がなくなってしまいました。
結局、4時間くらいしか時間が確保できなくなりました。
ほいで、JRで基山駅まで行き、
そこから冷水峠(ひやみずとうげ)を目指すことにしました。
前回、小倉から街道を「下り」ましたが
今回は「上り」ます。
地図をたよりにできるだけ旧街道をたどろうと試みましたが
かなりの割合で、道は消失していました。
この奥には数十メートル昔のままの街道が残っています。
このあたりは、筑前、肥前、筑後の
3つの国の境界がまじわるところで、
その国境石もありました。
おおむね国道3号線にそって
原田(はるだ)宿に向かいます。
当時、人家は百軒あまりと
かなりのにぎわいのある町だったようです。
残念ながら、区画整理されて道すらほとんど残っていません。
おおむね宿場町には、その入り口に
「構口(かまえぐち)」という門があるのですが
それもありませんでした。
このあたりは地形も道も当時のままのようでした。
ここから山家(やまえ)宿までの道は
ほぼ9割くらい旧街道が残っています。
面影はなく、ただの道なんですが。
T字路のわきに郡境石がありました。
「従是西御笠郡東夜須」とあります。
東夜須方向へ行きます。
ここを左に。
この辺は、道が3つに分かれてます。
どれでもいけそうです。
旧道らしい感じになってきました。
郡屋は、郡奉行や藩の役人などが
各村役人や庄屋などを集めて藩の命令を伝えたり
山家宿を通過する奉行、諸大名、役人等の
宿泊、休憩に関する打ち合わせなどに使われた施設です。
いまは、地元の人が暮らしています。
ここから数メートル先で国道に突き当たります。
左折して数百メートルで東構口ですが
いまはありません。
そのまま国道を進んで行くと
冷水越えです。
ん?あの、トイレみたいなちっこい建物が駅かな?
近づいてみたら、駅でした。
幸い、1〜2時間に1本という電車の到着まで
あと20分でした。
もちろん、列車が近づくのを知らせるベルも鳴ることなく、
のどかに
1両編成のディーゼルがかたんかたんやってきました。
それに乗って帰りました。
ずいぶんがんばって歩きました。
20キロくらいは歩いたかも、
と思ったけど、
ジョグノートで計測したら12キロしか
ありませんでした・・・
http://www.jognote.com/user/3080/classic
でも、ビッコにはちょっとしかならず
なんとか普通に近い歩き方ができました。
麻痺はあるんですが、今回はだいぶうまく動かせました。
いい練習ができたと思いました。
つぎは、走るロングをしたいです。
走る励みにしたいので、
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