日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

医科の前に歯科が潰れる・・・

2008-01-27 07:31:04 | Weblog
 歯科医に広がるワーキングプア (医療介護情報CBニュース)

 産科・小児科・救急医療を中心に「医療崩壊」が各地で社会問題化する中、歯科医療がより危機的な状況にあえいでいる。2000年以降の相次ぐ診療報酬のマイナス改定で医療 機関の経営が全体的に悪化したばかりでなく、歯科では73項目にわたる保険点数が20年間も据え置かれていることが影響している。歯科医師や歯科技工士らに支払われる診療 報酬は先進国に比べ極めて低く、歯科医師の5人に1人が年収300万円以下、歯科技工士の3人に1人が200万円以下のワーキングプア状態に置かれているという。

 ウーッ、歯医者さんがお医者さんよりも先に倒れてしまいそうだなあ。6カ年の大学生活後に首尾よく国家試験に合格しても、何も出来ない。安いお金をもらって見習いをしながら、借金をして開業する。しかし、実際は、開業しても、夜逃げって感じのケースもあるらしい。

 歯科医師は、医師以上に増え過ぎて、医師は26~27人程度に比べ、歯科医師は単科で10万人程にもなっているとか。全国の内科を標榜する診療所は、約5万件、歯科は6万件以上で、更には、年間増加数でも、明らかに歯科の方が内科よりも多くなっているとか。その数は、全国の総コンビニ件数4万件をはるかに上回っている。2008年4月の保険改定が計画通りに実施されれば、とある有名団体の試算では、2010年頃までに約3分の1の歯科医院は廃院に追い込まれるとのこと。
 歯科衛生士の給料は、同年代の短大卒のOLよりも給与や時間給が低く、その為に歯科衛生士の離職に拍車がかかり、歯科衛生士の免許を
もちながら、他の職種につくケースが対数曲線的に増加しているとのこと。
 医療と同じで、歯科保険も、良心的にすればする程、診療報酬が増えない仕組みになっているらしい。医科と同じ出来高払い制度なので、「予防」に力を入れる程、収入減となる。いい歯科医師は、できるだけ歯を残そうとすると思うし、できるだけ歯を削らない様にしようとすると思うので。しかし、そうすればするほど収入が減ってしまう。これは医科でも同じじゃないでしょうか。良心的な医師は、西洋医学の多くが対症療法でしかないことを熟知していて、(無駄な検査をせず、捨てられる薬を処方することなく、収入に直接結ぶ付かない、いや、むしろ減になると思われる)生活習慣の大切さを強調し過ぎる程に何度も強調していますから?!

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県立島原病院小児科

2008-01-26 15:18:56 | Weblog
 3月で小児科休診 医師不足、長崎大が「派遣限界」 長崎県立島原病院(2008年1月25日、毎日新聞)
 島原市の県立島原病院(松尾繁年院長)の小児科が、3月22日から休診することが分かった。小児科医師の不足が背景にあり、病院側は「早急に再開できるよう鋭意努力している」と話している。
 県立病院は島原半島の拠点病院。島原市内には小児科医院が少なく、高度で専門的な治療が受けられる県立病院が大きな役割を果たしている。06年度は、延べ6888人が外来を受診、1835人が入院した。
 県立病院の小児科医師は長崎大からの派遣。これまで2人が派遣されていたが、今年度からは1人体制になっていた。
 長崎大医学部小児科医局の森内浩幸教授によると、過酷な勤務などから小児科医が5~7年前の半数にまで減っており、医師の派遣が限界に来ていることが理由。「島原病院の休診は断腸の思い。再開しないといけないことは分かっており、私たちも一生懸命対応している」と話す。
 大村市でも06年度末で長崎大から市立病院に派遣されていた医師が引き揚げたが、こちらは近くにある長崎医療センターへの集約で医師全体の数は変わらず、島原とは事情が異なる。
 県立病院で受診している市内の主婦(30)は「子どもが生まれた時からかかっており、県立の存在は非常に心強かった。(休診は)ものすごく困る」と話していた。

 ムーッ、少なくなると、残った小児科医がその分を背負うことになり、一気に負担が多くなる。あまりお金のことを言いたくないが、小児科医の募集での給与、他の科と比較しても忙しい割には決して多くない。採算が合わないので、小児科の入院ベッドの7割が、公的な病院になっている(内科系では、反対に、3割が公的)。小児科の場合、季節的な変動が大きく、忙しい季節だと、ベッド確保でも小児科医は悩まされる。夜も体を壊して仕事をするくらいなら、多くの小児科医は、開業の道を選ぶでしょう。体を壊さなくて済む程の病院だと、多分、小児科では赤字になっているでしょう。

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為になるかも知れない本(その254)

2008-01-26 09:30:31 | Weblog
○昭和61年4月3日(木)雨。
 少しカゼ気味だ。首が凝っている。眠たい。脱力感。何となく元気が出ない。○さんの話だと、仕事をしている医者であればあれ程、外で思いっきり遊んでいるとのこと。飲み、打ち、そして買いと。その打ちの一つも自分はしていないなあ。
○昭和61年4月8日(火)晴。
 頭が痛い。思うに、(日曜の小児科学会での質疑応答で)批判することは簡単だが、実際にするとなると難しい。発表にしても、忙しい中でスライド作るまでって、大変だのだ。今まで続けて(学会で発表を)28回もよくしてきたと思っている。○○先生や○○先生は、励ましてくれるけど、皆が皆そうでないのは、いろんな人がいるから仕方ないかなあ。
○昭和61年4月11日(金)晴。
 英会話の日だった(アメリカ人から医師4人がずっと教わっている)。90分間、殆ど英語で話した。結構楽しかった。Bobはゆっくりと話してくれるけど、普通のアメリカ人は、早口だ。もっと上手にならないといけないなあ。
○昭和61年4月16日(水)晴。
 風邪気味だったが、東京海上ビルで18:00~19:40まで、講演した。自分ではいい話をしたと思うけど、僕の詰まった言い方とネが多いことで、聞いている人の中に、眠っている人もいた。ま、こんなものかなあ。
○昭和61年4月29日(火)雨。
 (小児科のスタッフだったナースの)○○ちゃんの結婚式で、ビデオをバッチリ撮ってあげた。疲れて、肩が痛くなった。祝辞も言い、唄も歌った。小児科に来ると、何故か、どんどん結婚して行くなあ。どうしてかなあ。

 ある結婚式での私の祝辞の中の一部(4月29日の内容ではない)、・・・茶道(お濃)での茶入(ちゃいれ)を拭く前の帛紗捌(ふくささば)きで、四方(よほう)捌きと言うのがあります。次の様に心で思いながらします。東を向いては親の恩を思い浮かべ、西を向いては師の恩を思い浮かべ、南を向いては家族の恩を思い浮かべ、北を向いては友達に感謝する。つまり、世の中を生きる上で忘れてならないことは、今の自分は自分だけの力でそうなったのではなく、多くの人の援助があったからこそ、そうなっている訳で、そのことを常に忘れることなく、多くのことに感謝して、今後の結婚生活を送って下さい。・・・

○昭和61年4月30日(水)晴。
 佐伯警察署に行った。更新した。15年間無事故。運転しないから当たり前か。郵送で送ってもらうことにした。700円要った。視力が少し落ちている。これがいつも免許を更新する時に心配になる。後3カ年後に車を持っているだろうか?医大から小児科医の常勤医が一人が来れば、それも可能かなあ。まだしばらく、このままで行きそうだなあ。
○昭和61年5月1日(木)雨。
 ショックの日だった。雨に濡れてダビングしたのを自転車に乗って取りに行って再生してみたが、よく撮れてなかった。(レセプトの)ガンマーグロブリンがバッサリ引かれていた。注意書きを詳しくしないといけなのが10枚以上あった。夕方、○○○病院からベビーが来て、来た時に既に心停止していて亡くなっていた。風邪気味で喉も痛かった。

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小児科医の存在感

2008-01-26 08:23:36 | Weblog
 加賀市民病院 小児科が休診 4月再開目指す 過労?常勤医が入院
(中日新聞、2008年1年22日)

 小児科の専門医不足が全国的に心配されるなか、加賀市の加賀市民病院では、小児科常勤医師が病気のために入院し代わりの医師を確保できなかったため、21日付で小児科が休診となった。恒常的な過労が一因とみられ、小児科を取り巻く厳しい環境をあらためてうかがわせた。
 県医療対策課などによると、医師の病気による小児科の休診は県内でも珍しいという。同病院は医師の回復を待ち、遅くとも4月1日の再開を予定している。
 同病院によると、小児科は40代の常勤医師が1人で担当。この医師が今月9日に病気で緊急入院した。同病院は既に予約を受けていた患者の対応のため、金沢大医学部から小児科医師を18日まで日替わりで派遣してもらったが、今後新たな医師を確保できるめどが立たず、休診を決めた。
 入院した医師は通常の診療時間以外でも、夜間の呼び出しに応じて患者を診察しており、過労の状態だったという。
 同病院の産科は既に2006年7月から、産婦人科常勤医師の退職に伴い休診中。今年4月に新たな医師を迎えて産科を再開する予定で、福村孝治病院管理部長は「早ければ3月半ば、遅くとも4月には産科とともに小児科を再開したい」と話している。
 県によると、小児科常勤医師が2人以上勤務する病院は少なく、過労になりがちな1人の常勤医師を非常勤医師がサポートして負担を減らすケースもあるという。

 ムー、1人小児科医って、自分の経験から、ホントに大変だと思います。新生児と救急と講義を抱えていたら、ホント、大変ですネ!!
 私の場合は、郷里の救急病院で8年半余、一人でしてきた。睡眠不足で体が浮いた感じになっていて、フラフラ状態の時が多かった。しかし、それでも頑張らないといけないことが多く、体を壊してまでしてきた(体が壊れた今は、もう、昔の様にはとても出来ませんが)。
 今の病院も、初めの1年間は、私一人だった。休んだのは、娘の結婚式の時に2泊3日休んだだけ。(今は、二人でそれなりに楽をしてきているが)
 ある大学の先生が、田舎の病院に出張を命じられた時に、一番気にするのは、そこに小児科医がいるかどうかだと言った。当直をする時、3歳未満の子どもが来ると、経験不足に輪を掛けて、子どもは急変するので怖いと言われた。
 田舎の病院でも、「小児科の先生にお願いします・・・」と時間外に電話が前もって掛かることも多い。他の科の先生が診て、親が不満そうな顔をして帰られるケースもある。実際に、乳児を他の科の先生が診て、裁判沙汰になったケースを何例も知っている。しかし、私の様に小児科医が診ても、ひどく叱られたこと、沢山あります。
 世間一般の多くの人は、医者の仕事って外来のことしかイメージしてないかも知れない。しかし、医者の仕事の中で、外来の仕事は、その一部でしかない。
 私の場合、周りに田舎で開業医がいない関係で、その地区の保育園・小学校・中学校などに出向いて、健診などを全てする。今は、就学前健診とか、マラソン前健診などもある。それに、乳幼児の健診・予防接種など、院外ですることを全て含むと、その数、年間に35回もある(市が合併した関係で周辺の診療所の医師が削られれば、更に今から増えそうだが、それも年に12回も)。
 併設した看護学校の講義が小児科の講義だけでも20回もある(1回が100分講義で、診療するよりも疲れる)。
 小児の入退院以外に、産婦人科がある為に、新生児・未熟児があり(数は、年間100人前後しか生まれないが、月に1回帝王切開があり、その時必ず小児科医も手術場に入っている)、そこで生まれた新生児を産まれた時と退院する時に、それに、1カ月健診で院内で診ている。
 それに、時間外の患者さんの診察や、院内の予防接種や、問い合わせの説明、更には、保険の注意書きや患者さんの保険の書類など、実に、書くことの多いこと多いこと・・・(昨年、入院数400人、それを二人でしてきているが)。一人が入院してから最後にまとめを書いて退院させるまで、スゴイエネルギーを要している(書類書きは、昔の方がはるかに楽でした)。更に、一番過酷な当直(年間500件程の救急車が来る)が月に3回あり(私は、還暦前なので、していないが)。
 そして、給料が高いことを周辺からも羨望の眼差しで常に言われる。多くの医師が耐えていると思いますが、鬱状態の人もいる様ですが、笑わないで診察している?と、「近頃、この病院の医者の質が落ちていますなあ・・・。親が入院していなかったら、とっくに訴えている所ですが・・・」何て投書も来たりして、多くの医師にショックが与えられていますが(今も、この病院でこの内容が掲示板で張られて、病院側が丁寧に返答していますが、感謝されなくてもいいですが、あまり文句は言って欲しくないです。それなりに一生懸命にしているので、ホントに悲しくなります。)。


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娘からのメイル(1月25日早朝)

2008-01-25 14:11:18 | Weblog
 ・・・ ・・・(Ⅰ型とⅡ型の糖尿病について話していて)Ⅱ型で始まった人が、Ⅰ型になるっていうことはないの?インスリンを出して出しても反応がないから、衰退する、みたいな・・・。
 Ⅰ型とⅡ型はまったく別物として習うけど、現代の食生活と、Ⅰ型と診断される人が多いってことを考えたら、ほとんどはⅡ型として始まってるんじゃないかと私は勝手に思ってしまうのですが。
 実際Ⅱ型でも、抗体の検査で陽性になったるするんでしょう?
 3歳くらいでI型と診断された子がいるんだけど、母子家庭で、お母さんは仕事で忙しく、おばあちゃんちで昼間は過ごしてて、そこですごく小さなころから甘いものとかをたくさん与えられてるわけ。体も弱く、喘息がひどいし、風邪ひいたり熱出したりしょっちゅう。
 寂しい思いをしてるということがきっと一番大きな原因なんだろうけど、もともとは2型だったんじゃないのかなーと思うわけ。Tヘルパー細胞2が優勢で。ちなみに、Ⅱ型はTH2優勢の人に多く、Ⅰ型はTH1優勢の人に多いらしい。
 糖尿病は、たいていの場合は、サプリメントと食事を変えることでで治るらしい。β細胞も復活する。インスリンのアップダウンと、コーチゾルのアップダウンっていうのは、どちらが先であっても、血糖値を一定に保つために必ずペアで起こるから、とにかく精製された穀物(白パン、白ご飯、麺類、砂糖)を徹底的に排除することが大事。
 アメリカ人で肥満が多いのは、まず食べてるものの栄養価が低すぎることにあると思う。食べても食べても、体が要求してしまう。そして、コーチゾルで体がぼろぼろになってしまうことを防ぐために、甲状腺の働きを抑制することで、代謝率が落ちる。これがまた肥満につながる、といった感じではないかと思う。甲状腺の問題の80%は、二次的なもので、他の問題が真の原因になっていることがほとんどらしい。

 で、私の返事・・・DMⅠ型とDMⅡ型の定義があいまいなところがあって、Ⅱと思っていたらⅠだったと言うことある。又、いろんな分類もあり、免疫が関係しているのは、広い意味ではⅠ型で、TH1が関係しているのは、Ⅰ型で急に進むのに多く、TH2が関係しているのは、ゆっくりと進む型との考え方がある。

*DMとは、糖尿病のこと。TH1とは、ヘルパーT1細胞、TH2とは、ヘルパーT2細胞のこと。



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為になるかも知れない本(その253)

2008-01-25 08:53:34 | Weblog
○昭和61年3月3日(月)晴。
 150人前後来て、9人入院した。忙しかった。顔色の悪いMCLSの患者さんが来て、父親から県病に行きたい様なことを言われたので、少し落ち込んだ(ここに就職当初は、しばしばそう言われていた。で、道路事情も悪く、県南は広域で、合併後の佐伯市は、九州で面積が一番広く、当時は、島や山奥から2時間近く掛けて来る人も多かった。自分がここで頑張って実績を積んできたせいか、県病や大学に送らないといけないと言うと、ガックリする人が多くなっていたのだが)。ここで自分が救急を中心に一生懸命に頑張っているので、多くの人が安心していると思う。
○昭和61年3月9日(日)晴。
 葬式に午後から行った。(母の妹で、女女男女と子どもがいて、小さい時には、長い休みは、必ずと言っていい程、河内と言う田舎に行って、そこの家に何日も泊まり込んでいた。自分よりも一つ年上の男の子がいて、いつも一緒に遊んでいた。この従兄弟から自分の家も設計してもらった。今年来た年賀状によると彼は平成20年1月から首都大学東京戦略研究センター教授になっている。リファイン建築なるアイディアで活躍している様だ。)いい葬儀だった。叔父さん、寂しいだろうなあ。
○昭和61年3月13日(木)晴。
 昨日の午後、MCLSの講演を戸田さんから頼まれていたので、講演をした。睡眠不足で、頭が痛い状態で、その用意をした。100人足らずだった(少なくて、少しガックリ)。
○昭和61年3月22日(土)曇。
 昨日が休みだったせいで、多かった。それでも、200人もいない。昔は、200人以上が何日も続いていた。今考えると、(その状況で他の小児科医の援助なくて頑張っていたことが)信じられない。今だったら、(朝7時半過ぎから診ているので)あんなに患者さんを待たせること(2時間以上のことあり)はないだろう。今では、30分以上も待っている人は少ないはず(多い時には、次の患者さんを5人までも傍に座ってもらい、3人程前もって裸にして診察の用意をさせていた)。
○昭和61年3月26日(水)雨。
 南海病院院長の緒方先生の葬儀に行った。先生には、医学生の時に、自宅に長いこと呼ばれて、食事もごちそうになり、とてもよくしてもらった。佐伯市長も医師会長も、少し涙ぐんでいた。恒松院長が初めに挨拶をした。今の南海病院をこれだけ立派にしたのは、やはり、緒方院長の功績だと思う。緒方院長、正に外科医って感じの先生だった。
○昭和61年3月27日(木)晴。
 (健康保険病院)南海病院の小児科は、小児科医が2人になったとのこと。2人になれば3人力だなあ。その点、自分の所は1人。いつまで1人で頑張ればいいのかなあ。


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百度

2008-01-24 08:20:42 | Weblog
 Baidu百度に自分の名前を入れて検索したら、77出て来た。オッ、これはスゴイなあと思った(ヤフーでは、44、グーグルでは、88)。
 中国のサイトで、中国人2億人の約7割が、百度を最も利用しているとのこと。7人で始めた会社が、8年で4000人以上となり、日本に上陸している。
 世界制覇を狙っている百度、まずは、日本と言うことで登場。果たしてどうなるかなあ?

http://www.baidu.jp/

「日本の心・さいき」を入れると、

http://blog.baidu.jp/s?lm=0&si=&rn=10&tn=baidujpblog&ie=utf-8&ct=0&bsm=1&wd=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%83%BB%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%8D&cl=0

*百度とは、中国の百度公司が運営する検索エンジンである。
 創業は2000年1月。本社は北京にある。 全世界の検索エンジン市場において、百度はGoogle、Yahoo!に続き第3位のシェアを誇る(米comScore社、2007年10月調べ)。 また、中国国内においては、Google(谷歌)、Yahoo!(雅虎中国)を押さえ、中国最大の検索エンジンとなっている。


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為になるかも知れない本(その252)

2008-01-24 07:58:42 | Weblog
○昭和61年2月3日(月)晴。
 肩が凝っている。21時までに3人入院した。NHKの番組で、自治医大の助教授が自分の様にしつこく統計を執っていた。自分と何か生き方で共通するものを感じた。医療って、やはり人間性が大切だと思う。人間くさい人であることが大切だ。医療を金儲けの手段に使ってはいけない。これが原則だなあ。月曜と木曜がホントにきつい。火と金は、(少ないので)気軽だ。水(午後は、自分は休み)と土(午後も自分はする)は、数が問題だ。日も数が問題だ。近頃、恵ちゃん、(3児の母親になって)嬉しそうだ。
○昭和61年2月13日(木)晴。
 23時まで診た。しかし、その間、月報の原稿を書いた。人間って、忙しい時程、沢山のことをやっている気もする。自分の様に忙しくても結構あれこれやれる。しかし、息抜きは確かに大切だなあ。
○昭和61年2月15日(土)晴。
 (長女)ミーコの相手を充分にしてあげた。とても嬉しそうだった。父親が夜仕事に行かないととても喜ぶ。恵ちゃんのそんな時穏やかな感じだ。ミーコの咳も前よりもいいし、恵ちゃんの喉の痛みもいいみたいだ。(土地と家の)借金はどんどん返しているし、学会にもどんどん発表しているし、子どもも3人も出来たし、本も出版出来そうだし、ホントに今は幸せって感じかな。
○昭和61年2月16日(日)晴。
 ○○先生のクリニックの落成式があって蒲江まで行った。○○先生(専門は、産婦人科だが、全科で開業)は、趣味は仕事とのこと。60歳、独身、それで今から開業。ハンサムで、人柄が温厚で、とても勉強家で、頭が低い。「4年前に○ャノンの社長より独り立ちを勧められている。老後のことも考えて、医者をするしか能がない、これに徹しよう。」と思って開業したとのこと。正に○○先生らしい哲学だなあ。ビデオにバッチリ撮った。
○昭和61年2月19日(水)晴。
 小児科の(送別会を兼ねての)食事会が「串の豊」であって、21人も集まって、盛大だった。皆、おいしそうに食べていた。その後、(小児科行きつけのスナック)シーハンターに行った。そこでは、0時近くまで、貸し切りで騒いだ。とても和やかで、皆、最後の別れの言葉を言ったが、泣いている人が多かった。人間関係がとてもいい職場だと思う。こんな職場で、仕事が上手く出来ている自分は、ホントに幸せだと思う。
○昭和61年3月2日(日)晴。
 ゆっくり休んだって感じだ。1週間に1回、確実に休めるといいと思う。しかし、1カ月に3回は、(日曜に)休めることが多いし、それに、水曜の午後はいつも休めるから、昔と比べれば各段の違いだなあ。


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国家試験特訓講義

2008-01-23 13:02:29 | Weblog
 スライドで、10時から2時間特訓をした。初めのスライドは昨年と同様に以下の内容。
 「もう、間に合わない。諦めるしかない。出来ない問題を解こうとするよりも、出来る問題を落とさない様にして、解答する。入試は、単なるゲームである。それで、人格が否定されたり、頭がどうこうと言う問題ではない。試験の時、沢山持って行かない。試験の前日と当日は、出来るだけ、何もしないこと。」
 欠席者なく、真剣に聞いている。内容、昨年のを少し変えただけ。昨年は、100%合格だったが、今年はそんなに上手く行くかなあ。


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内科医全員が辞意

2008-01-23 08:49:19 | Weblog
牛深市民病院の内科医全員が辞意

天草市牛深町の天草市立牛深市民病院(松崎博充院長)で、松崎院長ら内科の常勤医師四人全員が、3月末で退職する意向を固めていることが18日、分かった。市は後任医師を探しているが難航、同日、天草郡市医師会(酒井保之会長)に協力を要請した。
 昨年4月、松崎院長が「一身上の都合」を理由に辞表を提出。市は8月に受理した。松崎院長は元熊大助教授で、病院では若い内科医を指導する立場。ほかの3人は大学から派遣されていた。3人もその後、退職する意向を示した。
 院長は退職について、病院経営をめぐる市側との意見対立などを理由に挙げている。3人の退職には、「指導医がいないのならば、熊大も若い医師を置いておけないと判断した」としている。
 病院は1月、「4月以降は他の医療機関への通院をお願いする可能性がある」と、患者らに文書で通知した。病院の内科患者は一日平均64人。人工透析患者も同25人いる。牛深地域で人工透析の治療を受けられるのは同病院だけで、不安も広がっている。市は医師バンクを活用するなどして、後任の院長や医師を探しているが難航。安田公寛市長や市議らが同日、天草郡市医師会に酒井会長を訪ね、診療態勢を維持するために協力を要請した。安田市長は「救急医療も含め、市南部の医療体制の崩壊につながりかねない。あらゆる方向から医師確保に努力していきたい」と話した。
 4年に始まった新人医師の研修制度に伴い、全国の大学で医師不足が深刻化、地方病院への医師派遣停止も相次いでいる。牛深市民病院では昨年3月、熊大医学部が産婦人科の常勤医師を引き揚げた。                  (1月19日の熊本日日新聞の記事より)

 残りは、小児科と整形と外科みたいですが、それだけでは、その周辺の医療は難しいでしょう。内科医4人全員が後任も見つからない内に辞めるなんて、よほど院長と市の方で折り合いが付かなかったのでしょう。ねぎらいの言葉、あったのでしょうか。へき地の医師の大変さ、世間からは分かってもらえないみたいですが。訴訟問題などがからんでいると、更にややこしくなります。

http://iseki77.blog65.fc2.com/blog-entry-5493.html


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