日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

鈍感力って・・・

2008-01-22 10:16:05 | Weblog
渡辺惇一の話では、鈍感と鈍感力とは、全く違うとのこと。鈍感は、そのまま鈍感って感じで、鈍感な人とは、いろいろ言ってもピンと来ない人。鈍感力とは、こんな時代だと、最も必要とされるかも知れないが、例えば、昨日いやなことがあっても、翌日それを引きずることなく、元気で又働けること。
 ムゥー、言うは易し、しかし行うは難しとは、このことかな。ある外科医の先生の言だと、「いや、いやなこと沢山あるけど、それを引きずっていると、仕事が出来ませんから・・・」と言っていた。
 患者さんに今までのデータから、「このまましていれば、後数カ月しかもたないと思います。手術した場合、上手く行かない確率の方が高いが、上手く行けば、その後何年も生きられる可能性が高いですが、どうしますか?」と尋ねると、直ぐに返事が来ないことが多く(いろんな他の医療機関の意見なども聞いた後に)、次第に悪化して行った状態で、手術を頼まれるケースがある。しかし、前の確率よりも低い状態で手術することになり、やはり、結果は悲惨なことが多い。
 術後に亡くなると、大学だと剖検までお願いして、毎日何をしているのか分からない状態にまで外科医は落ち込む。
 そんな先生が現在開業して、元気に頑張っておられるのを年賀状で知って、嬉しくなった。
 鈍感力、確かに、必要だなあ。昔と比べると、私もこの鈍感力、少し付いたかなあ。しかし、上手く行った症例の方が圧倒的に多いのだけれども、何故か、上手く行かなかった症例、後遺症の残った症例の多くが、今も脳裏を駆けめぐっているなあ。



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娘からのメイル(1月21日早朝)

2008-01-21 09:18:06 | Weblog
父上様、お元気ですか? 
 ちょっと前から小児カイロの講義のシリーズを月に一度週末に取ってるんだけど、すごーく面白い。
 今週末は、免疫学の博士号を持っているカイロプラクターの講義だった。
 メインのトピックはワクチンだったんだけど、簡単に説明すると:
・ワクチンはTH2(ヘルパー2T細胞)優位にする
・ワクチンを何度も打たれていると、体が病原菌に対してTH2優位で対応するように訓練されてしまう
・すると、TH1優位であることが必要とされるウイルスやグラム陰性の細菌(百日咳など)をうまく撃退できない
・TH2優位であることが、中耳炎、アトピー、アレルギー、喘息などにつながる
・妊娠中は、母子ともにお互いを拒絶しないようにTH1が抑制されていて、TH2優勢になっている
・衛生状態がよく、主にウイルスやグラム陰性の病原菌が病気の原因になっている先進国では、生まれたらなるべく早くTH1優位になることが必要とされる
・①抗生物質を使いながらの帝王切開や無痛分娩、②ワクチン、③母乳ではなくミルクで育った子は特に、TH1生産が抑制され、TH2優位のままになっている
・触ったり、飲み込んだりといった自然なルートを通して病原菌やウイルスと接触していくことで、体は「自分」と「よそ者」の区別の仕方を学んでいく。ワクチンはそのルートを通らずに体の中に入ってくるため、免疫システムを混乱させる
 要するに、自然に勝るものなしということね。
 2ヶ月前にあった講義では、難産がいかに子供の健康に影響を及ぼすかという話だった。
 難産になってしまう原因は、①お母さんの体のゆがみ、②医療の介入、③精神的ストレスが主。
①のゆがみがどうして悪いかというと、
1、自律神経のアンバランス:子宮収縮と頚部拡張のコーディネーションがうまくいかない
2、骨盤のゆがみ:仙骨の変位により骨盤の出口の直径が小さくなる
3、骨盤のゆがみによる胎児の変位(逆子など)。
 こうして難産になってしまった子は、陣痛誘発剤・促進剤、無痛分娩、鉗子・吸引分娩、帝王切開でひねられ、ねじられ、引っ張られて産まれてくる。
 これが(特に首)、神経の流れを悪くして、突然死、呼吸器系や消化器系の問題などの原因の一つとなる。(帝王切開の子は喘息やアレルギーになりやすい)
 ウェブスターという妊婦用のカイロのテクニックがあって、9割方逆子がなおるんだけど、これも精神的ストレスが続いてると、また逆子になっちゃう。
 結局は、体がゆがむことを含めたすべての問題の原因は①物理的ストレス(事故とか難産とか)、②ケミカル(食べ物、化学物質など)、③精神的ストレスの3つ、なのよね。
 自然の摂理に従うこと、真実はとてもシンプル。
 どう思う?

 私の返事、
「面白い理論だね。医療はホントに人を幸せにしているのか、疑問の点は多い(もちろん、ある面では、非常に貢献しているが)。日本は、抗生物質の耐性化の問題、解熱剤頻回使用の問題、レントゲン検査の多さの問題、薬の副作用の問題、医療教育や医療制度の問題など、山積。なかなか改善しない。その点、アメリカは、いいと思ったら直ぐに変えようとするから、その点は、日本よりはいいかな。先の自閉症と水銀を含むワクチンの問題、一理ありそうな気もしている。ワクチンの問題、いろんな意見がある。日本は、インフルエンザを疑えば、即検査で、しかも、インフルエンザと病名が付けば、殆どタミフル投与。世界の7割をも使用しているとか。それが、急に年齢が10代では、使用できなくなった。これって、どう思う?医療を実際にしていると、精神的な面がかなり免疫に関係していることが理解できる。特に、母親がイライラしていると子どもがしばしば病気になってるね。・・・」

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サブプライムローン・・・

2008-01-20 12:04:57 | Weblog
 アメリカのサブプライムローンの焦げ付きで、アメリカの株価がどんどん下がり、それに伴って、日本の株価も下がり、円高になり(円高と言っても、米ドルだけに対してだけだが)、日米共倒れって感じで、日米が落ち込んでいる。日本の株価の下がり方も、昨年は、世界ワースト第2位で、個人投資家も日本から矛先を他の国に変えている(中国やインドに)。
 このままで行くと、ホントに、日本経済、行き詰まりになってしまいそうだなあ。
 サブプライムと言う言葉、プライム(至高)でないので、サブが付いている。中古の住宅とは言っても、日本の住宅とは違う。
 ニュージーランドに行った時に親しくしていた日本人から直に聞いた実話、・・・その日本人、家の庭の手入れの手伝いをしてくれとニュージーランド人から言われ、親しくしているそのニュージーランド人の家に行って、日曜をまる1日を潰す感じで庭の手入れをかなり時間を掛けてして、大変喜ばれた。
 で、数日してそのニュージーランド人に会うと、意外な答えが返って来た。
 ・・・「早く売りたかったんだ。いい買い手が付いてホント助かったよ、君のお陰だよ、ありがとう・・・」
 日本人、「エッ、あの手入れした家は売る為にした訳?」
 ・・・「そうだよ、出来るだけ高く売りたいからね・・・」
 ニュージーランドだけでなく、欧米の多くの箇所では、どうも、家と言うのは、実際にそこに住み始めた時点よりも、そこに住んでいろんな不都合を感じて、いろいろ手直ししてしばらく経った家ほど高価になる様だが(日本の家は、外国の人から、ウサギ小屋と言われていたなあ)。
 英会話を教わっていた時のアメリカ人の話で、「以前も佐伯に来たけど、5年以上経っているのに、同じ人が同じ所に住んでいる。何故?、アメリカでは、同じ土地で1年で約2割の人が入れ替わるケースが多い」と。
 で、驚いたのは、そのアメリカ人の母親が、(いつもアチコチ移住しているので)今はどこに住んでいるのか、知らないとのこと。
 又、税制面でも日本の大きく違っていて、そんな家に対しての相続税は、殆ど掛からないみたいだ。だから、投資の意味もあって、家を大切に扱っている。
 日本では、家の価値は、時間が経てば経つ程、多くのケースでは下がって行く。それで、出来れば土地付きの家を買おうとする。
 サブプライムローンの裏には、そんな日本人との意識のズレがある。日本では、若者が新車を買って乗り回しているケースが多いが、米国の若者の殆どは、中古だ。自分で金を稼ぎ、自分のお金でローンを組んで買っている。日本の様に、親が買ってあげる例は、まずないし、ちょっとでも車に傷が付いたら目くじら立てることなんて、多くの東南アジアの国では、考えられないことかな。


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佐伯の医師不足「深刻」 署名5万人

2008-01-19 09:48:05 | Weblog
産科と脳神経外科 佐伯の医師不足「深刻」 署名5万人

 佐伯市自治委員会連合会(山中琢磨会長)は10日、同市の地域医療充実と、脳神経外科、産科医の確保を求める市民ら50.801人分の署名を県に提出した。
 佐伯市内には3病院に脳神経外科があるが、常勤医はそのうちの1病院に1人しかいない。3病院とも緊急手術の対応は難しく、1時間以上かけて大分市まで搬送しているのが実情という。産科医は1病院・1人のみ。ほかに助産院が1施設ある。今年9月に産科診療所が開設予定。
 同連合会メンバーや西嶋泰義市長ら12人が県庁を訪問。山中会長は「医師不足によって救われるはずの命を失うことも考えられ、不安な生活を送っている」と訴え、阿南仁福祉保健部長に署名簿を手渡した。
 西嶋市長らも「佐伯市は面積が広く救急搬送に時間がかかる上、高齢化が進んでいるため脳神経外科医不足は深刻な問題。手術や治療は1分1秒を争うだけに、医師確保に努めてほしい」と、厳しい状況を説明した。
 阿南部長は「署名を重く受け止めている」と返答。県が医師確保対策に取り組んでいることを説明したが、「新医師臨床研修制度によって研修医の大都市流出が進み、地方での医師確保が難しくなっている」とも述べた。
(以上1月11日の大分合同新聞より)

 医療訴訟の多い科は、脳外科と産科である。小児科や産婦人科などのきつい科では、どんどん集約化が進んでいる。つまり、厚生労働省の方針では、集約化に漏れた医療機関の周辺の人には、我慢して下さいって感じになっている。今までは、何故それが出来ていたのか。それは、数少ない小児科医や産科医や麻酔科医が無理をして医療をしてきていたから。で、そんなにしてきても今は刑事事件になる時代だ。一生懸命にしても、結果が悪いとクレームがつく。忙しいでは、言い訳にならない。
 今やセカンドオピニオンやサードオピニオンを求める患者さんは多くなり、どこで医療するにしても、患者さんが充分に納得出来る医療をしていないと難しい時代になっている。
 要求がより強くて必要性がそれなりにある地域に医師派遣が出来ればそれにこしたことはないが、最大の問題は、時代に即した絶対数が足りないのである。しかも、この集約化の動きは、医師不足に拍車をかけて進むばかりである。専門医が求められる科の脳外科と産科、どこも喉から手が出るくらいに欲しいはず。しかし、現在、訴訟を恐れて、病院勤務の産科医数も脳外科医数も、絶対数がじり貧だ。
 次の様な方針をとっているある大学の産婦人科の教室がある。産婦人科の医師として、常勤医が1人しかいない病院に、大学から若い優秀な先生を派遣したとしても、その常勤医の先生が不在の時は、全て、大学からのその先生が責任を持ってすることになる。もしもの時、直ぐに助けが求められないので、少なくとも現在2人の産婦人科の常勤医がいる病院でないと、大学からは送り難いと。
 自分と10年余一緒に仕事をしてきた産婦人科専門医が私にこう言った、「兎に角、(赤ちゃんを)出せば小児科がちゃんとしてくれるので、ハイリスクでも、それまで頑張ればいいと思ってやっている・・・」と。(今は、大学の応援なしで、一人で頑張っておられる)
 又、やはり10年余一緒に仕事をしてきた脳外科専門医が私にこう言った。「乳児の場合どうしようかと、ずっとここに就職するまで考えていた、・・・」。で、そこでの初めての乳児での脳外科の症例で、しばしばミルクの量等を尋ねられていたが、その後は、脳外科の先生からしばしばアドバイスを頂く感じで(10例近く)私が主治医で、(脳外科の先生からは、手術と術後のガーゼ交換を主体にして頂いて)上手くやって行くことが出来た。その先生から、私は多くのことを学んだが、先生に付いている脳外科のナースの教育も、独自のテキストまで作成して、徹底的にプロの看護を目指していた。 
 その脳外科の先生がある時、私に次の様に言った、「脳圧が高くなっているのをナースが30分以上気が付かないでいると、脳ヘルニアを起こしてしまって間に合わない。ドクターは、自分のエネルギーの7割を使って仕事をしておくべき、そうしないと、いざと言う時に10割の力が出せない。」と。(熱心な先生で、殆ど毎晩、病院に様子を見に来られていたが)
 日本の周産期死亡率や乳児死亡率や新生児死亡率は、正に世界のトップレベルだ。しかし、小児科医数(ベッド数に対しての割合)が多くの先進国の半分以下となっている。脳外科医がある救急病院で積極的に仕事をすると、その地域周辺での交通事故死亡率が明らかに減少している。
 多くの国民の意識を変える必要があると思う。医師を増やすことにお金を惜しまない。実際に現場で働いている脳外科医や産科医の意見を反映させる。
 しかし、米国の様に、医療訴訟は益々エスカレートしているのが現実だ。イギリスの様に、日本も、一度は行き着いてしまうのかなあ。

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為になるかも知れない本(その251)

2008-01-19 09:29:27 | Weblog
○昭和61年1月4日(土)晴。
 朝7:00ちょうどから診た。外来、230人診た。何と、今日22人も帰した。宮医大から○○先生が17:00から来てくれた。嬉しい。
○昭和61年1月5日(日)晴。
 保険の注意書きで病院に行った。1100gの子が仮死状態で亡くなった。○○先生、「バリバリ働かせて下さい」と言ってくれた。正に、○○先生は、自分にとっては救世主だなあ。
○昭和61年1月9日(木)晴。
 停留睾丸の手術の子を医大に紹介して退院して来て、父親からお礼を言われた。大学の教授がスゴクおっかない先生で、主治医の先生を叱りとばしていたとのこと、しかし、紹介した自分のことを褒めていたとのこと。めったに褒めることのない先生らしく、珍しいと父親が言ってくれた。片方だけある場合は、それが全く触れていなければ2歳で、触れていても、両側が停留睾丸の場合は、やはり2歳で手術した方がいい、片方だけでちゃんと触れていれば、5歳まで待てると親にアドバイスしただけなのだが。
○昭和61年1月11日(金)晴。
 夕方津久見から熱が5日続いている子が来た。血沈が促進していて、眼球充血があり、口唇赤くて苺舌がある。MCLSかなあ。土曜にひどいのが来るときついなあ。それも、夕方なんて。
○昭和61年1月13日(月)晴。
 ヒスシュスプルング病の疑いの日齢2の子と1ヶ月の肺炎の子、少し危ないと思っていた。が、ヒルシュ疑いの子、48時間経過してレントゲンでガス像が下までずっと追えて、浣腸して便が沢山出た。良かった。急いで小児外科に送るべきかと思っていたが、違っていた。やはり、頻回に同じ人間が診ることと、診る人間もそれなりの経験を積んでおくことが大切だなあ。
○昭和61年1月29日(水)晴。
 (水曜の午後は、大分医大の先生が来てくれているので)久し振りに「串の豊」に行った。恵ちゃん、とっても喜んでいた。やはり1週間に1回は、外食した方がいいなあ。そうしないと息抜きにならない。如何にして上手に息抜きをするか、気分転換をはかるか、これが問題だなあ。朝の7:30から診る様になったので、午前中がゆっくりとした感じになっている。
○昭和61年1月30日(水)曇。
 宮医大にCHDを送った。心雑音が送る時点で、少し小さくなっている感じがした。何故かなあ?夜、宮医大に電話したら、○○先生が出た。懐かしかった。(同時に県病に就職して一緒に仕事をしていた)彼は、今、どんな心境で大学にいるのかなあ?入院するはずの○○さんが来なかった。こちらに不信感を持っているのかなあ?約束を守らない人、お金を払わない人、いろんな人がいる。それでも感謝して耐えることだ。


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為になるかも知れない本(その250)

2008-01-18 08:05:32 | Weblog
○昭和61年1月1日(水)晴。
 年頭所感
1、患者さんを大切にすること
2、いつも笑顔を絶やさないこと
3、患者さんを不快にさせないこと
4、朝7:40から診療すること
5、毎日運動すること
6、体を大切にすること
7、いろんな本を読むこと
8、ハングル語を勉強すること
9、英会話を熱心にすること
10、本を出版すること
11、医学をもっと勉強して、清の実力を身に付けること
12、自分が今どんなに幸せであるかを毎日感謝して生きること

与える、耐える、そして味わうこと。誠実・寛容・感謝

○昭和61年1月2日(木)雪。
 84人来た。休みは、いろいろハプニングがある。まあ、(訴訟も経験して、それ以後開き直る感じになって)自分には耐える力もそれなりに付いたかなあ。○○と言う患者さんのことでいろいろもめたが、こんな時にも自分なりに上手に対応できる様になった。いろんな患者さんがいる。どんな時にも平静なる心で冷静になることかなあ。耐える力、感謝する心が大切だ。仕事をさせてもらっていることにも感謝するべきだ。生きていられることにも感謝。自分のいい思いを、他の人にもさせてあげたい。

トラブルの例1
 県外の人で、年末にインフルエンザで入院して、入院中にけいれんが起きた。その子の父親から、「けいれんが起きるのが心配で入院したのに、どうしてこんなことになったのか、ちゃんとしてくれ」って感じで言われた。(退院するまで、不穏な雰囲気だった)
トラブルの例2
 生後数カ月の乳児で、県外の人で、細気管支炎で入院させた(幸いに、軽くて済んだ)。で、どうしても○○に帰らないといけないと言うので、まだ治り切っていない状態で退院させた。大きな病院に必ず行って下さいと言って、紹介状を書いた。この母親が心配して、母乳の出が入院中に悪くなっていた。紹介状先の病院に行って、入院の必要はない、大したことないと言われた。父親から、「母親が異常に心配して、精神的に参っている。行った病院からは、大したことないと言われた。不安にさせた責任をとってもらいたい・・・」と電話で言って来た。(私は、直ぐに、お詫びの手紙を書いて送った)
トラブル3
 入院中の小さな子の祖父から自宅に電話が掛かってきた。で、私がカルテが手元にないのでちゃんと説明が出来ないと言ったら、「主治医だろうが・・・」と言って、ひどく叱られた。(患者さんの入院が1カ月に100人以上あると、それぞれをちゃんと把握できない)

○昭和61年1月3日(金)晴。
 高校の同窓会に出席した。「スゴク金をもらっているんだろなあ、医者はいいなあ・・・」って感じで言われた。誰に会って、そんな話ばかり。深夜も拘束されて、年末年始も、体ガタガタ状態で休まずに働いているのに、そのことに対してのねぎらいの言葉なんて誰からもない。まあ、仕方ないか。

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蔭膳

2008-01-17 17:23:43 | Weblog
  蔭膳、かげぜん、今の若い人には何のことか理解できないと思う。
 私の父は小学校の教員であったが(既に他界)、私が小さかった頃、箸を箸立てに添えて、「親様どうぞお上がり下さい」と、皆で一緒に食べる時に、夕食の時に言っていた。
 小さい時、その意味がよく理解出来なかった。しかし、自分の親がいなくてもそこにいるかの如くにして、その親と一緒に食べる姿、今考えると凄い教育をしていたなあと思う。
 親はなくても子は育つと言う言葉がある。事実、親がいなくても、いや、親がいないことで、却って、世の中の人の温かさを知って立派になっている人もいる。
 戦後に日本の精神がおかしくなってのは、この蔭膳が消えた頃と一致すると言う人もいる。
 人は、尊敬するもの、有難く思うもの、守らなければならないものがある時には、耐えられる。今の時代は余りにも恵まれ過ぎていて、子育てには却って不幸な環境の様な気がしている。
 平和の有難さ、3度の食事がちゃんと摂れることの有難さ、自分一人の力では生きられないこと、それ等をちゃんと教え切れる大人がいなくなっている気がする。

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為になるかも知れない本(その248)

2008-01-17 08:21:19 | Weblog
○昭和60年12月19日(木)晴。
 50周年記念を兼ねての西田病院大忘年会が金水苑であった。しかし、カゼ気味。患者さんが来たら診ないといけない(小児科の患者さんは、全て小児科医が診ていた)。三児のパパになったことだし、真面目にしてないといけないと思う。しかし、楽しかった。婦人科と外科の出し物、今年もスゴかった。来週の木曜日には、宮医大の教授の心臓外来があるなあ。
○昭和60年12月21日(土)晴。
 カゼが治らない感じで、この1週間よく頑張ったと思う。このインフルエンザ、今までと違って、しつこく治らなかった。こんなに長いこと久し振りだ。副鼻腔炎やアレルギー性鼻炎のせいかなあ。伸ちゃんもアレルギーにならなければいいけど。
*上の二人がアトピー性皮膚炎で苦しんだので、三番目は、妊娠中から、卵と乳製品を控えた(妻が栄養士のこともあり、徹底的に摂らなかった)。生まれても、乳児期は、殆ど摂らなかった。すると、ホントに三男は、色白なのに皮膚はきれいで、アトピー生皮膚炎は、全く出なかった。しかし、軽い喘息発作が幼児期に出たが、幸いに軽くて終わった。
○昭和60年12月23日(月)晴。
 朝3:00に医師会長から電話があり、けいれんが来た。12:20までで、午前中の診療が終わった。129人だった。昼には1時間バッチリ寝て、夕方17:00までで総計213人診ていた。それから又夜に時間外を8人程診た。一人で3人分働いていると思う(代診に来る大分医大の助教授の先生からそう言われた)。年賀状を書かないといけないなあ。
○昭和60年12月28日(土)晴。
 7:50~12:35で、192人診た。病棟もそれまでに診ている。1時間に50人ペースになるかな。これで大きな誤診がないから、不思議だ(20時~21時に必ず毎日診ているから)。鼻がまだ詰まる。全部で、250人を越えた。
○昭和60年12月29日(日)晴。
 久し振りに午前中、よく寝た。34人診た。あまり多くない感じだ。
○昭和60年12月30日(月)曇。
 266人程来た。祝日料金だから、今日だけで、(小児科外来の売り上げ)100万円越えるのかなあ。整形外科が幸いに10人程退院したので、その部屋がバッチリ使える。カゼの調子も少しいいかな。
○昭和60年12月31日(火)晴。
 188人来た。時間外に来たのを(全て自分の救急ノートに自分で)書かないといけないので、それに時間が要る。救急での一番の問題は、紹介状なしのこじれた例が多くて、それなりにトラプルことだ。点滴をしてくれ、入院はしたくない、明日帰るので、兎に角今だけでも治療してくれって感じだ。よく、自分でもこれに耐えて診ていると思う。深々と頭を下げて礼を言う人なんて、いない。仕事だから感謝されなくてもいいが、時間外に来て、不満そうな顔をしながら文句を言うな!

*写真は、日齢6の長男。


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為になるかも知れない本(その247)

2008-01-16 08:21:51 | Weblog
○昭和60年12月4日(水)晴。
 (午後に)ソフトの試合があったが、出席せずにグッスリと眠って休んだ。お陰で、少しカゼが治った感じだ。久し振りにゆっくりしたって感じだ。よく眠れた。伸ちゃんが少し鼻がズーズー言っている。少し心配。親って実際に親になってみるとホントに心配するなあ。
○昭和60年12月5日(木)晴。
 140人程来た。伸ちゃんの写真の大きいのが出来たので、明日、鹿児島のおじいちゃんに送ることにした。カゼ気味がほんの少し良くなった感じだ。慢性カゼって感じになっているなあ。体力第一と分かっているのに、それが出来ない。
○昭和60年12月9日(月)晴。
 午前中だけで149人来て、回診もして、12:25に終わった。トータル210人以上だった。1時間40人って感じかなあ。朝7時半から始めると、午前中だけで160人診れる。午後も120人を時間内に診れるはずだ。しかし、これが毎日となると、参るなあ。これ以外に、新生児が年に500もあって、深夜の救急もあって、月報も毎月書いているのだから。一番難儀するのは、やはり新生児だなあ。一人1300g以下の極小未熟児のRDSが生まれると、それで、一般入院10人分程エネルギーを消耗しているかな。(年間、7名程、新生児にレスピレーターを付けていた)
○昭和60年12月11日(水)晴。
 スライド150枚を使って、19:30ちょうどから21:00ちょっと過ぎまで、母親学級の一環として、「子どもの病気について」の講演を公民館でした(70人は来ていたかな、もちろんお金はもらわなかった、タクシー代ももらわなかった)。プリント10枚を使って。もっと沢山の人の前で喋りたいなあ。
○昭和60年12月14日(土)晴。
 鼻の調子が良くない。副鼻腔炎かなあ?今日は200人突破した。
○昭和60年12月17日(火)晴。
 昨日190人程来た。カゼの調子が昨日よりも悪くなっている感じだ。グッスリ眠ることが一番大切とは思うのだが。明日の午後は、(大分医大から来るので)それが出来るなあ。頭がそんなに痛くなくなったし、熱もなく咳もないので、何とかここまで乗り切っている。代わりの人いない、休みが取れない、ホント、これで誤診でもして訴えられたら、目も当てられないなあ。こんな超人的な生活なんて、いつまで続くやら。DRDSの子、今の所、調子いい。


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新型インフルエンザの恐怖

2008-01-15 12:35:33 | Weblog
 平成20年1月13日(日)NHKスペシャルで、「新型インフルエンザの恐怖」が放映されていた。食い入る様にして、見た。

 肺や気管だけでなく全身の臓器に感染、そして死…。
 世界を震撼させている、あの新型インフルエンザの世界流行が秒読み段階に入った。「爆弾の導火線に火がついた状態。『もしも』ではなく、時間の問題だ。」と専門家たちは警告を発している。
 厚生労働省は日本の死者数を64万人と試算しているが、日本だけでも200万人、世界中で1億人を超えると指摘する専門家もいる。
 番組では、新型インフルエンザ発生の可能性が極めて高いとされるインドネシアでの取材をもとに、危機はどこまで迫っているのか、その時どんな事が起きるのかを詳細に描き出す。
 また、どこかの国で新型インフルエンザウイルスが出現すれば1週間で全世界に拡大、未曽有の悲劇が人類を襲うことになる。ひとたび日本国内に入れば、だれも免疫を持たないため、瞬く間に感染が広がり、医療機関、交通機関、食料供給など社会は大混乱に陥る危険性がある。私たちはどんな対応を取ればよいのか、医療現場や行政の備えはどこまで進んでいるのか、国内外の対策を徹底的にチェックし、残された課題や日本のとるべき道を提示する。
 以上は、NHKのホームページからの内容。(再放送も今後あり)

 今まで、インフルエンザは、Hの1~3とNの1~2の組み合わせしか、人類は経験して来なかった。それが、H5N1と言うトリにしか感染しなかったトリ型のタイプが人を襲い、次々と、世界のあちこちで顔を出している。場合によっては、H5N1だけでなく、H5N2などが出て来ても不思議ではないと思われる。不幸にして今後ヒトとヒトの間で簡単に伝染する様になり、かつ毒性が強いとなると、人類が今まで経験しなかった惨事を経験することになる。
 かって、スペイン風邪の時は、初めの流行では、死者は目立たなかった。しかし、しばらくおいてその年に再び流行した時には、強烈な毒性を発揮して、バタバタと多くの人の命が奪われていったのである。
 今回の放映で、インドネシアの惨事(7名も身内が伝染して、6名死亡)では、幸いに、医療従事者が死亡していないし、パンデミックが未然に防げた。今の所、人から人への感染が、従来のインフルエンザと比較してまだ弱いと思われる。
 もしもパンデミックになった時、治療に限界がある。今まで感染した人からワクチンがそれなりに作られているが、数に限りがあり、全ての人に初めから打てる訳がない(既に罹患した人から作られたワクチンが、多少は効くと思われるが、何せ、香港型やソ連型で見られる様に、インフルエンザ自体が、ヒトの中で毎年連続変異が激しく行われるので)。
 医療をする上で、スタッフや設備に限界がある時、誰を優先するべきか?アメリカでは、当初、65歳以上のお年寄りが優先されて医療が行われることになっていたが、アメリカ国民の世論で、(医療従事者が倒れた場合は、医療が出来なくなるので、まず、医療従事者、その次は、0~3歳未満が、次に、3歳~18歳が優先されることになった。
 アメリカは、半年で3億人分のワクチンを増産出来る体制が既に取られている。
 日本の厚生労働省、C型肝炎や年金みたいにゆっくりすることなく、急いで下さい。多くの国民の命がかかっていますので。


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