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中井悠美子(悠石)「四季の絵文日記」 2011/9/24~

四季を語る「絵文」と、日常を織り交ぜた小さな日記。
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Vol. 198 郷土の偉人・その(3)

2012年06月20日 18時18分50秒 | 郷土の偉人
  田中正造・・・現在小学生の間で一番知られている偉人かも知れません。
   国語の教科書で紹介されていますから・・・^-^

   明治天皇に自訴の場面・・・田中正造記念館            田中正造・・・栃木県佐野市・・・1885年生(安政2年)           日本初の公害    栃木県の足尾銅山の鉱毒事件を告発した人です。       栃木県・・・足尾銅山・・・当時日本で有数の銅山であったとか。       絹と銅は日本の大きな収入源であったのでしょう。       しかし、その排煙がもたらす「酸性雨」が辺りの山々の木々を枯らし。       廃液は田、畑から豊かな実りを奪ったのです。       農民の困窮ぶりに心を痛めた正造は・・・何とか救いたいと、議員を辞職。    明治天皇に直訴するも「狂人あつかい」       その後も逮捕、投獄・・・を何度も繰り返しながら、鉱毒問題を訴え続けるのですが・・・           

   渡良瀬川に垂れ流された廃液・・・周辺の村々が、いかに悲惨な状態であったか想像できますよね。
   その後、政府は「谷中村」を貯水池にするべく農民の追い出しにかかるのです。
   元々貧しい人々、何の保証もなく追い出される。。。悲惨さは想像を絶します。

   正造は志半ば、多くの同士に裏切られ続け、赤貧の中で亡くなります。
   1932年・・・満76歳。
   枕元には「日本国憲法」「聖書」「ずた袋の中にちり紙」・・・これだけだったそうです。
   そうして、谷中村は・・・消えたのです。

   その後1973年・・・農民との和解にいたり。足尾銅山は閉山。
   辺りはやっと緑の田野を取り戻すことが出来たのです。正造没後40年にしてやっととは・・・!
   

   正造の名言
   

   真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし

   今の政治家は、この正造の生き様をどう見るでしょうか!
   
   途中で文章の並びがおかしくなりました・・・どうしても直らないので
   読みにくいと思いますが・・・このままに
   皆様ご訪問有難うございました。