JR防府駅てんじんぐち(北口)前にある種田山頭火像 日本中を托鉢して歩きその一生を終えたのですね。
彼は、1882年(明治15年)12月3日 山口県佐波郡西佐波令村第百三十六番屋敷
(現・防府市八王子二丁目十三)にて大地主・種田家の長男として生まれる。
生家跡だそうです
彼は自分の人生を「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、
そこから句が生まれたような一生だった」。山頭火は晩年の日記にそう記した。
その時には、すでに無一文の乞食であった。その境遇は山頭火自らが望んだものだった。
と、言うことですが、幼い頃に自死した母から受けた影響は大きかったことでしょう。
私が「山頭火」知ったのは26歳の頃であったと思います。
松山近くを故郷とする友人との松山への旅で知ったのでした。
旅は 昭和48年頃 彼の「終焉の場所となった一草庵」を訪ねましたが、
その当時、何方かがお住まいであったように記憶しています(場所だけを確認)
さて、その一草庵について
彼は以下のように書き残しています。
「一草庵記」 昭和15年(1940)年5月
わが庵は御幸山すそにうづくまり、お宮とお寺とにいだかれてゐる。
老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足る。
所詮私の道は私の愚をつらぬくより外にはありえない。
*** おちついて死ねさうな草萌ゆる ***
昭和15年 没 享年58歳
荻原井泉水とともに、五・七・五にとらわれない「自由律俳諧」を詠んだ代表的な一人でした。
一草庵
現在は整備され、市民の憩いの場所となっているようです。
内部見学も出来るようです。9月には訪ねてみようと思っています。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic41.html
こちらのサイトは、興味深く詳しく彼の一生をたどっています。
ご興味がおありでしたら是非ご訪問下さいませ。
分け入つても分け入つても青い山
晴れたり降ったり青田になった
私の特に好きな二句です
人生はなかなか思うようにはならないけれど
倦まず弛まず・・・生きてゆこうとこの句を思い出しては自分を励ましているのです。
さて、皆様本日もご訪問頂きありがとうございました・・・
なんだか、とても励まされます。
検索の知識に、自分を織り交ぜて
書かせて頂いています。
この時代であるからこその「ブログ内容」
コピペばかりでごめんなさい(^_-)
毎日は書けないと思いますが・・・頑張ります!!
過去のブログを見直してみますと、なんとジャンルの広いこと。小百科事典が出来そうです。
これからも知識と楽しみをよろしくお願いいたします。