風を紡いで

旅の記録と料理、暮らしの中で感じた事などを綴っています。自然の恵みに感謝しながら…。

(36)小さな墓地で…

2005年08月31日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
カッスルクームからチッペナムまで、娘と2人で歩いた。
通りかかった村で小さな墓地を見つけた。
教会なのであろうか。
建物の窓にステンドガラスが使われているようだ。

カトリック、プロテスタント、ギリシャ正教…
キリスト教といってもいろいろあるらしいが、ここは何派だろうか。


私の実家は浄土真宗。仏壇があり、神棚もある。
そんな環境で育った。
無信仰だが、自然崇拝に最も近いところにいる。
原始宗教というのだろうか。

宗教は仏教、キリスト教、イスラム教など多種多様だが、それぞれ信じるところに属すれはいいことだと思う。

宗教に感心はあるのだが、今のところ特定の宗派には属していない。
キリスト教の洗礼を受けた人や仏門の人の随筆や小説などを読み、
感動したり、考えさせらりしたことは多々あるが…。

「自分の宗派が一番」という考え方には、どうしてもついていけない。
偏らず、他を認める広い心を持つことが大事じゃないのか
信仰があるならなおさらに、そう思ってしまう。


政治、経済的利害ともからんで起こる宗教戦争。
今でも、政治や経済、思想、そして軍事力などを手段に、
内乱を含む抗争があとをたたない。どうしてなのだろうか…。

戦争は悪以外の何物でもなく、負の力だけが大きく働くというのに。
争いの中で生を終えたくないじゃないか。

人はいずれ、自然の一部になるのだ。
人の一生は短く、あっという間の儚い命。
幕の閉じ方をどうしようか?たまに考えることがある。

「家族に見守られて?」
「旅の途上で?」「大往生?」
「1人寂しくひっそり?」

―墓地の写真をみて、いろいろ考えてしまった。


コメント
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