11月22日の記事「東博の最も『新しい』展示」のつづき、11月13日に出かけてきた東京国立博物館(東博)の訪問記の完結編デス
「美術品」の定義として、「美術品=美術館に展示されているもの」という説があるそうです。
つまり、他人(多くは後世の人)が「美術品」だと考えて美術館に展示すれば、制作した本人の意図
は無視(?)して、美術品として扱われるというロジック。
例えば、「暦とは裏腹に秋まだ浅い東博でした」で紹介した国宝「円珍関係文書」なんぞは、その典型でしょう。
また、この日見た作品の中には他にも、作者が「美術品をつくるつもりではなかったのに…」と草葉の陰で苦笑しているに違いないものがありました。
まず、尾形光琳のこちらの「書」。
何度も書いているように、私は「茶道具」と「書」が弱点で、イマイチその善し悪しが見えてこないのですが、この作品の説明プレートに唖然…
借用文書 尾形光琳(1658~1716)筆
紙本墨書 江戸時代・元禄9年(1696)
尾形光琳は江戸時代中期に活躍した絵師で後の「琳派」の創始者として著名。呉服商「雁金屋」の次男に生まれた光琳は、画業に傾倒し、本業が破綻状態
となった。これは光琳が田中孫太郎に対し、自身が所持する刀剣を担保に銀子借用を依頼した証文。
だそうな
お金を借りる証文が美術品として扱われているなんて
酔っ払っての不始末を詫びる手紙
が「恩命帖」と名付けられ、皇室のお宝
となってしまった三蹟・藤原佐理(記事はこちら)並の恥ずかしさ
かもしれません。
もう一つ(一群)は、本館1階14室の特集陳列「陶片の美」での展示品。
ただひたすら焼き物の破片が展示されていました。
展示室の入口に掲げられた説明によれば、
陶磁器を製作するとき、焼成不良品や窯道具は窯場に廃棄されます。窯址出土の陶片は、産地や製作技法の解明に欠かせない研究資料です。実物に即した実証的な陶磁史研究は、窯址の調査とともに進展したと言っても過言ではありません。
一方、陶磁器は化学的に安定しているため、土中に埋もれても当初の色や艶を保ちます。窯址出土品にはしばしば伝世品にみられない器形や文様、技法の陶片がみられますが、これらは時とともに忘れ去られていった「歴史の断片」といえるでしょう。
東京国立博物館には数カ所の窯址出土陶片が収蔵されていますが、これまでまとまって公開される機会がありませんでした。今回は元杭州領事の米内山庸夫氏によって採集された中国越州窯址出土陶片、南宋郊壇下官窯址出土陶片、元京都市陶磁器試験所研究員の水町和三郎氏によって採集された肥前古窯址出土陶片、蜷川第一氏らによって採集された御室仁清窯址出土陶片をご紹介いたします。陶磁器のかけらが語る歴史の実像に思いを馳せてください。
だそうで、要は、捨てられた不良品たち…
確かに「窯址出土の陶片は、産地や製作技法の解明に欠かせない研究資料」かもしれませんが、「失敗作じゃぁ~」と捨てたはずのものが、掘り返されて
衆目
にさらされているなんて、作者にしてみればたまったものではないはず
東博も罪なことをしますなぁ~
今回の東博シリーズで最後に紹介しますのは、こちらは作者が美術品として制作した作品、歌川国芳の「東都名所・かすみが関」です。
霞が関は今も昔も生活臭の薄い場所だったのですな。
ということで、丸2週間かけて書き綴ってまいりました11月13日の東博訪問記は全巻の終わり
でございます