「世田谷美術館の松本竣介展は1月14日まで」のつづきです。
下の写真は、世田谷美術館のある砧公園でみかけた「エビゾリの練習にうってつけのベンチ」…
それはさておき、きのうのブログで、この展覧会の構成が、
松本竣介の画風の変化と、彼が繰り返し描いたモチーフと描き方の違いを目の当たりにできる
と書いたのですが、それをちょいと追ってみましょう。
「太く黒い線がルオーを連想させ」る作品につづくのは、松本竣介版「青の時代」ともいうべき(?)緑と青が多用された作品群で、「Ⅰ-3.郊外:蒼い面」と「Ⅰ-4.街と人:モンタージュ」のコーナーはほぼ一色に染まった感がありまして、なんとも心地良い…
もっとも、すべてが緑と青ではありませんで、こちらの「黒い花」(1940年・岩手県立美術館蔵)は静かに燃えるような赤が網膜を染め上げます(お持ち帰りしたかった作品の一つ)。
立ち並ぶ建物と行き交う群衆が描かれた1930年代末の作品群を見終えて第二会場に移ると、作風がガラリと変わります。
松本竣介は盛岡中学入学直後に聴覚を失います。このため、徴兵されることはなかったわけですが、周りの友人・知人が次々と徴兵される中で自分が取り残される感覚はあったでしょうし、画壇まで戦時体制に組み込まれる時代の流れへの反発もあったのでしょう。
そんな状況が、「自分一人でも生きていくぞ」「家族と生きていくぞ
」という意思がにじみ出るような「立てる像」や「二人像」「五人像」を描かせたような気がします。
そして、風景画にはもっと劇的な変化が生じていました。
人気(ひとけ)が消えているのです。風景の中に登場する人物は0~3人程度で、しかもシルエットで描かれています。
フライヤーに使われている「Y市の橋」(1943年・東京国立近代美術館蔵)も、
人がまったく描かれない以上に寂しさが伝わってくる気がします。
それは、「丸内風景」(1942年・花巻市博物館蔵)や、
「議事堂のある風景」(1942年・岩手県立美術館蔵)や、
開催時期が被ってしまった「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」@東京国立近代美術館(こちらも1月14日まで)で展示中の「並木道」も…。
カメラで撮影する際、思い切り絞り込んで、シャッター速度を遅くすると、動いているものはブレて、止まっているものだけクリアに写ります。
このシルエットになっているのは、人びとが行き交う中で一人佇んで風景をスケッチ
している松本竣介その人なのかもしれませんな。
松本竣介が繰り返し描いたモチーフ「Y市の橋」と「ニコライ堂」から私が一番気に入った作品を並べておきましょう。
まず、「Y市の橋」。
1946年といいますから戦後の作品(京都国立近代美術館蔵)です。
ちなみに「Y市の橋」のモデルは、横浜市西区にある「月見橋」(こちらのサイトの「41」)だそうな。
次に「ニコライ堂」はこちら。
「月並み」かもしれませんが、「ニコライ堂と聖橋」(1941年・東京国立近代美術館蔵)です。
「Ⅲ.後期:風景」の最後のセクション「Ⅲ-9. 焼跡」に展示されていた「郊外(焼跡風景)」(1946-47年・岩手県立美術館蔵)に衝撃を受けました。
空襲で焼き払われた街のスケッチを元に描かれた作品ですが、津波に襲われた東北の太平洋岸を連想してしまいます…
戦争が終わり、本人にその気持ちがあったかどうか判りませんが、徴兵されないことや戦争画を描いて軍部に協力しないことの後ろめたさのようなことから解放されて、松本竣介には新たな地平が広がっているはずでした。
事実、またもや作風がガラリと変わって、「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」で観た「建物」(1948年・東京国立近代美術館蔵)(記事はこちら)とか、こちらの「裸婦」(1947年・東京国立近代美術館蔵)とか、わたし的にはかなり魅力的な作品が描かれたのですが…。
図録に載っている年譜から1948年の稿を転載します。
1948年(昭和23年) 36歳
元日、床上げし、一家で正月を祝う。
この頃『諷刺雑誌VAN』『花』などの雑誌の挿絵を手がける。
2月、自由美術会員新作展に出品。
同月26日、次女・京子誕生。
この頃から、外出より帰ると疲労が見られ(肺結核を患っていたとされる)、周囲から休養をすすめられるが、制作活動を続ける。
5月、高熱をおして、絶筆《彫刻と女(福岡市美術館蔵)》《建物(大川美術館蔵)》《建物》を完成。義妹・栄子らの手により第2回美術団体連合展会場に搬入される。
6月8日、気管支喘息による心臓衰弱のため自宅で死去。法名「浄心院釈竣亮居士」。
現在、島根県松江市奥谷町の真光寺に、妻禎子(2011年11月逝去)とともに眠る。
という次第…
きのうの記事で、
この展覧会の構成を「起承転結」になぞらえれば、「Ⅰ.前期」が起、「Ⅱ.後期:人物」と「Ⅲ.後期:風景」が承、「Ⅳ.展開期」が転にあたると思いますが、「結」がありません。
と書きましたが、大勢の観客で賑わうこの回顧展が「結」なのかもしれません。
生誕100年を記念して昨年4月から岩手県立美術館⇒神奈川県立近代美術館 葉山⇒宮城県美術館⇒島根県立美術館⇒世田谷美術館と巡回してきた「松本竣介展」は、きょうでお終い。
一堂に会していた作品はそれぞれの収蔵先に帰って行きます。
またいつか、どこかで松本竣介の作品に出会いたいものです。
世田谷美術館で買ってきた図録やポストカードをバッグから取り出すと、ポストカードが入っていた紙袋に1cm×2cmほどの小さなスタンプが捺されていることに気づきました。
おぉ、これは「Ⅱ-6.童画」(子息・莞クンが4~5歳の頃に描いた鉛筆画を元にした作品群)に展示されていた「電気機関車」(1943-46年頃・神奈川県立近代美術館蔵)をモチーフにしたスタンプ
いいですねぇ~、こういう遊びごころ
ふと外を見ると、天気予報どおり、雪が降りしきっています
きのう出かけておいてよかった…