わたくしは樹が好きだ。しっかりとしたあたたかい幹が好きだ。
枝先は陽に向かって伸びてゆく。そこに揺れるおびただしい葉。
根は大地をしっかりと掴み、大地の恵みをゆっくりと吸い上げている。
木漏れ日。小鳥の声。風にそよぐ音。
音と言葉との折り合いをどこでつけたらよいのか?わたくしは知らない。
「樹についての対話」の「ルクレティウス」と「ティティルス」との対話から
その応えにわずかに触れたように思う。
年末にあたり、少々詩について真面目に書いておこうと思う。
以下は引用です。
ルクレティウス
『一本の植物とは、律動が確実な形態を展開し、空間のなかに時間を時間を展示するひとつの歌なのだ。
毎日毎日、植物は、その捩れた骨格の担うところを、すこしずつ高く揚げ、
その葉を何千となく太陽に委ねて、葉の一枚一枚は、微風からもたらせるところに従い、
みずからの独自にして神的な霊感だと信じるままに、大気のうちのみずからの居場所でうわごとを言って……
(中略)
放散する瞑想はわたしを酔わせる……
そしてわたしは感じるのだ、ありとあらゆる語がわたしの魂のなかでざわめくのを。』