ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

オルフォイスへのソネット第一部・21

2009-11-13 03:29:15 | Poem
春がまたやってきた。大地は
詩をおぼえた子供のよう。
たくさんの、おおたくさんの詩を。・・・・・・長かった勉強の
苦労のかわりに、ごほうびをもらうのだ。

彼女の先生はきびしかった。ぼくたちは
その年寄りの髯の白さが好きだった。
今こそ、緑は何か、青とは何か、と、
ぼくたちは訊いていい。彼女はできる、彼女はできるさ!

大地よ、休暇になった、しあわせな大地よ、さあ、
子供たちと遊ぶがいい。君をつかまえよう、
たのしげな大地よ。いちばん朗らかな子がつかまえる。

おお、先生が彼女に教えたことを、たくさんのことを、
木の根や、長い、むずかしい幹に
刷られた言葉を、――彼女は歌う、彼女は歌う。

 (生野幸吉訳)


春がまた訪れた。大地は
詩を知っている子供のようだ。
たくさんの、おお たくさんの詩・・・・・・長い勉強の
労苦にたいし彼女は賞をもらうのだ。

彼女の先生はきびしかった。ぼくらは
あの老人のひげの白が気にいっていた。
いまぼくらは あの緑 あの青が何なのかと
たずねてもいい。彼女にはできる、できるとも!

大地よ 春休の幸福な大地、さあ
子供らとともに遊ぼう。おまえはぼくらをつかまえたい、
愉しそうな大地よ。うまくつかまえるのは いちばん愉しい子。

おお 先生が彼女に教えたこと たくさんのこと、
そして根だの 長くてむずかしい幹に
刷られていること、彼女は歌う、それを彼女は歌う!

 (田口義弘訳)



 「彼女」とは「大地←ドイツ語では女性名詞ですね?」、「先生」とは「冬」のこと、「長かった勉強」とは、冬の厳しさを言っているのではないか?「髯の白さ」とは「雪」のことでしょうか。さらに「木の根」とは語根、語幹、または数学の「根」の意味もふくまれているようです。

 「緑」は春の大地、「青」は海の色を示しているが、この作品は「空=Himmel」という語を何度も繰り返しているので、青い空を思わないことは不可能なようです。

 取り急ぎここまで書いておきます。あとから追記いたします。

《追記》

 リルケのこのソネット全体を見ますと「色彩」が鮮やかに浮かび上がるという絵画的要素が少ないなかで、この厳しい冬に耐え、春を喜ぶ子供を通して、天地の色彩が生き生きと書かれています。「詩を知っている子供のようだ。」という率直な表現にも見られますように、詩人はこの歓びを言語化するために子供に混じりこんで、子供と一体となっています。そして「彼女」はいつの間にか「少女」ともなって、「冬の厳しさ」すら、振り返ればこの春の歓びを迎える過程だったのだと、子供のように気付くのですね。

 さらにこの1編は、「インゼル書店」に原稿が渡った後に、リルケ自身が入れ替えたということです。そこでこの詩のために抜きとられた1編とは「第一部・18」「第二部・10」に共通した性質が見られる「機械文明批判」のようです。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大地 (タクランケ)
2009-11-13 07:39:50
ええ、そうです。大地は、(地球と同じ意味の語ですが)、ドイツ語では女性名詞です。その他の解釈は、Akiさんの通りで正しいのだと思います。

リルケの春に対するよろこびは、とてもよく伝わるのですが、それ以外に言葉の意味が、わたしの中に入って来なかったのです。

あと、問題にした行については、わたしは、緑と青の類縁に余りにこだわりすぎて、執着して、全体を見失ったのだと思います。反省反省。
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青と緑 (Aki)
2009-11-13 14:52:47
この2色は、微妙な関係ですね。

モンゴル草原では海が見えません。その代りに雲の形がそっくり地上に影を落すという壮大な光景を見ることができます。この草原は「草の海」と呼ばれています。
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草の海 (タクランケ)
2009-11-13 20:26:45
そうしてみると、天地、このふたつの言葉で、すべてを言い尽くしているのだなあ。曰く、宇宙と。そうして、それが何故、どのように出来ているかということまでをも。ああ、言葉の素晴らしさよ。だれが、こんなものをつくったのだ?
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言葉 (Aki)
2009-11-13 20:43:55
人間の歴史のなかで、一番はじめに「詩人」だった人ではないでせうか?それは誰?
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