原作:マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー(イギリス・1872年発表)
監督:ケビン・ブロディ
製作:ワーナー・ブラザーズ・1999年
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
《キャスト》
★主演(ネロ):ジェレミー・ジェームズ・キスナー
原作(菊池寛訳・1929年)では、ネロは美しい少年であり、パトラッシュと共に荷車を引く姿を多くの画家が描いたと書かれています。
(このシーンは、ネロの才能を認めた画家のアトリエで、指導を受け、画材などをいただいたところ。)
★犬のパトラッシュ:ブーヴィエ・デ・フランドルという種類の犬
「ブーヴィエ」とは、「牛追い犬」という意味です。牧畜犬、警備犬、牽引犬として働く大型犬です。
この映画のなかでは、以前の飼い主に悲惨な仕打ちを受けて、捨てられた「パトラッシュ」を助けて介抱したのが「ネロ」とその祖父でした。
そして元気になった「パトラッシュ」は、牛乳配達をしてまわる「ネロ」の小さな荷車を引くと意志表示をしたのです。
そして少年と犬との物語は始まります。共に短い生涯でしたが…。
ネロの母親は、雪の夜に赤ん坊のネロを連れて父親のもとに帰ってきますが、間もなく亡くなります。
父親がどこの誰かも明かされていません。母親が絵を描いていたことだけは祖父から聞かされます。
ネロは貧しい祖父のもとで働き、絵を描いていましたが、その優れた才能を認めてくれた画家の援助にもかかわらず、
ネロの絵はコンクールでは認められません。それはいかにも教会と権力、人間への階級的差別によるもの。
さらにネロが憧れている画家「ルーベンス」はベルギーの首都「アントワープ」生まれ。「フランダース」から1里半。市がたつところです。
そこの大聖堂には、「キリストの昇架」「キリストの降架」の2枚が収められているものの、
厚いカーテンに隠されていて、高額なお金を払った者しか観ることができない。
聖堂にある宗教画が、一般公開されないこととは何事か?
たった1人の友人(のちに恋人?)「アロア」はフランダースで一番のお金持の1人娘です。
その家の風車小屋が火事になり、その濡れ衣をきせられたのも「ネロ」だった。
祖父はすでに亡くなり、小屋は家賃滞納で追い出され、2人ぼっちのネロとパトラッシュは
夜の雪道を歩いて、聖堂に向かいます。クリスマスの夜、聖堂の扉は開いていた。
深夜、凍えながらネロとパトラッシュは、「ルーベンス」の絵画のカーテンを開けるものの見えない。
やがて、窓から美しい月光が差し込んで、キリストの絵を初めて観ることができる。
そして、2人は安らかに天の召されました。2人は1つの輝く星となって。
最後の「死」はあまりにも残酷な運命であるとして、映画やアニメなどでは「ハッピーエンド」に
つくり変えられているものもあるが、原作は「死」です。村人が誤解を悔いて「ネロ」を助けようとしたのは、その後のこと。
原作者が読者に伝えたかったことは、宗教と権力の腐った関係、そして階級性への批判でせう。
さらに書き加えるならば、この物語のあちこちに「聖書」に書かれたものに類似したものが見られます。
この物語は「聖書」を意識しないで考えることはできないようです。
女性自身がまだ男性とは平等とは言えない時代に勇気ある作家だと思いました。
それとも、そういう女性ならではの視点とも言えますね?