沙漠の自然の風物の中で、一つを選ぶとすると、乾河道ということに
なる。一滴の水もない河の道だ。大きなのになると川巾一キロ、砂州
がそこを埋めたり、大小の巖石がそこを埋めたりしている。荒れに荒
れたその面貌には、いつかもう一度、己が奔騰する濁流で、沙漠をま
っ二つに割ろうという不逞なものを蔵している。そしてその秋の来る
のをじっと待っている。なかには千年も待ち続けているのもある。実
際にまた、彼等はいつかそれを果すのだ。たくさんの集落が、ために
廃墟になって沙漠に打ち棄てられている。大乾河道をジープで渡る時、
いつも朔太郎まがいの詩句が心をよぎる。――人間の生涯のなんと短
かき、我が不逞、我が反抗のなんと脆弱なる――
秋……「とき」と読みます。
乾河道……「河道=かどう」は河水の流れる道。
「かんかどう」と読んでいいかしら?
この詩は昭和59年(1984年)、集英社刊、詩集「乾河道」に収められ、
その後、1990年「増補愛蔵版」の「井上靖 シルクロード詩集」として、
日本放送出版協会より刊行され、再録された作品と思われます。
写真は「大塚清吾」氏です。
辺境地帯や砂漠地帯を旅する時、井上靖さんは小説家を廃業して、
詩人に終始されたそうです。
最近の私は、寝る前にベッドのなかで「一篇の詩」を読むことにしています。
お世話になっているのは、大岡信編「集成・昭和の詩・1995年・小学館刊」が
中心です。その他4冊ほど。
そこに、付箋をいつ貼ったのか思い出せないページがありました。
それが、この詩でした。こうなると眠れない(笑)。
なんと大きな時の流れ。人間の歴史をはるかに超えている。
人間の知恵の及ばぬ時間に滅ぼされ、また生きて、人はささやかに生きていた。