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世界は雲の姿にも似て
すばやく変化しようとも、
すべての完成された存在は
最古のものに帰属する。
変化と変遷を超え
さらに悠遠に さらに自由に
なおもあなたの始原の歌は生き続ける、
竪琴をもつ神よ。
苦悩は知られていない。
愛は学び取られていない、
そして死において私たちを遠ざけるものは
ヴェールを除かれていない。
ただ平原のうえを流れる歌のみが
聖化し そして賛美する。
(田口義弘訳)
人間の内面は取替えのきかないものばかりだ。どのように時代が変化し、文明のみが進化や進歩を遂げたとしても。「愛は学び取られていない」というわけだ。そして美しい音楽や言葉は、必ず「最古のものに帰属する」ということでしょう。リルケの詩のなかにこのような1節があります。
失うというのも私たちのものであり、忘却でさえ
変容における持続の国でなおも形姿をもっているからだ
このソネット全体が、「変容における持続の国」ではないか?そして「オルフォイス」への賞賛は続くのだった。これはすでに「神」への呼びかけに近い。
これは、また直ぐ第2部の早々の詩のどれかで言及することになると思います。詩想としても出てきますし、文字で言葉でも出てきます。
ところで、Akiさんの、これまでのこのリルケに関するブログをわたしのブログに接続したいのですが、よろしいでしょうか。それぞれのソネット同士で過去に遡ってリンクを張って接続する方が、わたしのブログにふくらみができると思うです。
ご了解いただけるとありがたく。
返信をお待ちいたします。
マルテの手記にも書いてありますね。
思い出を持つだけでは十分ではない。
思い出が多いときには、
それを忘れることが出来なければならぬ。
ふたたびそれがよみがえってくるのを
待つだけの大きな忍耐が必要なのだ ……と。
わたしも若い時代い忘れることに専念したのは、後年別の形をとって思い出されることを信じたからでした。今Akiさんにお会いできたのも、その結果のひとつかと思います。あるいは、リルケをよんでいるということも。
思いがけないような展開があるのですね。
時間という神に感謝したいものです。