ミルウォーキーで何もすることなく時間をつぶして夜行バスでミネアポリスへ。
初の夜行バス。しかもグレイハウンドのパス初使用。何かあってはいけないので、窓口で使い方を聞いて早めに列へ。どうやらパスを見せればそのまま乗れるようなことを言っていた。ガイドブックには初回利用時には手続きが必要みたいなことが書いてあったけど、情報が古かったんだろう。
バスの運転手が来て前から一人づつチケットをチェックして乗り込んでいく。自分の番に来てパスを見せて乗り込もうとしたら・・・、何か言ってくる。何か必要なのか?
「窓口で『見せればいい』って言われたんだけど」
というが納得しない。別の運転手のところに一緒に連れていかれて、その運転手が何やら説明してくれて納得したみたい。システムが変わって乗るバスの運転手はそれを知らなかったと推測するが、本当のところはわからない。
無事乗車できて出発
途中休憩があった。午前2時とかそのくらいだろう。こんなところで置いて行かれてはかなわない。バスの運転手、その他乗客をマークして。。。コーヒーくらい飲んだんだったかな?
午前6時にミネアポリス到着。6時じゃまだ街は活動していない。また時間つぶしだ。
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DCで飛行機に乗る際、数日前に友人を見送りに行ったことを書いたが、その友人はミネアポリス経由でサンフランシスコへ飛ぶのだった。
係の人、数回
Many apples?
と聞いてくる。二人して「何?」と顔を見合わせるが、数回して
Minneapolisだ!
と合点した。二人とも英語勉強しにアメリカ来たのにね。
朝食のあとはミルウォーキー観光。
といっても、ミルウォーキーって何があるんだ?当時の「地球の歩き方 アメリカ編」では2ページくらいあったかな?
バスで植物園みたいなところに行った覚えがある。普段なら見向きもしないところだが、他に行くところもなくて・・・
ミッチェルパーク植物園 観光ガイド - おすすめ旅行を探すならトラベルブック(TravelBook)
チケット
こんなもん、よく取ってあったな・・・
入場料3.25ドルに対し、100ドル札出してる。
そのあとビール工場に行ったが閉まっていたとの報告が残っている。ミルウォーキーだからそのビール工場ってのはミラーかな?
それからミシガン湖クルーズ
風に吹かれているところ
着てるのは地元DCで三枚10ドルで買ったTシャツ
市街に戻ってショッピングセンターのフードコートで遅いお昼。
PANDA EXPRESS
フードコートではまずチャイニーズを探してた。その中でもPANDA EXPRESSが一番多かったかな。
数年前、仕事で川崎に行ったら、フードコートにこのPANDAがあった。懐かしかった~(食べなかったけど)
この後、夜行バスの時刻まで相当時間があるんだが、何してたんだろうなぁ。
外から自由に入れそうなユース、土砂降りの中熟睡して(夜中に一度目が覚めたがまたすぐ寝られた記憶がある)目が覚めたら外はいい天気。まさに昨日の雨がうそのよう。
このころは朝の散歩という習慣はなかった。
それでもちょっと庭を歩いていたらホストが小さなお嬢ちゃんと出てきた。クリスティっていうらしい。日本人だからってことからか、たまごっちを見せてくれた。ワシントンポストにも取り上げられたが、いかんせん当時の情報量、どのくらい流行ってるのかは実感できていないが、最近でいうとタピオカクラス?
7:50ころユースを出た。バス停がユースの近くにあった。この旅行、バスタオルを一枚持って行ったんだが前日初使用して、それが乾かない。バスが来るまで太陽に照らして乾かそう・・・としたが、なかなか乾かずバスも来ず(時刻表もなかったと思う)。
バスが来なきゃ歩くしかない。昨日、迎えに来てもらったバーのところまで歩いて(バスタオル乾かない)。
昨日はここからすぐにユースに着いた気がするんだが、やっぱり歩くと時間かかった。ここなら本数多いかな?一路線なら関係ないんだが。
何もすることないので写真一枚。
当時のメモによると、9:30にようやくバスが来たんですって。
バスで市の中心まで来て、朝食はDUNKIN DOUNUTS。
これまた当時のメモによると、前日(お昼?)と同じで、店のお姉さんが覚えてくれてたんだとか。食べたのはBOSTON CREAMでとてもおいしかったとも。
ちなみに、2003年にアメリカで集合オフィスのようなところで働いていて、そこは金曜日の朝は、DUNKIN DOUNUTSがサービスで山盛りに用意されていた。いつもBOSTON CREAMともう一品いただいてた記憶がある。
さて、この日は初の夜行バスでミネアポリスに行くことになっている。それまではミルウォーキー観光ってことになるけど、どうするかな。
ゲームが終わったあとはまたシャトルバスで市街へ。
ぷらぷらしてから市のバスでこの日泊まるユースへ。当時なのでバス乗り場にあった路線図を目に焼き付けて、ユースまでの距離感などをつかむというアナログ方式。午前中に予約の電話を入れたとき、「迎えに行こうか?」と言われたけど、大丈夫だろう。
35というバスに乗って向かうが不安になって運転手に宿の番地を見せて聞いてみると、このバスではユースには行かないという。”another 35"に乗れと。another ってなんだ?もう一種類35のバスがあるというのか?
降りてanother 35が来るのを待つ。だんだん頭の中の地図の見え方がぼんやりになってくる。まだかろうじてそれが見えているうちにユースに着きたい。
anotherな35が来た。やれやれ。
しかし、しばらくすると雨が降ってきた。そしてだんだんと強く。やばいぞ(゚台゚lll。傘持ってない。
さらにやばいことに、バスが頭の中の地図や路線図と違う方向に曲がった(*゚Д`;)。どこ行っちゃうの?どうする?降りる?降りよう。
ほぼ反射的に降りたけど、そのあとどうするか考えてない。雨も強い。降りたところで次のバス待つしかない(-д-;)(じゃぁなんで降りたんだ?)
30分以上待って次のバスが来た。乗るときにドライバーに番地を見せると、ユースの前は通らないけど近くまでは行くという。このバスでよかったのか・・・
ドライバーが合図してくれて降りる。土砂降りだが、幸いなことに近くにバーのようなお店がある。
とりあえずダッシュでそこに入って・・・ユースに電話だ!
お店の名前を告げると、「ちょっと待ってな」という声。
・・・
ホントにちょっとで来てくれた。こっちは待ってる身だから認識できたが、向こうもこちらをすぐ認識して声をかけてくれた。だいぶ浮いているというか場違いな感じだったんだろう。
バーからはすぐ。ユースに泊まるってのは初めてじゃないか?(そして今のところ最後か)
他にどんな人が泊ってるのか?と不安に思っていたが、他に誰もいない。今の言葉(?)でいえば俺だけのユース...あまり嬉しいもんでもないな。
「ほかにお客はいないの?」と聞くと
「昨日は結構泊ってたんだけどね」ってことらしいが。
記憶では鍵をかけるようなところもなく、オープンで雨の音と車の走る音がよく聞こえるところだった。
シャワーはお湯が出たんだったか?
ラジオがあったので一晩中つけておいた。
そんなところなのによく寝たとの記録がある。
地球の歩き方から抜き出したユースのアドレス
これをバスのドライバーに見せたんだな。
バスのチケット
PLEASE RECYCLEって書いてあるけど大事に日本にまで持って帰っちゃってるよ。ここまですれば許してくれるか。
中の様子
明るいから翌朝撮ったのかな
場所はこちらだったらしい
記憶では市街の北西方向だったのだが、調べたら南西じゃないか。
この5年後、車でミルウォーキーに行ったとき、時間があったのでこのユースを探したんだが、やはり北西方向を探した気がする。それじゃみつからんよ。
スタジアムについてチケット購入。シカゴでのブルペン前最前列がよかったので、「できるだけ低い位置で」という希望を伝えて。
スタジアムに入って、コンコースにはチームの往年のスターたちの展示品が。
ハンク・アーロン
ローリー・フィンガーズ
ロビン・ヨーント
ゲームが始まって、1番の後はロドリゲス、グリフィーJr。
シアトルの先発は超エース、ランディ・ジョンソン。
この年のシアトルはリーグ優勝。プレーオフに進んだが、我がオリオールズに負けたのだった。「我が」というのは滞在していたワシントンDCに当時最も近かったのがボルティモア・オリオールズ。全試合放送があるし、新聞のスポーツ面で大きく取り上げられれば「我が」とも言いたくなりますわ。
(今はワシントン・ナショナルズがある)
シカゴのときと同じようにちょいとネット裏に移動
途中にわか雨が降った。中断したんだったかしなかったんだったか?傘は持ってきてなかったなぁ。。。
雨降ったこと以外覚えてない(´・ω・`)
大リーグの試合には絶対プログラムが売っている。買ってしまった。これ以来、ゲームを見て買わなかったときはないんじゃないか?
特集の一つはラリー・ドビー。この年は「黒人初の大リーガー」ジャッキー・ロビンソンのデビュー50周年だったが、第二の大リーガーのドビーも50周年。こと年のオールスターはドビーがいたクリーブランドで、始球式も当然ドビーだった。
ゲームのチケット、あの席で13ドルって安すぎ!今だったらいくら位なんだろう?去年は(多分今年も)観客入れないから調べられないな。
シアトルの打線
2番 ロドリゲス
3番 グリフィーJr
4番 マルティネス
5番 ビューナー
オールスターのラインナップでもおかしくない。
おまけに先発がジョンソン。いいゲームに当たった。
この日は5:30に目が覚めた。目覚ましを必要としなかったみたい。このときはすでに早起きになっていたようだ。いつから早起きになったのか?思い出すと、この米国滞在の数年前、今なら過労死ラインを超えるほどだった時期(しかも実家から通勤していたので片道一時間半程度)あたりで体質が変わった気がする。
タクシーを捕まえてバスターミナルへ。休職中の身なのにタクシーとはどういう理由だったのか?
バスは7:00だったかな。前日買ったパスは使わない。なぜならばこの一か月後にもっと長距離の移動を予定していて、翌々日から使った方が安くつきそうだったから。
行先はミルウォーキー。9:30に到着してDUNKIN DOUNUTSで朝食。このころはフィルムだし食べたものなんか撮らなかったな。ましてやドーナツでは。
球場に電話してこの日のゲームは13:00からと教えてもらった。ネットが普及していない時代ならではの行動ですな。
さらに電話でこの日に泊まるところを確保。これもシカゴと同じように「地球の歩き方」に出ていたユース。
ゲームまではまだ時間がある。確かこの中に入った気がする。
この後はスタジアムへ。シャトルバスがあるとは聞いていたがどこから乗るのか?
周辺の人の中から同じようにスタジアムに向かうようなおじいさんと孫らしい人を見つけて聞いてみたらbingo。後ついて行ってバスに乗って無事スタジアムへ。
シカゴ二日目。
写真は一枚も撮らなかったみたい。記憶もあまりない。当時のメモを見てみると・・・
なんですか、これ?
推測すると、6:00頃起きてグレイハウンドに行って、バスの一か月パスを買いに行ったんでしょうね。それでマックで朝食にしたのかと。
そしてシアーズタワーへ。シカゴは二回目で、一回目のときもシアーズタワーに行ったから写真撮らなかったのかな?
その後、バスで科学産業博物館行ったけど入れず、その代わり歴史博物館行ったんでしょうか。
そして、ミシガンアヴェニューを歩いた後、チャイニーズで昼食(あるいは夕食)と。
泊まったのは引き続きTOKYO HOTEL。これは間違いない。
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新年初回から内容nothingですみませんです。
1997年アメリカ滞在時の旅行の続き。途切れ途切れになってるけど継続します。
野茂が勝ち投手になったゲームを見終わってリグレーフィールドを後にし、この日泊まるホテルへ。
泊まるのはTOKYO HOTEL。当時の「地球の歩き方」に出ていた安宿。シカゴのまん真ん中なのに30ドル/泊くらい。エレベータガールならぬじいさんが手動で操作してくれるエレベータで12階くらいの部屋だったかな。wikiにも紹介されている。
2000年、2003年にも泊っている。写真は2006年に撮ったもの。
2013年にcloseになったらしいけど、もしあっても今は泊まる気にはならんな~。
これは当時のフィルム写真。シカゴ川ですかね。上手い下手はともかく、味があるもんだなぁ。
このとき、珍しく実家に国際電話。野茂が投げる試合はBSで放送があるので、生だったら間に合わないけど、もしこれから録画中継があったら録画してほしいということで(実際、中継があったようで帰国後見た)。
こっちから電話したのはこのときと、渡米早々に持っていった会社のノートパソコンが壊れて、家で使ってたのを送ってくれるように頼んだとき、帰国日が決まったときくらいかなぁ。親不孝ですみません。
(前回、シカゴに着いてその続き)
シカゴは二回目。三年前に一度来ているが、その時はタクシーで市街に向かったのではなかったか。今回は休職中の身なので安いメトロで。中心部まで結構駅がある。
その三年前にリグレーフィールドにも行っている。が、ゲームを見に行ったわけではない。その時、初渡米だったのに、大リーグはストライキ中で、せめて球場だけでもと思ったのだった。
この「三年前」というのが初海外。さらに記憶が薄くなってきているが、順番が回ってきたらこちらにそのときの旅行記を。
リグレーの最寄駅からは球場が見える。そこからダッシュでチケット売り場へ。
チケットは「できるだけいい席」を買って入場するも席がどこか全然分からない。係りの人にチケット見せて連れて行ってくれたのは、なんとブルペンの最前席!
守っている感覚になった。ボールが飛んで来たら逃げるけど。
この球場ができたのは1912年だったかな。ベーブ・ルースが予告ホームラン(?)をしたのはここ。滞在中に一度その時の動画を見たんだが、その後見ていない。幻だったか?youtubeで探してみるか。
ナイター設備ができたのも1988年。その後も地元住民との関係で、一年のナイトゲームの数も決められていたと思う。
そんなわけで、この日は平日でもデーゲーム。
このボードも今は近代的になってるのかな。
この日の対戦相手はドジャース。投手はNOMO。
いつもより余計に捻っております。
打席では捻りません。
一塁ベースコーチはマイク・ソーシア。1990年の日米野球、この人にサインもらっている。
「久しぶりだなぁマイク」と心の中で。
守っているだけではつまらない、打ちたいと思ったわけではないが、ちょっと移動して。
一塁ベンチ後方に移って
この辺りに移動したら、隣のおじいさんに話しかけられた。
この年はジャッキー・ロビンソンのデビュー50周年。おじいさん、それを記念したバッチを襟につけている。
ジャッキー・ロビンソンのバッチですね。
うん、昨日ミルウォーキーで買ったんだ。
へぇ、僕は明後日ミルウォーキーに行くんだ。
僕も球場巡りの旅行だがこのおじいさんもだった。
日本のピッチャーはみんなNOMOみたいな投げ方なのか?
いやいや、NOMOだけだよ。
NOMOはランナーを出してホームラン打たれた。そうしたら
NOMOのtypicalなピッチングフォームが見れていいじゃないか
とも。確かにNOMOを見るからにはセットポジションよりワインドアップの方がいいですよね。
おじいさんに撮ってもらった写真
おじいさんとお互い今後の野球観戦旅行の無事を祈って、自分でお金だして買った席へ。
ピッチャー交代の間、ライトのモンデシーがやってきた。
他には登板のない韓国のパク・チャンホがブルペンに遊びに来た。僕の顔を数秒見たなぁ。
コイツ韓国人か?いや違うか?
なんて思ってたかも。
打たれながらもNOMO勝利投手。試合後、着替えてインタビューを受けていた。
日本人も数人このあたりに集まっていた。インタビュー終了後、「野茂~」という声も上がったが、聞こえないかのようにベンチへ。
この日のチケット
試合経過
米国滞在中、Baseball Weeklyというタブロイドの新聞を毎週買っていて、観た試合は切り取っていた。
今年は海外旅行はダメなので、『二十世紀のアメリカバス旅行』再開します。再開というが始まっていたのかどうかちょっと微妙なところだが、前段はこことかこことか。
ともかくこの日はシカゴへ向かう日。
今回の旅メモの始まりは
After replying a mail to XXX(会社の人), I finished preparing for the trip.
で始まっている。
会社を休職してアメリカに来ていたが、会社からアルバイトのような仕事が来ていたのだった。この時からいわばテレワークをしていたってことか。
finishの後は不定詞ではなく動名詞というのはこの滞在中に習ったなぁ。授業でBarbaraという先生に、finish to xxx といったら finish to xxx???と返されて、それ以来間違ったことはない(はず)。一番いい先生だった。それからここで”I"は要らんかな。
それはともかく本題へ。
このときも何度も荷物をチェックしてたと書いてある。荷物はリュック一つというのに。これは今も変わらない。
住んでいたのは首都ワシントンDC、ホワイトハウスから徒歩10分というところ。ワシントンポストを右に見てメトロの駅へ。
DCのメトロの種類は色の名前。乗る駅はオレンジとブルーが止まる。空港へ行くのはブルーとイエローなので、ブルーに乗ったんでしょうね。
ナショナルエアポートへ。アメリカの国内線に乗るのは初めてで緊張しそうなものだが、実はこの数日前に近くに住む日本人女子が日本に帰るということで、荷物持ちの役を受け持って空港に来てチェックインや荷物を預けるところなどを見ていたので、これが下見として役に立った。
無事チェックインも済んで機内へ。席は左窓側だった。
離陸後約一時間半、飛行機は高度を下げてミシガン湖がはっきり見えてきた。南部のコミスキーパーク、北部のリグレーフィールドも見えた。このリグレーフィールドはこれから行くところ。試合開始間に合うか間に合わないかのタイミング。
飛行機はミシガン湖西岸を北上してから機体を45度(実感)傾けて左へ。これが怖かったのは今も覚えている。今だったらなんとも思わんだろうけどなぁ。
なんなくシカゴ・オヘア空港到着。試合開始に間に合うか?