七日目はカンザスシティからセントルイスへの移動。
当時の記録によると、5:30にアラームで起こされて、路線バスでバスターミナルまで行ったとある。起床時刻はともかく、バスで行ったことは全く覚えていない。ホテルに来たときは歩いたはずだが。
カンザスシティとセントルイスはミズーリ州の西端と東端。70号線で結ばれている。1985年のワールドシリーズはこの両者で、70号シリーズみたいな呼ばれ方だったんじゃなかったか?
セントルイスまでは確か4時間ほど。当時、新しい地に着いてまずするのはホテル探し(適度な価格の)。
「地球の歩き方 アメリカ編」から破いて持ってきたセントルイスのページでバスターミナルの位置周辺と照らし合わせるが、どうも合致しない。ターミナルが移動したみたいだな。
自分がどこにいるか分からないまま歩いていたら、Day's Inn発見。ここはそれほど高くないはず・・・と見込んでレセプションで聞いてみると、49ドルで空き部屋ありで決まり!
二日続けてホテルなんて当時としては贅沢というか奮発したというか。
ニグロリーグ博物館からまた歩いて市街地へ。
もう一つ、できれば行きたいと思っていたのが、サチェル・ペイジ球場。
前述の本「史上最高の投手は誰か」によると、伝説の投手サチェル・ペイジを称えようとして名付けたようだが、実際には公園に毛の生えたようなところで、著者も探すのに苦労したという。
事前に調べて「このバスに乗るんじゃないか」と思ってそのバスに乗るとき、運転手に聞いたらこれではないという。運転手さん、とても親切に教えてくれた記憶は残っている。でも、行ってしまうとナイトゲームまでの時間がなくなるかもしえないと思って断念。この運転手さんもそうだが、このカンザスシティ、親切にしてくれる人が多かった。
スタジアムへはシャトルバスで。
到着。このあたりでバスを降りたのかな?
どこの球場にも過去のスターを称える展示がある。
試合前のキャッチボール。右はジェイ・ベル。NHKのBS大リーグ中継が始まった直後はピッツバーグが強かった。その2番ショートで活躍していた。ピッツバーグの試合の中継も多かった。
その時期、球場では「SAVED BY THE BELL」の横断幕がよく映った。単に守備の上手いベルのことを言っているのだと思ったが、アメリカに住んでこの名の番組があるのを知った。
チケットはこの席。音がよく聞こえた。ボールを受ける音、ゴロのボールが芝生をたたく音、選手が走るときの地面を蹴る音・・・野球は耳でも楽しめる。
人工芝を自然芝にしたのはこの年だったかなぁ・・・?
20年以上前となっては、どんなゲームだったか覚えていない。
試合終了時は一塁ベンチ上へ。
ネット裏の席が13ドル!
帰りは「先にシャトル・バスが行っちゃってたりしたらどうしよう・・・」とか不安になったが、無事乗れてホテルへ帰還。
ホテルで一休みして出発。
夜はナイトゲームを見るつもりで、それまでは何をするか?カンザスシティではゲームより楽しみにしていたものがある。
ニグロリーグ博物館だ。
シカゴでも触れたが、この年は「黒人初の大リーガー」のジャッキー・ロビンソンがデビューして50年の節目の年。日曜日などは両チームがニグロリーグ時代のユニフォームを着用してのゲームもあった。
ジャッキー・ロビンソン以前は、「ニグロリーグ」という、いわゆる黒人だけのリーグでしかプレーできなかった。
「ニグロ」は本来は使ってはいかん言葉だが、固有名詞だからここは勘弁である。
このリーグを知ったのは、
この本の表紙の投手、サチェル・ペイジが死んだときだったか。新聞の社会面にも出ていた記憶がある。この著者、佐山和夫さんもこの新聞記事を読んで興味を持ち始め、現地に取材に行き本を出した。この本を見たとき、その数年前の死亡記事を思い出して買って、それをきっかけにニグロリーグに興味を持ったってわけですわ。
著者の佐山和夫さんも当時ニグロリーグなどは知らず、取材していくうちにこの(↓)本を紹介されて読むことになったらしい。
つられて買った。がんばって読んだ。
アメリカの歴史に少し興味を持ったのが、1991年、ワールドシリーズにアトランタが出場したときだと思う。アトランタと言えば「風と共に去りぬ」で、背景に南北戦争がある。大リーグ中継でおなじみのパンチョ伊東さんがそういう話をされて徐々に本などを読むようになったんじゃなかったか。
前置きが長くなってしまったが、当時の話へ。
目的の博物館、日本語のガイドブックもなくインターネットも普及していないなか、本屋で調べたのがこれ(↓)。
博物館へ向かう道と交差する通りのリストだろう。本屋に行ってアメリカ人向けのガイドブックを見て、少しづつ記憶しながら書いたのか?あるいは図書館で借りてまとめて書いたか?結構遠いじゃないか。
メモによると、バス停でおばあさんに時刻を聞かれ、答えたついでに博物館のアドレスを見せて行き方を聞いたがおばあさんは分からず、バスが来ておばあさんがその運転手に聞いてくれたとある。おばあさん、運転手さんありがとう。
こんな通りを歩いていって
これが博物館
別の角度から
写真は禁止で、もはや何が展示されていたのかなんて覚えていないんだが、じっくり鑑賞したのは覚えている。
当時から旅行中は自分の写真は撮らなかったが、ここでは撮りたいと思って土産物屋ならいいかとお願いして撮った写真
何か買ってますね。何買ったのかも覚えていない。。。
(髪の色は若気の至り・・・)
ここは仮の博物館だったようで、後に新しいのが近くに建てられた。そこにも行っている。
二日連続の夜行バスでミネアポリスからカンザスシティへ。ミネアポリスではホテルに泊まる予定だったが、適当なホテルがなく夜にもバスがあったので早めに移動することにしたのだった。
席はかなり埋まっていたがよく寝られたと記録されている。
バスは30分遅れて5:30に到着したらしい。なんだったらもう30分遅れても文句言わん時間帯だ。
ホテル探しは電話帳から。そういう時代だったんかな。
名前の通っているHoward JohnsonとHoliday Innを見つけ、HJの方に電話かけたら50ドル+tax。休職中の身にはありがたい価格で即決。
カフェで朝食。
夜は当然カウフマンスタジアム(今はなんていうのかな?)でゲームを見るので店員さんにどうやって行ったらいいのか聞いたら、シャトルバスが出ているということとバスの電話番号を教えてくれた。ご親切にありがとうございます。
この旅行、「地球の歩き方 アメリカ編」から行く都市のページを破いて持ってきたのだが、このカンザスシティは掲載されていなかったので、手持ちはなし。地図もなし。
電話帳でメモした住所と人の声だけが頼り。迷い迷ってホテルへ。朝食の時間帯なのに部屋が空いていてチェックインさせてもらいました。ありがたい。シャワールームへ。一泊半できる感じだったなぁ。
それまでに撮った写真は二枚。
撮った位置は10mくらいしか違わんのじゃないか。それならホテルの外観かバスターミナルでも撮ればいいのに。
6:00にミネアポリスに着いたのはいいが、ゲームは午後から。
朝食を食べたあと、ビルとビルを結ぶ「スカイウォーク」を歩き回ったというか、迷っていたというか。
ミシシッピ。下流に行くと対岸が見えないほど川幅が広くなると聞くが、このあたりはまだ普通の川。
大河ミシシッピに一か所だけ滝というか段差があってそれがミネアポリスにあるという情報があった。それがここか?(うろ覚えなので違ってるかもしれない)
カービー・パケット広場。
メトロドームへ。東京ドームのモデルとなったところで、さすがに似ている。
今では珍しい人工芝。人工芝ブームが終わって徐々に自然芝に戻していく時代だったが、ドームなのでそれもできなかったんだろう。
三塁ランナーはポール・モリター。
ワールドチャンピオンの記念のボード。
1987年と1991年の二回優勝している。デーゲームでフライが上がるとボールが見づらく、また歓声も大きいのでホーム有利といわれる球場、二回ともホームで全勝、ビジターで全敗と極端すぎる。
1991年の優勝メンバー、当時若手のセカンドのナブラックくらいしか残っていなかったかな。
投手はこのアギレラがいたか。
(調べたら一度ボストンに出ていた)
しかし出番なく試合終了。
このゲームの時に買ったプログラム
もう一冊買ってたみたいだ。前年に引退を表明したカービー・パケット。
その裏表紙、3と4が抜けている。パケットの背番号は34。
You may be out of the line-up, but we'll always remember you 34.
連日の夜間移動することになり、バスターミナルへ。次はカンザスシティ。
ミルウォーキーで何もすることなく時間をつぶして夜行バスでミネアポリスへ。
初の夜行バス。しかもグレイハウンドのパス初使用。何かあってはいけないので、窓口で使い方を聞いて早めに列へ。どうやらパスを見せればそのまま乗れるようなことを言っていた。ガイドブックには初回利用時には手続きが必要みたいなことが書いてあったけど、情報が古かったんだろう。
バスの運転手が来て前から一人づつチケットをチェックして乗り込んでいく。自分の番に来てパスを見せて乗り込もうとしたら・・・、何か言ってくる。何か必要なのか?
「窓口で『見せればいい』って言われたんだけど」
というが納得しない。別の運転手のところに一緒に連れていかれて、その運転手が何やら説明してくれて納得したみたい。システムが変わって乗るバスの運転手はそれを知らなかったと推測するが、本当のところはわからない。
無事乗車できて出発
途中休憩があった。午前2時とかそのくらいだろう。こんなところで置いて行かれてはかなわない。バスの運転手、その他乗客をマークして。。。コーヒーくらい飲んだんだったかな?
午前6時にミネアポリス到着。6時じゃまだ街は活動していない。また時間つぶしだ。
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DCで飛行機に乗る際、数日前に友人を見送りに行ったことを書いたが、その友人はミネアポリス経由でサンフランシスコへ飛ぶのだった。
係の人、数回
Many apples?
と聞いてくる。二人して「何?」と顔を見合わせるが、数回して
Minneapolisだ!
と合点した。二人とも英語勉強しにアメリカ来たのにね。
朝食のあとはミルウォーキー観光。
といっても、ミルウォーキーって何があるんだ?当時の「地球の歩き方 アメリカ編」では2ページくらいあったかな?
バスで植物園みたいなところに行った覚えがある。普段なら見向きもしないところだが、他に行くところもなくて・・・
ミッチェルパーク植物園 観光ガイド - おすすめ旅行を探すならトラベルブック(TravelBook)
チケット
こんなもん、よく取ってあったな・・・
入場料3.25ドルに対し、100ドル札出してる。
そのあとビール工場に行ったが閉まっていたとの報告が残っている。ミルウォーキーだからそのビール工場ってのはミラーかな?
それからミシガン湖クルーズ
風に吹かれているところ
着てるのは地元DCで三枚10ドルで買ったTシャツ
市街に戻ってショッピングセンターのフードコートで遅いお昼。
PANDA EXPRESS
フードコートではまずチャイニーズを探してた。その中でもPANDA EXPRESSが一番多かったかな。
数年前、仕事で川崎に行ったら、フードコートにこのPANDAがあった。懐かしかった~(食べなかったけど)
この後、夜行バスの時刻まで相当時間があるんだが、何してたんだろうなぁ。
外から自由に入れそうなユース、土砂降りの中熟睡して(夜中に一度目が覚めたがまたすぐ寝られた記憶がある)目が覚めたら外はいい天気。まさに昨日の雨がうそのよう。
このころは朝の散歩という習慣はなかった。
それでもちょっと庭を歩いていたらホストが小さなお嬢ちゃんと出てきた。クリスティっていうらしい。日本人だからってことからか、たまごっちを見せてくれた。ワシントンポストにも取り上げられたが、いかんせん当時の情報量、どのくらい流行ってるのかは実感できていないが、最近でいうとタピオカクラス?
7:50ころユースを出た。バス停がユースの近くにあった。この旅行、バスタオルを一枚持って行ったんだが前日初使用して、それが乾かない。バスが来るまで太陽に照らして乾かそう・・・としたが、なかなか乾かずバスも来ず(時刻表もなかったと思う)。
バスが来なきゃ歩くしかない。昨日、迎えに来てもらったバーのところまで歩いて(バスタオル乾かない)。
昨日はここからすぐにユースに着いた気がするんだが、やっぱり歩くと時間かかった。ここなら本数多いかな?一路線なら関係ないんだが。
何もすることないので写真一枚。
当時のメモによると、9:30にようやくバスが来たんですって。
バスで市の中心まで来て、朝食はDUNKIN DOUNUTS。
これまた当時のメモによると、前日(お昼?)と同じで、店のお姉さんが覚えてくれてたんだとか。食べたのはBOSTON CREAMでとてもおいしかったとも。
ちなみに、2003年にアメリカで集合オフィスのようなところで働いていて、そこは金曜日の朝は、DUNKIN DOUNUTSがサービスで山盛りに用意されていた。いつもBOSTON CREAMともう一品いただいてた記憶がある。
さて、この日は初の夜行バスでミネアポリスに行くことになっている。それまではミルウォーキー観光ってことになるけど、どうするかな。
ゲームが終わったあとはまたシャトルバスで市街へ。
ぷらぷらしてから市のバスでこの日泊まるユースへ。当時なのでバス乗り場にあった路線図を目に焼き付けて、ユースまでの距離感などをつかむというアナログ方式。午前中に予約の電話を入れたとき、「迎えに行こうか?」と言われたけど、大丈夫だろう。
35というバスに乗って向かうが不安になって運転手に宿の番地を見せて聞いてみると、このバスではユースには行かないという。”another 35"に乗れと。another ってなんだ?もう一種類35のバスがあるというのか?
降りてanother 35が来るのを待つ。だんだん頭の中の地図の見え方がぼんやりになってくる。まだかろうじてそれが見えているうちにユースに着きたい。
anotherな35が来た。やれやれ。
しかし、しばらくすると雨が降ってきた。そしてだんだんと強く。やばいぞ(゚台゚lll。傘持ってない。
さらにやばいことに、バスが頭の中の地図や路線図と違う方向に曲がった(*゚Д`;)。どこ行っちゃうの?どうする?降りる?降りよう。
ほぼ反射的に降りたけど、そのあとどうするか考えてない。雨も強い。降りたところで次のバス待つしかない(-д-;)(じゃぁなんで降りたんだ?)
30分以上待って次のバスが来た。乗るときにドライバーに番地を見せると、ユースの前は通らないけど近くまでは行くという。このバスでよかったのか・・・
ドライバーが合図してくれて降りる。土砂降りだが、幸いなことに近くにバーのようなお店がある。
とりあえずダッシュでそこに入って・・・ユースに電話だ!
お店の名前を告げると、「ちょっと待ってな」という声。
・・・
ホントにちょっとで来てくれた。こっちは待ってる身だから認識できたが、向こうもこちらをすぐ認識して声をかけてくれた。だいぶ浮いているというか場違いな感じだったんだろう。
バーからはすぐ。ユースに泊まるってのは初めてじゃないか?(そして今のところ最後か)
他にどんな人が泊ってるのか?と不安に思っていたが、他に誰もいない。今の言葉(?)でいえば俺だけのユース...あまり嬉しいもんでもないな。
「ほかにお客はいないの?」と聞くと
「昨日は結構泊ってたんだけどね」ってことらしいが。
記憶では鍵をかけるようなところもなく、オープンで雨の音と車の走る音がよく聞こえるところだった。
シャワーはお湯が出たんだったか?
ラジオがあったので一晩中つけておいた。
そんなところなのによく寝たとの記録がある。
地球の歩き方から抜き出したユースのアドレス
これをバスのドライバーに見せたんだな。
バスのチケット
PLEASE RECYCLEって書いてあるけど大事に日本にまで持って帰っちゃってるよ。ここまですれば許してくれるか。
中の様子
明るいから翌朝撮ったのかな
場所はこちらだったらしい
記憶では市街の北西方向だったのだが、調べたら南西じゃないか。
この5年後、車でミルウォーキーに行ったとき、時間があったのでこのユースを探したんだが、やはり北西方向を探した気がする。それじゃみつからんよ。
スタジアムについてチケット購入。シカゴでのブルペン前最前列がよかったので、「できるだけ低い位置で」という希望を伝えて。
スタジアムに入って、コンコースにはチームの往年のスターたちの展示品が。
ハンク・アーロン
ローリー・フィンガーズ
ロビン・ヨーント
ゲームが始まって、1番の後はロドリゲス、グリフィーJr。
シアトルの先発は超エース、ランディ・ジョンソン。
この年のシアトルはリーグ優勝。プレーオフに進んだが、我がオリオールズに負けたのだった。「我が」というのは滞在していたワシントンDCに当時最も近かったのがボルティモア・オリオールズ。全試合放送があるし、新聞のスポーツ面で大きく取り上げられれば「我が」とも言いたくなりますわ。
(今はワシントン・ナショナルズがある)
シカゴのときと同じようにちょいとネット裏に移動
途中にわか雨が降った。中断したんだったかしなかったんだったか?傘は持ってきてなかったなぁ。。。
雨降ったこと以外覚えてない(´・ω・`)
大リーグの試合には絶対プログラムが売っている。買ってしまった。これ以来、ゲームを見て買わなかったときはないんじゃないか?
特集の一つはラリー・ドビー。この年は「黒人初の大リーガー」ジャッキー・ロビンソンのデビュー50周年だったが、第二の大リーガーのドビーも50周年。こと年のオールスターはドビーがいたクリーブランドで、始球式も当然ドビーだった。
ゲームのチケット、あの席で13ドルって安すぎ!今だったらいくら位なんだろう?去年は(多分今年も)観客入れないから調べられないな。
シアトルの打線
2番 ロドリゲス
3番 グリフィーJr
4番 マルティネス
5番 ビューナー
オールスターのラインナップでもおかしくない。
おまけに先発がジョンソン。いいゲームに当たった。