(前回、シカゴに着いてその続き)
シカゴは二回目。三年前に一度来ているが、その時はタクシーで市街に向かったのではなかったか。今回は休職中の身なので安いメトロで。中心部まで結構駅がある。
その三年前にリグレーフィールドにも行っている。が、ゲームを見に行ったわけではない。その時、初渡米だったのに、大リーグはストライキ中で、せめて球場だけでもと思ったのだった。
この「三年前」というのが初海外。さらに記憶が薄くなってきているが、順番が回ってきたらこちらにそのときの旅行記を。
リグレーの最寄駅からは球場が見える。そこからダッシュでチケット売り場へ。
チケットは「できるだけいい席」を買って入場するも席がどこか全然分からない。係りの人にチケット見せて連れて行ってくれたのは、なんとブルペンの最前席!
守っている感覚になった。ボールが飛んで来たら逃げるけど。
この球場ができたのは1912年だったかな。ベーブ・ルースが予告ホームラン(?)をしたのはここ。滞在中に一度その時の動画を見たんだが、その後見ていない。幻だったか?youtubeで探してみるか。
ナイター設備ができたのも1988年。その後も地元住民との関係で、一年のナイトゲームの数も決められていたと思う。
そんなわけで、この日は平日でもデーゲーム。
このボードも今は近代的になってるのかな。
この日の対戦相手はドジャース。投手はNOMO。
いつもより余計に捻っております。
打席では捻りません。
一塁ベースコーチはマイク・ソーシア。1990年の日米野球、この人にサインもらっている。
「久しぶりだなぁマイク」と心の中で。
守っているだけではつまらない、打ちたいと思ったわけではないが、ちょっと移動して。
一塁ベンチ後方に移って
この辺りに移動したら、隣のおじいさんに話しかけられた。
この年はジャッキー・ロビンソンのデビュー50周年。おじいさん、それを記念したバッチを襟につけている。
ジャッキー・ロビンソンのバッチですね。
うん、昨日ミルウォーキーで買ったんだ。
へぇ、僕は明後日ミルウォーキーに行くんだ。
僕も球場巡りの旅行だがこのおじいさんもだった。
日本のピッチャーはみんなNOMOみたいな投げ方なのか?
いやいや、NOMOだけだよ。
NOMOはランナーを出してホームラン打たれた。そうしたら
NOMOのtypicalなピッチングフォームが見れていいじゃないか
とも。確かにNOMOを見るからにはセットポジションよりワインドアップの方がいいですよね。
おじいさんに撮ってもらった写真
おじいさんとお互い今後の野球観戦旅行の無事を祈って、自分でお金だして買った席へ。
ピッチャー交代の間、ライトのモンデシーがやってきた。
他には登板のない韓国のパク・チャンホがブルペンに遊びに来た。僕の顔を数秒見たなぁ。
コイツ韓国人か?いや違うか?
なんて思ってたかも。
打たれながらもNOMO勝利投手。試合後、着替えてインタビューを受けていた。
日本人も数人このあたりに集まっていた。インタビュー終了後、「野茂~」という声も上がったが、聞こえないかのようにベンチへ。
この日のチケット
試合経過
米国滞在中、Baseball Weeklyというタブロイドの新聞を毎週買っていて、観た試合は切り取っていた。
今年は海外旅行はダメなので、『二十世紀のアメリカバス旅行』再開します。再開というが始まっていたのかどうかちょっと微妙なところだが、前段はこことかこことか。
ともかくこの日はシカゴへ向かう日。
今回の旅メモの始まりは
After replying a mail to XXX(会社の人), I finished preparing for the trip.
で始まっている。
会社を休職してアメリカに来ていたが、会社からアルバイトのような仕事が来ていたのだった。この時からいわばテレワークをしていたってことか。
finishの後は不定詞ではなく動名詞というのはこの滞在中に習ったなぁ。授業でBarbaraという先生に、finish to xxx といったら finish to xxx???と返されて、それ以来間違ったことはない(はず)。一番いい先生だった。それからここで”I"は要らんかな。
それはともかく本題へ。
このときも何度も荷物をチェックしてたと書いてある。荷物はリュック一つというのに。これは今も変わらない。
住んでいたのは首都ワシントンDC、ホワイトハウスから徒歩10分というところ。ワシントンポストを右に見てメトロの駅へ。
DCのメトロの種類は色の名前。乗る駅はオレンジとブルーが止まる。空港へ行くのはブルーとイエローなので、ブルーに乗ったんでしょうね。
ナショナルエアポートへ。アメリカの国内線に乗るのは初めてで緊張しそうなものだが、実はこの数日前に近くに住む日本人女子が日本に帰るということで、荷物持ちの役を受け持って空港に来てチェックインや荷物を預けるところなどを見ていたので、これが下見として役に立った。
無事チェックインも済んで機内へ。席は左窓側だった。
離陸後約一時間半、飛行機は高度を下げてミシガン湖がはっきり見えてきた。南部のコミスキーパーク、北部のリグレーフィールドも見えた。このリグレーフィールドはこれから行くところ。試合開始間に合うか間に合わないかのタイミング。
飛行機はミシガン湖西岸を北上してから機体を45度(実感)傾けて左へ。これが怖かったのは今も覚えている。今だったらなんとも思わんだろうけどなぁ。
なんなくシカゴ・オヘア空港到着。試合開始に間に合うか?
「二十世紀のアメリカバス旅行」
前の記事からだいぶ経ってしまった。週一くらいのペースとか書いた気がするが、月一にも達していない。
それはそれとして、最初の旅行の計画について。
あれやこれやと考えを巡らせたのは今と同様だが、紙の上で予定を立てていたのが違う。パソコンは持っていったし、毎日メールを見ていたりはしてたんだがなぁ。
第一回旅行は、大雑把にいえば住んでいたDC~シカゴの航空券を取り、中西部をバスで移動しようというもの。エアチケット代はもはや覚えていない。150だったか250ドルだったか。IACEトラベルで取ったのは覚えている。語学学校の日本人クラスメイトからよく聞いていた旅行会社だ。
どの都市で泊まるかは決めていたものの、当時ホテルの予約方法は直接電話か旅行代理店を通すか現地で飛び込みか。第三の方法なので、一泊の予約もないまま出発。「地球の歩き方 アメリカ編」の各地のページを切り取ってリュック一つでDCのアパートを出た。10日間、リュック一つですよ。何をどれだけ持って行ったのか?
バスの時刻調べは電話で。1-800で始まるグレイハウンドのトールフリーの番号に電話して、数回プッシュボタンを押してようやく出発地から目的地までのバスの時刻が分かるというものだったなぁ。。。よく調べたもんだ。
計画は
1.DC ~ シカゴ
2.シカゴ
3.シカゴ~ミルウォーキー
4.ミルウォーキー ~
5.ミネアポリス ~
6.カンザスシティ
7.カンザスシティ ~ セントルイス
8.セントルイス ~
9.シカゴ
10.シカゴ ~ DC
一日が「~」で終わっているのはバス泊。金と時間の節約だった。
夏のマルタ・シチリア等旅行記はこちらで。現在カターニャです。
もはや前世紀となった1996,1997年に米国に滞在した。一応、名目は語学留学だ(ビザもとった)。
学校は基本的に4週間単位(セメスターと呼んでいた気がする)でクラスが上がる。
8月にからむセメスターを夏休みとし、その間国内を旅行することにした。
当時は日本では「インターネット」という言葉がようやく出始めた時期だったと思う。
今のように電車やバスの時刻をネットでチョチョイと調べることもできず、
ホテルの予約もするとすれば旅行代理店に頼むか直接電話の時代。
当時はアメリカ大リーグ(そう言いたい世代)が好きで、バスであちこち回ろうと計画した。
バスというのはグレイハウンド。Breakfast at Tiffany'sでも登場したバス。
(Please Doc Please understand のシーンですな)
グレイハウンドの一か月パスを買って(確か250ドルくらいだった)、
住んでいたDCに戻りつつ球場めぐりをした。
旅行先は、
1.シカゴ...ミルウォーキー...ミネアポリス...カンザスシティ...セントルイス...シカゴ
2.トロント...ナイアガラフォールズ...クーパーズタウン
3.アトランタ
4.シカゴ...デトロイト...シンシナティ...ピッツバーグ
5.フィラデルフィア
1の旅行のときは何があったかを書いていた。
英語だ。聞くのも英語、しゃべるのも英語だったので書くのも英語の方が自然だったんだろう。
文法等の正確性はともかくとして。2以降は書いていない。惜しいな。
今後、一週か二週に一度のペースでアップしていきたい。