再び立ち上がる力 驚きと価値を認められることが一体になる!
とうとう、Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeも最後の段落を迎えました。ここまでお付き合いくださった方、ありがとうござ...
再生、再建、立て直し…、人や組織、あるいは、地域が復活する際の合い言葉には、様々な言い方がされますね。どれも素敵な響きと輝きがあります。
遊びでも、再生、再建、立て直しの遊びはたくさんあります。遊びはそもそも、子どもがだーれに教えられたわけではないのに、自分自身が再生するためにあるものなのですね。それが実に不思議です。「うまくできてる」と感じずにはいられませんね。
そんな遊びの元型を一つ挙げるとすれば、「いない・いない・ばー」ですね。この世界中どこにでもある、その意味で、ありふれているとと同時に普遍的な遊びが、元型でしょう。それにはさまざまなバリエーションがありますが、一度見失ったものを再発見する、という2つの段階からできているところに特色があります。またこれは一人ではできません、必ず遊び相手が必要なところも特色の一つです。母子間でもよくやる、楽しい遊びです。
ちょっと難しい響きがあるかもしれませんが、英語では、この手の遊び(の総称)を、ロスト・アンド・ファウンド・ゲームス(lost-and-found games)と呼びます(個別的には、ピーカヴォウ peekaboo 覗いてバー とも言いますけど )。この言葉は、もっともありふれた遊びなのですが、非常に意味が深いと、常々感じています。
lostといえば、なくしものや迷子の時にも言いますし、野球の試合に負けた場合も言います。ちょっと残念な場合ですね、いずれの場合も。そして、ものをなくしたり、迷子になったりする場合も、試合に負けるのも、意識してそうしました、というよりも、別の結果を意識していたのに、そうなっちゃいました、というような、どちらかといえば受け身の体験ですよね。lostも、ですから、受身形、受動態です。それじゃあ、foundはどうか? いないいないばーは、見つけているのか、見つけられているのか、どっちですか?大人が子供にやる場合は、意識では「見つけている」のかもしれませんが、その場合でも、子供の立場に立てば、大人も「見つけられている」のです。英語のfoundも、受身形・受動態です。
じゃあ、なぜ受身形なんでしょう? その受け身の遊びをなんで進んで世界中の人はするんでしょう?
その答えはみなさんで考えてみてください。
ここでは、別の視点で話題を提供したいと思います。それは、聖書のお話です。新約聖書には、イエスキリストの話が4つ出てまいります。3番目に出てくるのが「ルカによる福音書」です。ルカというお医者さんがギリシャ人向けに書いたものだ、と言われていたそうです。ですから、築地にある、日野原重明先生が理事長を務める病院の名も、この福音書を書いた人の名を冠して、「聖路加国際病院」といいます。
この福音書の第15章に3つの物語、たとえ話がでて参ります。
①「見失った羊」のたとえ(「1匹の迷える子羊」と言ったら、知っている人もいるかもしれません)
②「無くした銀貨」のたとえ
③「放蕩息子」のたとえ(3つの中で、この「放蕩息子」の話が、いちばん有名かもしれません。小説や戯曲や絵画などで、何度もリメイクされています。)
この箇所を英語で読みますと、繰り返し、繰り返し、lostとfoundが出てまいります。そして、「羊が見つかってよかった」、「銀貨が見つかってよかった」、「放蕩息子が見つかってよかった」といいます。「失った相手が見つかって、よかった、ですから、みんなでお祝いしましょう、喜び合いましょう。」と3回繰り返されます。しつこいですか?3度も繰り返して伝えたかったことがあるのです。それが≪神の国≫、天国のことだといいます。無くしていたものが、見つかって、見つけられて、とっても嬉しい、みんなで喜びましょう、というのが天国なのですね。
ですから、子どものいないいないばーは、天国を体験する遊びなのですね。