エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ぞれじゃぁ 「馴れ合い」の反対は?

2014-05-16 07:56:50 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 馴れ合いは、サドでもマゾでも、自滅する。オッカナイこと、オッカナイこと。

 馴れ合いから、今のような、国の借金まみれ、秋葉原事件の無差別殺傷事件のような人間破綻から「一流」レストラン、「一流」デパート、東京電力などのウソとゴマカシという人間破綻まで、外交は放棄して戦争できる国づくり、基本的人権を踏みにじる「特定秘密法」「改正教育基本法」、非常勤を増やす労働政策などが生まれているのです。おいおいハッキリしますので、しばしお待ちを。

 今日はp,19 三つめの段落から。

 

 

 

 

 

 それじゃあ、「馴れ合い」の反対、大人の「真」は、「自分自身との対話、自分自身であること(自分が独立していること)を大事にしながら、≪共にいる≫」ということです。「『真』は人間の能動的な力なんです」。人と仲間たちを隔てる壁を突き破る力になります。「真」は人間を他者と連帯させます。ですから、「真」であると、一人ぼっちな感じや相手にされない感じに、人は打ち勝つことができますよ。しかも、「真」であると、人は自分自身でいられます。自分との対話をやり続けることができます。「真」だと、2人は1つであると同時に、ひとりびとりのままである、という矛盾が生じます。

 

 

 

 

 

 矛盾があると、論理的には破綻です。理屈屋さんはそう考えることでしょう。しかし、心理臨床は、矛盾や二律背反といって、理屈に合わないことが毎日起こりますし、ホントのことは必ず理屈に合わないことを含んでいますから、「あっ、理屈に合わないことの方が真実なんだなぁ」という感じがするのです。

 ですから、「真」は2人の人が1つになるのに、同時にひとりびとりのままでいられる、自分自身でいられるということが真実なことだと、すぐに分かります。「これは本物だ」って感じます。不思議ですね。

 馴れ合いの反対は、「真」です。それは、2人は連帯していますが、その連帯は、そのひとりびとりの独立、単独者であること、自分自身であることを侵しません。いいえ、むしろ、ひとりびとりが自分自身であることを何よりも尊重するところに「真」の秘密があります。

 「真」の特色は、今日は1つ挙げておきますが、それは、“やり取り”です。双方向、相互に「働きかけ」と「受け止め」があります。一人が「投げる」ときには、もう一人が「キャッチする」という働きがあり、それが交互に入れ替わります。「真」は、必ずキャッチボールになるものですよ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最高! の賭け事

2014-05-16 03:46:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
希望の根っこ 不信の根っこ エリクソンの場合

 前の段落は、人の根源的信頼と根源的不信が、具体的に記された、極めて重要なところでした。今日のところは、根源的信頼と根源的不信の格闘の結果育まれる「希望」と、残念ながら、根源的信頼...
 

 

 希望、それは根源的信頼感と根源的不信感とが、格闘する中で獲得する、ヴァーチュー、体からにじみ出る雰囲気であると同時に、人生を現実に生きる指針でもあります。人間はこの信頼と不信の間を常に選択しながら、一生暮らしていくのです。その選択は、パスカルが言うとおり、「賭け」なのです。信頼と不信の間の、この人生の「賭け」をしていれば、これ以上オモロイ賭け事はありませんから、競馬場や競艇場に行く必要もなくなりますよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする