
マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。
この百歳は
貧しい貧しい
詩らしきものを
つくり続けている次第
でございます
マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。
この百歳は
貧しい貧しい
詩らしきものを
つくり続けている次第
でございます
#現世考: #日本の凋落 #ニッポン人の病気 #高い目的意識の喪失 #官僚的自動運転発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
第2章。「心と身体を理解する,革命」,p.29,ブランクの後から。その前もご一緒に。
苦しみを理解すること
研究病棟で過ごして数年,私は医学校に戻って,新米の医学博士として,マサチューセッツ州立健康センターに戻りました。それは,精神科医として,ワクワクして引き受けたプログラムの訓練を受けるためでした。たくさんの著名な精神科医がここで訓練を受けていきました。その中には,後にノーベル賞の生理学医学賞を受賞した,エリック・カンデルもいました。アラン・ホブソンが夢を生み出す脳細胞を病院の地下室で発見したのも,私がそこで訓練を受けている時でした。鬱の化学的な基盤に関する最初の研究も,マサチューセッツ州立健康センターで行われました。しかし,我々研修医にとっては,最大の関心事は,患者さん達でしたね。私どもは,患者さん達と6時間一緒にいて,その後で,グループで,先輩の精神科医達に観察したことを分かち合って,様々な質問をしたり,1番合点のいく言葉を競い合ったりしました。
私どものとても大切な先生,エルヴィン・セムラド先生は,1年生のうちは,精神科の教科書を読んではならん! と檄を飛ばしていました(知的に飢えたおかげで,仲間の殆どが,後々,様々な分野の本を読み漁り,多くの研究業績をあげることになりました)。セムラド先生は,精神科の診断名が誤診でも,正しい診断だと信じてしまうことで,事実が見えなくなることがないようにして欲しかったのでした。セムラド先生に質問したことが,ありましたね。「この患者さんは,統合失調でしょうか,それとも,統合失調感情障害でしょうか?」。セムラド先生は,暫く黙ったまま,顎を撫でてから,「たしか,彼のことは,マイケル・マッキンタイヤーと呼んだと思うけど」と応えました。
セムラド先生が私どもに教えてくださったことは,人間の苦しみは,たいてい,大切にされないことと大切な人をなくすことに関係する,ということと,セラピストの務めは,人が,自分の生きている実感に「気づき,体験し,身に着ける」のをてだすけすることだ,ということでしたね。生きている実感には,様々な喜びも胸が張り裂けるほどの悲しみもつきものでしょ。「私どもの苦しみの最大の源は,私どもが自分につくウソです」。セムラド先生はそのようにおっしゃって,私どもが経験するすべての局面で,自分が生きている実感に忠実であるようにと勧めました。セムラド先生がよくおっしゃった教えは,自分が知っていることを知っていることなしに,自分が実感していることを実感することなしには,良くなりません,ということでしたね。
私が忘れならないのは,この際立ったハーヴード大学老教授のセムラド先生が,次のようにおっしゃったことです。すなわち,「夜中に眠いと思ったときに,奥さんのお尻が当たると,ホッとするね」とおっしゃったことです。こんなたわいもない人間らしいニーズを正直に打ち明けてくださったおかげで,セムラド先生は,たわいもないことが,私共の人生にとってどんなにか大切なことかを,教えてくださいました。たわいもないことに関心を向けることができないと,いくら気高い思想があっても,世界的な業績を上げても,発達できない人になってしまいます。セムラド先生が私どもに教えてくれたことですが,治療とは,体験知に根差す,ということです。皆さんが人生の主人公になることができるのは,自分の身体の実感を,身に沁みて,気づくことができた時だけです。
私どものプロの仕事は,しかしながら,間違った方向へ移行しつつありました。1968年,『アメリカ精神医学研究』誌は,私が研修医だった病棟の,様々な研究結果を載せました。その様々な研究結果によって明らかになったことは,薬だけを飲んでいる統合失調症の患者さんは,ボストンで最も優れたセラピストに,週に3日セラピーを受けた統合失調症の患者さんよりも,良かった,ということでしたから。この研究は,薬と精神医学が心の病気を治療する治療法が徐々に変化していく,たくさんの節目の1つになりましたね。すなわち,精神医学が,耐えられない様々な気持ちや人との様々な耐えられない関係を,制限されずに打ち明けることを重視していたところから,個々の「障害」を脳と病の様々な関係とみる見方を重視するものへと,徐々に変化していったんです。
人間のさまざまな苦しみを治療する方法は,その時代に手に入る科学技術によって決まってきます。啓蒙思想の時代以前は,異常行動が,神様や罪や魔術や魔女や悪霊のせいにされた時代もありました。フランスとドイツの科学者らが,行動を研究して複雑な世の中に対する適応だとみなしたのは,ほんの19世紀になってからです。いま,新しいパラダイムが登場しつつあります。怒り,欲,誇り,むさぼり,欲深さ,なまけたい気持ち,その他,人間様が何とかしたいと戦ってきた気持ちも,様々なそれ相当の化学物資を管理することで,直すことができる「障害」となるとされました。精神科医は,「本物の科学者」になれることに,ホッとしましたし,喜びもしたわけです。それはまるで,実験場,動物実験,高価な機材や複雑な診断テストは駆使するのに,フロイトやユングみたいな哲学のある,俄かには理解しがたい理論は,わきに置いておく,医大のクラスメートみたいです。精神医学の教科書は,こんなものになり果てました。「心の病の原因とは,脳の異常,化学物質のバランスの崩れであるとみなされています」と。
同僚みたいに,私も薬を使う医学の大変化を熱心に活用しました。1973年,私は,マサチューセッツ州立精神保険センター最初の精神医学部長になりましたし。また,ボストンでうつ病患者にリチウムを処方した最初の精神科医は,私かもしれませんしね。(オーストラリアでリチウムを使ったジョン・ケードの業績について読んだことがありましたし,リチウムを使用する許可も病院から得ていました)リチウムを使いましたところ,この25年間,5月になるたびにそう状態になり,11月になるたびに自殺するほどうつ状態になった女性は,私の治療の下では,その悪循環から脱して,安定しています。私はまた,古い精神病棟裏の倉庫に入れられていた慢性患者さんたちの,抗精神科薬,クロザリルを,アメリカで試験する研究チームの最初のメンバーでしたね。奇跡的に薬が効いた人もいましたね。自分自身を隔離した暮らしをずっとしてきて,現実を恐れてきた人々が,いまや家族と地域に戻ることができたんです。暗闇にはまって,絶望していた患者さん達が,人間らしい触れ合いや仕事と遊びの様々な喜びに応じはじめました。こういった素晴らしい結果によって,私どもは,人間のみじめさをとうとう克服できた,と楽観してしまいました。
抗精神科薬は,アメリカの精神病院の入院患者を,1955年の500,000人から,1996年の100,00人へと減らした大きな要因でした。抗精神科薬の登場以前の世界をご存じでない方には,この変化は信じられないことでしょう。医学校一年生として,私がイリノイ州のカンカキー州立病院を訪れて,目にしたのは,図体のデカい一人の看護人が,何十人もの汚くて,裸にされた,支離滅裂なことを口にしている患者さんたちに,ホースで水をかけているところでした。そこは,家具が一つもないデイルームで,その部屋は,水を流すために,溝が切られていました。この記憶は,私がこの目で見たものというよりは,悪夢みたいなものでした。研修終了後の私の最初の仕事は,1974年,かつては由緒があった施設でした,ボストン州立知的障害者施設の最後から2番目の施設長になりました。この施設は,以前は幾千人もの患者を収容し,たくさんの建物が何百エーカーもの広い敷地に広がっていて,そこには,温室,花壇,作業場もありました。そのほとんどが今では廃墟です。私が施設長だった期間,患者さんたちは徐々に「地域社会」に出ていきました。この「地域社会」とは,十把一絡げの呼び名でして,名もない保護施設や介護付きの小規模施設のことで,そこが大規模施設から出た知的障害者の終の棲家になりました(皮肉なことに,「ホッスヒタル」と呼ばれた知的障害児施設は,「知的障害児の保護施設」としてはじまり,その意味は「聖域」でしたのに,その「聖域」は次第に,皮肉な意味を帯びるようになりました。知的障害児施設は,はじめは実際に避難所になり,皆が患者さんの名前とその人となりを知っていました)。1979年,私が退役軍人局に移動した直後に,ボストン州立知的障害者施設の門は,永遠に閉ざされて,ゴーストタウンになりました。
私がボストン州(訳注:マサチューセッツ州)にいる間,マサチューセッツ州立精神保健病院の精神薬理学研究室で仕事を続けました。その研究室は当時,別の研究に集中していました。1960年代,アメリカ保険省の科学者たちは,血液と脳の中の,ホルモンと神経伝達物質に特定し測定する技術を開発し始めました。神経伝達物質はニューロンからニューロンへと情報を伝える化学物質ですが,この神経伝達物質のおかげで,人はこの世の中と上手に関わることができます。
いまは,ノンエピネフリンが異常レベルになりと,うつ病になりやすいし,ドーパミンが異常レベルになると,統合失調症になりやすいというエビデンスを科学者たちは見つけていますから,脳の異常に焦点を絞った様々な薬を開発することができることに希望があります。この希望は今も十分には実現していませんが,様々な薬が心の様々な症状にいかに影響するのかを測定しようとする努力によって,精神医学のプロの仕事の中に根源的な変化が起きましたね。薬が心の様々な症状にいかに影響するかということに関する様々な発見を,研究者らが正確に,体系的にまとめる必要があったことから,いわゆる,「研究診断基準」と呼ばれるものが発展することになりました。私はそれに一番下の立場で貢献しました。この発見は,結局,精神医学の様々な病を診断する最初の診断体系,『精神病理の統計的マニュアル(DSM)』の基礎となりました。このDSMは,「精神医学のバイブル」と呼ばれています。記念碑的な1980年のDSM-IIIの序文は,謙遜なもので,DSMの診断体系は不正確だ,と認めていました。DSMの診断体系は不正確だからこそ,犯罪捜査の目的や保険の支払いの目的の為に用いるべきではない,と認めていました。ご承知の様に,DSMの謙虚な姿勢は,悲しいかな,短命でした。
逃げられないショック
トラウマストレスに関する,なかなか消すことができない問いに心ふさがれたまま,私は脳神経科学という新たな学問分野が,ある種の答えをくれるかもしれない,と考えるようになりまして,神経心理薬理学会(ACNP)の学会に参加し始めました。1984年,ACNPは,薬の開発に関して魅惑的な講演をたくさんしましたが,私が乗る予定のボストン行きの飛行機まで残り数時間になったとき,コロラド大学のスティーヴ・マイヤーのプレゼンを耳にしたんです。スティーヴ・マイヤーは,ペンシルベニア大のマーティン・セリグマンの共同研究者でした。
逃げられないショックこそ,発達トラウマ障害の直接の原因です。
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Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 P.110,第2パラグラフ,6行目から。ここ数日分も,ご一緒に。
青年期と理想:
本当の自分と真実
子ども時代の終わりに,自分自身で見通す「自分がやるべき役割(ミッション)」は,条件さえ良ければ,全ての役割の中で一番確かな役割になります。というのも,ミッションのおかげで,様々な技術の点で,私どもは確かにされますし,私どもは,目に見える仕事の中で,生きがい感を(自分には値打ちがある,と)体感することができます。しかし,思春期は不安定ですし,子ども時代を卒業しなくてはなりませんし,また,時代も不安定ですから,様々にぶつかり合う自己イメージが生まれてきます。それは,私どもは労働者としての顔があるだけではなくて,パートナーとしての顔,親としての顔,市民としての顔も心の中に備えておかなくてはなりませんし,自分はまるで機械がうまく動くため,効率よく役割を熟す為に犠牲にされている,と感じることもある時代と同じです。私の他の本で何とか申し上げたことを手短に申し上げますと,聖書の神様と一心同体になる道は,子ども等が,子ども時代に終わりに,自分自身にとっての意味と,自分にとって大切な人にとっての意味と感じられることが,やり取りがあってピッタリと一心同体になっているのか,次第です。若者が退行しがちなのは,心の中で遊んでいるあの子どもに触れる中で不動にされるためですし,若者が「不登校に(会社に行かなく)」なりがちなのはも,時の中で力を得るためです。あるいは,包括的な様々な哲学的なヴィジョンを掴み取るため,という場合もあります。包括的な様々な哲学的なヴィジョンが人々を強烈に束ねるのは,生きている実感を肯定するヌミニースの原理,生きている実感を話し言葉にする原理,生きている実感に則って遊ぶ原理,生きている実感を正しい生き方にする原理を束ねる,非常に分かりやすいけれども,人の気持ちを省みないことが多い答えで,しかも,自分が思い煩っているこをすべてを,他人のせいにする答えでもある場合です。
ここから,2つの生き方が続きます。かたや,いつも驚きがあり,時として,ショックな場合もある,「歓んで生きる意志から生まれ,歓んで生きる意志を繰り返し育む」「日常生活の礼拝」を,バラバラにすることもできます。その礼拝がバラバラにすれば,青年はお互いの関係を日々礼拝にするもできませんし,持つ立場の大人からも,待たない子どもからを(少し,あるいは,悪い良心と戦って),自分の世代を区別することも,出来ません。かたや,「日常生活を礼拝にする様々な,天晴な礼拝と,そういう礼拝から生まれる,様々な天晴な習慣」を身に着けることができます。というのも,生きている実感を法則にして,日常生活の礼拝で,天晴れな人生の習慣を身に付けるからこそ,聖書の神様から,とても良いと共に徹底的に肯定されて,不動にされ,神様の恵みにさらに恵まれ,独立していられる人物になれます。この様な人物に青年がなりますと、自分たちの仲間(人間を上下2つに分けるウソから生まれた、上に立つ自分たちの仲間)の求めに,心から応えられますし,仲間内でエリートにもなれます。その時にだけ,青年は大人になる階段に入れます。大人になるとは,未来を眼に見える様に出来る,ということですね。その未来で,本物の大人は,子ども達の生活の中で,日常生活を礼拝にする礼拝の司式をする者になるのですし,おそらくは,子ども達の生活の中で,日常生活を礼拝にするのに相応しい場を良く良く見分けることが出来る,ということです。「共に勝ち得た,生きている実感に対する全うな信頼」があれば,日常生活を礼拝にして,自分が生きている実感が発展し続けることの中で発達した,日常生活を礼拝にする様々な原理全ては,世の中に対する唯一無二のイメージの中で一体になりますし,様々な考え方や様々な理想が筋が通ったものにもなります。ただし,実際には,多くの人が,あるいは,強烈に,せかされて成長しなくちゃ,とならなければのお話ですがね。
動物等が,相手を大切にする生まれながらのパターンを互に歓んでやる,お互いに大切に出来る仕組みは,人間には,子どもと青年の時期にだけにしか,当てはまらない,と言われています。人間らしい生き方の中で,十二分に成長するとは,科学技術や政治の仕組みの中で,立場を得る心構えが出来ることですし,自分の仲間の心からの優しさに固有の,決して否定仕切ることなど出来ない,様々な価値やイメージも腑に落ちている,ということです。その様々な価値やイメージは,お互い様に,為にならない輩や,時代遅れ,あるいは,異質なものの考え方を排除することになります。ですから,青年期には,対人関係の中で一心同体になる心の習慣の成長と,その文化がもつ,日常生活を礼拝になるパターンに浸透している,「実感から生まれる哲学の作り方」を受け止める準備とを育む,特別に良い分かれ道をハッキリと描いてきたんです。人と一心同体になることと,「実感から哲学を育むやり方」が一つになって初めて,青年は,科学技術や歴史の回転方向と,自分の新たな強さとを一緒にすることもできます。それに,創造の場では,この本で記してきた,私が生きている実感を創造する様々な原理を,科学技術の面で満足できる日々の中で,青年が一つに出来た場合や,宗教上,民族上,軍隊上の日常生活の礼拝や行事に青年が参加できる場合は,分かれ道は一心同体になるルールができる準備ができて,一心同体になるルールに忠実ですと,驚くほど聖書の神様に従うイメージができます。ただし,実際に役に立つ心の習慣を心から受け容れることが,基盤になっている場合がおおいものです。その実際に役立つ心の習慣は,見た目には,「人間を上下2つに分けるウソの現実」と映るかもしれません。たほうで,この人生の舞台から外れた生き方を,「聖書の神様と一心同体になることがゴチャマゼにされること」です。これにはもちろん,1つの「生き方」が含まれています。その1つの「生き方」は,モラトリアムという形で,かなり特別に善いあそびによって,「浮かれ騒ぎ」や,試しであっても,「違ってもいい」という既定路線を延長するのに役立つことが許されます。たほうで,モラトリアムは,スピリット,市民生活,生きている実感を法則にすることが,制限されることにもなりますと,はた目には,境界性人格障害,犯罪者,危険な不良,スピリットを蝕む熱狂に見えるものです。生き生きとした命漲る生命力が「聖書の神様のお告げの中でハッキリと示されること」は,どれも少しは,ごっこ遊び(人を馬鹿にするごっこ遊びにもなりますし,乱暴なごっこ遊びにもなります)になります。ごっこ遊びは警告として役立つのは,若者は大人に従って当然と考えてはならないし,それは,繰り返し若者が元気を取り戻して立ち上がることができることをハッキリと示す約束があって,はじめて可能になることだ,ということです。歴史的に,聖書の神様と一心同体になって,自分が確かにされることが空っぽになるのは,私が生きている実感を生み出す,聖書の神様と一心同体になるかどうかの分かれ道が,全体的な規模で悪くなり,生きている実感が新鮮にされて,経済的な変化や科学技術の変化に追いつくことによってのみ,善くなる時です。これこそ,ルターのついて書いた私の本(訳注:青年ルター)の中で,私がハッキリと申し上げようとしたことでした。自分が空っぽになる源は,現代史の革命期を通して,辿ることができますが,私どもは,全体主義が,思想的に立たせる,日常生活を礼拝にする礼拝の中に,若者世代を巻き込んでいったことの中に,自分が空っぽになる源があることがわかります。全体主義が青年を巻き込んで,ものの見方を押し付ける日常生活の礼拝も,ヌミノースの驚き感激する原理(ヒットラーの顔),ルールを言葉にする原理(「反アーリア的輩」を声高に「厳罰にしろ」と大合唱),ごっこ遊びの原理(様々な行列に踊りに集会),キッチリと振る舞う原理(整然とした軍隊に様々なマス・スポーツ)が,大きな舞台で演じられます。若者にものの見方を押し付けるやり口は,若者世代全体に,ものの見方を1つにさせようとしますし,それは,若者ひとりびとりに絶え間ない変化にさらすことになりますし,実際に,すべての伝統的な様々な価値は,「御免こうむりますと言いたくなる対象」となります。
結局のところ,日常生活を礼拝にすることが陽気で楽しいを作り出すことを証明するものは,あらかじめ,心導かれて,共に豊かにされてきた,心響き合わせてもらった若者の育ちの良さと,日常生活を礼拝にされることなく育ち,日常生活を礼拝にする,別の様々な礼拝も見通すことができない若者の育ちの悪さとを比べることが一番でしょう。日常生活を礼拝にすることが陽気で楽しいを作り出すことが約束するものは,文字通り,他の人も共に,その人の≪私≫が生きている実感を等しく新鮮にして心から歓びながら,≪私≫が生きている実感を新鮮にすることです。幼稚な悪い良心を手塩にかけて育て,大人の自由な善い良心にします。それは,2人が共に,悪いパートナーにはサヨナラして,あるいは,聖書の神様の命が一巡する場合は,賢慮が働いて,心から優しい善いパートナーが,自分を空っぽにして,互いに大切にし合うことが実現することから,善い良心が育つわけです。理想的な様々なイメージと共に一心同体になりますし,身に着けた正しい振る舞い方を共に良しと認めます。
このシャロームが実現する全体像を眺めてみる中でハッキリするのは,日常生活を礼拝にする「戦争への道」が,歴史を通して果たしてきた役割です。間違いなく,繰り返し起きた様々な戦争(あるいは,戦争が起きることを期待したり,準備したりすること)は,日々礼拝を繰り返したいと願うニーズを,戦争による礼拝に捻じ曲げてきました。戦争によって,日常生活を礼拝にして,聖書の神様を信頼する信頼を深めることができなくなりますと,心の中にある様々な敵である不安が,人類は1つという歴史の中で,不安同士を互いに神のごとき存在にしてしまうことになりますね。
青年のために予め用意された,やったカッコだけの礼拝にする原理は,「全体主義」です。この「全体主義」は,硬直した様々な考え方の中に,問答無用のお題目を掲げて,熱に浮かされて,人を押しのけて,夢中になることです。この全体主義の道連れは,青年に特有な自己愛的な(訳注:身勝手な、安倍ちゃんみたいな)人や,様々なイデオロギーにありがちな,聖書の神様でないものを,神として崇めることですからね。それから,この「全体主義」は,「よく考えないで従うこと」に対抗しているように見えるところもありますし,身勝手な理屈にも見えます。
いまのニッポンの「忖度」こそが,よく考えないで従うことですし,それは,聖書が「偶像崇拝」として,禁じていることにほかなりません。
また,モリカケこそ身勝手な理屈の塊ですよね。
エリクソンの叡智 : #人間の罪深さ #弱みに付け込む幼稚な大人 #良い良心を育む困難と可能性 #躾は子どもの弱みに付け込むのはご法度発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~......
発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。
Identity and the life cycle 『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.78の,12行目からです。 その前も,ご一緒に。
生きる指針にした≪私≫が生きている実感に従って自ら関わりを始めること 対 ≪私≫が生きている実感に恥じて隠すようになっているから,≪私≫が生きている実感を出してはダメだぁと自分をいつも責める気持ち
≪私≫が生きている実感を生きる指針にするという目の前にある自分の壁から,腑に落ちる自分らしい不動の生き方に気付きますと,4歳5歳のその子どもは,次の舞台に直面します。次の舞台は次の分かれ道でもあります。自分が一個の人間として「生きている」ことを確信したので,次は,自分はどんなに心から優しい人になれるのかを見つける番です。そして,ここで,自分の生き方を,他ならない一番星に結びつけます。その子は,お父さんお母さんみたいに,とても強くて,とても美しくなりたいと願います。ただし,お父さんお母さんは,時には全く納得できないほど傷つけることもあるけれども。その子は,「お父さんお母さんと一心同体になります」し,神様の心から優しい御心がお父さんお母さんにとって,どんな意味があるのか,という物の見方と遊ぶのです。3つの力強い発達が,この4歳5歳の舞台では,子どもを自分の分かれ道に近づくのに,助けになりますし,役立ちます。(1)その子どもは,自由に,しかも,力強く「(聖書の神様の命が)ぐるっと一巡する」ことを身に付ける様になりますから,ずっと大きくて,その子にとっては,無限に光り輝く目標を立てることも身に付けます。(2)その子の「舌」で感じる体感は,自分が分かるところと,よく分からないたくさんのことを質問できるところとにピタッと手が届きます。そして,(3)おしゃべりしたり,動き回ったりできるから,自分がビックリせざるをえないたくさんのことが,「いろいろとイメージを抱いて,こうかな,ああかな,としているうちに」,自分が夢見てきたことや思い付いてきたこととピタッと一体にすることができます。
4歳5歳の子どもは,様々なイメージを,言葉にすることはできなくても,豊かに抱いて,ああかなぁ,こうかなぁ,とイメージを動かしながら,遊んでいます。その遊びを一緒に遊ぶ大人がいる場合,この4歳5歳の子どもは,話し言葉と出来事,イメージと出来事を結び付けて,理解し,共に楽しめる世界を広げることができます。