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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #ギフトの人生

2019-12-25 05:52:00 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #感謝感激
マハトマ・まど・みちおさんの言葉からいのちの全部に感謝...
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。



生きているのに

死んでいるあなたへ



今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。






1人自分と向かい合う恵みがなくてはならない

 

のは

 

自分と人を傷つけ,殺す暮らし

 

 

御免だと願うからです。

 

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#態度がすべて?

2019-12-25 05:29:23 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#発達トラウマ障害 #恐怖の奴隷
 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.113のブランク後から。

 今朝は,p.114の第4パラグラフの5行目から。

 

 

 

 

心響かせることに身を入れる

 

 

 子どもたちは,お母さんみたいな世話をしてくれる方にならどなたにでも,くっ付くようになります。しかし,そのくっ付くことの本性から,それが安心できるものでも,安心できないものでも,1人の子どもの人生の行程は,天国と地獄の差ができます。子どもが心から安心できるくっ付きができるのは,子どもを世話することが,子どもの気持ちに心響かせることが含まれる場合(訳注:だけ)ですからね。心響く関わり合いが始まるのは,赤ちゃんと母親の間にある,目には見えない身体レベルのやり取りからです。お母さんに心響かせる関わりをしてもらえると,赤ちゃんは,ピッタリと一心同体になり,分かってもらえた,という気持ちになります。エディンバラ大学でアタッチメントを研究するコリン・テレヴァーサンの話では「脳は,身体がリズムのある動きをするのにピッタリと響かせますし,リズムのある自分の身体の動きを,他の人の脳にピッタリと響かせるように,動かすようにもします」ということです。赤ちゃんはお母さんのお喋りを音楽みたいに聴いたり,受け止めたりします。お腹の中でも。

 第4章で,私はミラーニューロンを発見した話をしましたね。ミラーニューロンとは,脳と脳が結び付いていて,共感できるようになっている,というものでしたでしょ。ミラーニューロンが働き始めるのは,赤ちゃんが生まれた直後からなんです。オレゴン大学の研究者のアンドリュー・メルツォフは,生まれて6時間の赤ちゃんに向かって,唇をすぼめたり,舌を出したりすると,赤ちゃんは,すぐに鏡になって,唇をすぼめたり,舌を出したりしました(生まれたばかりの赤ちゃんは,20センチ~30センチの範囲にあるものしか見えませんが,それは,自分を抱っこしてくれる人を観るのには十分なんです)。真似をすること,私ども人間に与えられている一番根っこにある人と関わる術です。真似が根っこにある人と関わり全て術ですから,親や教員や仲間の行動から,選んで真似しているんです。

 親は自分の子どもと自然に関わる人がほとんどですから,どうしたら心響く関わりが展開していくのか,気が付かない場合がほとんどでしょう。ところが,お友達から誘われますと,アタッチメント研究者のエド・トロニックが観察するチャンスをプレゼントしてくれたのですが,どうしたら心響く関わりが展開してくのかを,もっと注意して,気付くことができます。ハーヴァード大学人間発達研究所のマジック・ミラーを通して,私が見たのは,生後2か月の赤ちゃんと遊ぶ母親でした。その母親は,助けられて,自分と正対して座る赤ちゃんと共に居ることができました。

 2人は,お互いに優しい声で囁き合い,素晴らしい時間を過ごしていました。その素晴らしい時間は,お母さんが赤ちゃんに身を近づけて,赤ちゃんが興奮して,お母さんの髪の毛をぐいと引っ張るまで続きました。お母さんは,思わず痛みにギャッと声を出して,赤ちゃんの手を振り払います。その時お母さんの顔は,痛みで歪んでいました。赤ちゃんはすぐに身を離して,2人は互いに身体がバラバラになります。2人にとっては,歓びの源は,同時に,悩みの基でもあるからです。赤ちゃんがヤッパリびっくりしましたから,お母さんの怖い顔を遮るために,顔を両手で塞ぎました。そのお母さんも,赤ちゃんがびっくりしたのに気付いて,また赤ちゃんに意識を集中させて,関係を良くしようとして,赤ちゃんにをなだめる声を出します。その赤ちゃんは,まだ両目を覆っていましたが,お母さんとの繋がりを願う気持ちが戻ってきました。赤ちゃんは安心しても大丈夫か確かめるために,お母さんの顔を覗き込む一方,お母さんも,気がかりな声かけをしながら赤ちゃんに歩み寄ります。お母さんが赤ちゃんのお腹をくすぐり出すと,赤ちゃんは腕を顔から下げて,嬉しそうに笑いますから,心響く関わりが2人にまた戻りました。その赤ちゃんとそのお母さんは,また,心響かせる関わりをすることになります。歓び,歓びの声,回復と新たな歓びの流れは,全部合わせても,12秒にも満たないものです。

 トロニックや他の研究者たちがハッキリさせたのは,赤ちゃんとお母さんが気持ちのレベルで響き合う時には,その2人は身体も響き合っていたということでした。赤ちゃんは自分の気持ちを自分で落ち着かせることができませんから,感情に伴う心拍数もホルモンレベルも神経活動も,元通りにできません。子どもが親に心も身体も響かせるとき,子どもが歓びと絆を実感するのは,心拍も呼吸も安定していて,ストレスホルモンがあまり出てないから,実感できます。子どもは身体が落ち着いているから,子どもの気持ちも落ち着いているんです。

 

 

 

 

 身体,態度がすべてなのかも知れませんよ。

 ただし,その身体,態度には,キリストの恵みで,スピリットを宿す,受肉させることができます。



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#目の前にある天国 #漲り溢れる歓び

2019-12-25 05:00:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
#子どもはキリスト #親替えのチャンス #聖書の神様が働く場 #遠慮なく忖度なく心から歓んで関わる世界の始まり
 発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケース......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
  
 
 identity and the life cycle  『聖書の神様と毎日一心同体になること と 聖書の神様の心から優しいスピリットが,目の前の相手と私の関係の中で一巡すること』
 p.105のタイトルから。
 今朝は,p.107の,最後から。

 『新約聖書』にある、パウロさんが書いた「エフェソ人への手紙」第2章のギリシャ語(コイネ)を訳しなおした成果です。
 
 
 
 
 
                       結論
 
 
 シャローム平和になる中で,倫理学から心理学を区別する境界線を大きく踏み越えているところに来ています(その境界線を長年にわたってすでに繰り返し踏み越えて来た,という人もいます)。 しかし,親たちや教員たちや医者たちは,子どものニーズや課題を議論したいと思えば,(訳注:大人の私どもが)繰り返し生まれ変わり,ピッタリと一心同体に成る役割を分かち合う生き方ができているかどうか?,が,その子どものニーズや課題を生み出していること,を議論しなくてはならないとお示しする時,私自身本当の自分を不動にしてくれているものは,2つ3つのスピリットにある心眼だけですから,結論として簡明にまとめてみましょうね。
 この20年30年で私ども夫婦が学んできたことは,人類を上下2つに分けるウソに侵されていない真っ当な人は,発達し成長する,ということと,その真っ当な人が行動する動機(特に,ご本人も気付かない動機です)についてでしたね。それは,私どもの目の前にある人類の歴史を振り返っても,この20年30年の学びの方が上を行っている,ということです(もちろん,聖書やシェークスピアにある英知の極致は例外です)。たくさんの人が腑に落ちたことは,子どもは,いや,赤ちゃんでさえ,(おそらくは,お腹の中の赤ちゃんでさえもが)自分が育つ周りの世界の良さを,鏡のように敏感に映し出す,ということです。子ども等は,自分の親たちの緊張,不安,激しい怒りに敏感です。たとえ,子どもは,親たちが何で緊張したり,不安になったり,激しく怒っているかはわからなくても,大人が表向きには緊張したり,不安になったり,激しく怒っているようには見えない場合でも,すぐに親たちの緊張や不安や激しい怒りに気付いています。ですから,皆さん,子どもを侮ってはいけませんからね。しかし,世の中の変化が速すぎるので,自分たち大人が世の中の変化に「抗して」自分の生きている実感を生きることになっているのかなぁ? 世の中を善くして,みんなが自由で不動になる道の中にある,ささやかな自分の務めを果たすチャンスを願っているのかなぁ? が分からなくなるなりがちです。また,変化の速い世界の中で,私どもは新しい生き方を試しているからですし,試さなくてはならないからでもあります。子ども等が本当の自分を創造できるように育てることって,一番新しい唯一無二の生き方でしょ。一番新しい唯一無二の生き方のゆえに,親たちはその子どもと一心同体に成るために,たくさんの悲しみを引き受けなくてはなりません。その悲しみは,魂の悲しみのゆえに,いままさに増し加わっている時代ですが,親が子どもと一心同体に成るために,悲しみをたくさん引き受けなくてはならないのは,魂を癒そうとする祈りは,この世の中が神をも畏れぬ傲慢さに満ち満ちているが故に,この世では,目覚めていなさいというキリストの教えを日々思い出して,自由に生きることができない,と見るんですから。私も指摘しておきたいのは,母子2人が,キリスト・イエスのおかげで,聖書の神様のいのちが一巡する結界を作って,共に自由になり不動になる聖書の神様のスピリットがまします場となる主の道にとって,神をも畏れぬ傲慢が,この世の中にはたくさんあるますよ,ということですね。チャンスがあれば私どもが望むのは,聖書の神様のいのちが一巡する結界を生きる主の道に命懸けで従って,聖書の神様のいのちが一巡する結界を共に作り上げる唯一無二の主の道を生きることによってしか,私ども人間が発達成熟する道はありませんから,ということが唯一の啓示だ,ということです。人間が車を運転することを学ぶときには,そうなるかもしれない出来事全てを意識しなくてはなりませんね。車の計器類が示す様々な危険信号や道にある危険信号全てを,自分の耳で聞き,自分の眼で見て,読み取れるようにならなくてはなりません。しかし,人は願うことがありますよ,体得底で生き方を学んだ後には,周りの状況を見ると,最大級の平安を得て,光の微笑みをしていられる、ってね。光の微笑みを微笑む時には,人間は見通しを楽しんでいるんですが,道具の調子がおかしくても,道にお邪魔が入って来ても,自分の頭で考えて,心豊かに生きていくことができます。
 私ども夫婦がに何のために働き,何のために戦っているのかと言えば,1つの世界を実現するためです。1つの世界とは,普通の人が元気になる政治が実りが手に入り,普通の人がみんな元気になる世界です。しかし,私ども人間が,この世の中を,普通の人が元気になる政治が実りが手に入り,普通の人がみんな元気になる世界を傷つけることが1つもない世界にしたいと願うのであるのなら,まず人間がしなくてはならないのは,普通の人が元気になる政治が実りが手に入り,普通の人がみんな元気になる世界を,2つに分けるウソに侵されて子どもを1つも傷つけることのない世界にすることです。強い立場の者の身勝手,強い立場の者が弱い立場の者に付け込むこと,強い立場の者と弱い立場の者の不公平がこの世からなくすために,まず私ども人間が体得底で自覚しなくてはならないのは,不公平の初めは,子どもと大人が不公平であることです。人間の子ども時代は長いので,親たちも教員たちも,時間がたっぷりありますから,子どもの中にある本当の自分を信頼して受け容れて,私ども人類が体得底で体験的に分かっている一番善い心の習慣の中で,本当の自分を体得して,心から優しい人間になれるように手助けしてもらえます。子どもの時代が長いために,根が深い不安と,癒しがたい苦しみの源に晒されてしまいます。もしも,根が深い不安と,癒しがたい苦しみの源が,強くなりますと,大人になっても,様々な不安になって,いつまでも続きます。その不安は,聖書の神様のいのちが一巡することに逆らって,その人の暮らしにも,自分のことを自分で決める暮らしにも,民族間の暮らしにさえ,あの無理な背伸びをもたらします。このように子どもの時代が長いせいで,大人は,無分別に,しかも,しばしば残忍に,子どもが大人を頼る気持ちに付け込むことになります。子どもが大人に頼るのは,子どもが大人に課した,スピリットを学ぶ習慣を体得底に身に着けるためだ、ということです。私ども人間は,子ども等に無理な背伸びをさせます。私どもが無理な背伸びをしたりさせたりするのは,自分自身や周りの者らの中で,聖書の神様がおっかなくて、聖書の神様から「とてもいいぞ」と認めてもらう予定もつもりもないからです。私どもが学んできたのは,子どもが努力している身体の成長を無理に止めないことですし,いまここで学ばなくてはならないのは,大人の思い煩いのせいで,子どもが育てているスピリットを台無しにしないことです。
 私ども人間は,自分が生かされていることを学べば,発達させて下さり創造して下さる聖書の神様のご計画,天国は,いつも目の前にありますからね。
 

 
 
 いのちはギフト。
 そのことを心深く刻んでいれば,生かされている歓びが漲り,聖書の神様のいのちが一巡する奇跡に伴う歓びが溢れることに決まっていますよ。
 
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