エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#花形選手 と #偽物

2020-05-12 08:12:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
 



#発達の土台 #ヌミノース体験

 #日常生活の中にある奇跡 #毎日礼拝の不思議 #2人は一心同体 エリクソンの叡智: エリクソンの「根拠のない自信」   インターメッツォ : 笑う神   ルターが......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 

 p.346,ブランク後

 今朝は その7行目途中から。

 

 

 5 思春期以降 :理想的,と 創造的

 

 私がこれまで心を合わせて来たのは,驚き感激する私を創造することですし,昔みたいに、子どもの中にある毎日礼拝が,善悪を超える源だ,ということです。ここから,私どもは2つの志があれば,腑に落ちることができますでしょ。1つは,「毎日礼拝」が,いつも驚く体験で,内側から打たれるくらい強く促される気高さがあるかどうか,を体験的に試してみることができるでしょう。毎日礼拝は,若者たちがお互いの関わり方を腑に落ちて,自分の創造性を,大人とも違うし,子どもにはできなかった形で生き方で示すことになります。もう1つは,成人式(訳注,日曜礼拝)に戻ってもいいかもしれません。と言いますのも,その成人式(訳注,日曜礼拝)が,堅信礼や入隊式等々になるやもしれないからです。その成人式(訳注:日曜礼拝)は,心から自由な大人になろうとしている人が,「人間を上下2つに分けるウソ」の正会員になるために一心同体に成ることですし,正会員の中で「花形選手」になるために一心同体になる場合も多いんです。

 

 

 世間で良しとされている存在が花形選手なのかもしれません。

 私も「巨人の星」の世代なもんですから,花形選手と言えば,星飛雄馬のライバルで,カッコ良いし,お金持ちですし,実力もある花形選手を思い出します。

 世間で良しとされている存在偽物が多いものだと私は考えます。

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#口やかましく親しみがない母親 #善意の虐待 #教育という名の虐待

2020-05-12 07:05:47 | エリクソンの発達臨床心理
 
#息を合わせることができない私 = #忖度するブリッコな私

 #日常生活を礼拝にすること #母子が一心同体になるために役立つ #目的が輝く 鉄道腰    自由の証   子どもはみんな、バイセクシャル  「ものにする」と言って......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」    

をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.119のブランクから。

 今朝は,p.121の最後の第5パラグラフの5行目から。

 

 

心が途方に暮れていると

 

 良心的な両親でも不安になることが多いのは,アタッチメント研究によって,ときどき子どもに我慢ならないことや,うっかりしてこどもに調子を合わせることができない事が,一生残る傷を子どもに残すんじゃないか,と心配になるからです。実際の暮らしの中では,誤解や思い違いや分かり合えないこともありがちでしょ。お母さんやお父さんが赤ちゃんのサインを見落としたり,他のことにかまけたりしていますから,赤ちゃんは自分で自分を落ち着かせる方法を自分で編み出します。限度内であれば,問題はありません。子どもたちは,満足できなくても,ガッカリしても,何とか折り合うようになります。「善い」お母さんと一緒なら,子どもは,気まずいことがあっても,絆は直るということを覚えます。白黒が付くのは,子ども達がお母さんと一緒に居て安心,という気持ちに,腑に落ちることができるのか否か,ということです。

 「普通の」中流家庭の2000人以上の赤ちゃんの中でアタッチメント・パターンを調べた研究では,62%は安心してくっ付くパターン,15%が,お母さんを避けてくっ付けないパターン,9%が,お母さんに不安なまま(2つに引き裂かれながら、と言ってもいい)くっ付けないパターン,15%が,お母さんに途方に暮れてくっ付けないパターンでした。面白いのは,男女差や生まれ持った気質は,アタッチメント・スタイルには,ほとんど影響しなかった,ということです。たとえば,「難しい」気質の子どもでも,途方に暮れるスタイルになるとは限りません。低階層の子どもでは,お母さんに途方に暮れてくっ付けないパターンになりやすく,それは,両親が経済的に苦しく,また,家族がバタバタしてして,大変な苦労をしているからです。

 赤ちゃんの頃に安心できなかった子ども達は,大人になっても,自分の気分や気持ちの出し方を思い通りにするのが難しいんです。幼稚園までは,途方に暮れている赤ちゃんは,怒ってばかりいるか,あるいは,他の子から離れて関わらないようにするかで,その後,いろいろな心の病になります。途方に暮れている赤ちゃんは,また,生理的にも苦しんでいて,心拍数に現れるように,心拍数は大きく上下し,ストレスホルモンが大量に出て,免疫機能が落ちます。生理反応がうまくできない子ども達は,子どもが育つにつれて,正常になるんでしょうか? それとも,安心できる大人がいるところに引っ越せるのでしょうか? 私どもが知る限り,こういう子等は正常になることもなければ,引っ越しもできません。

 親から大事に育てられませんと,子どもが途方に暮れるだけじゃあありません。親自身が自身のトラウマを抱えていますから,自分の気持ちをコントロールできませんし,心豊かな慰めや見守りを,一貫して子どもにプレゼントすることもできません。親が抱えているトラウマとは,子どもの頃粗末に育てられたり,性的に弄ばれたり,あるいは,最近親兄弟がなくなったり,ということです。どんな患者さんでも,子どもを安心して育てるのに役立つ支援で,手に入る支援は全て必要ですが,特に粗末に育てられた(訳注:発達トラウマ障害の)患者さんは,特に,子どもが求めていることに,息を合わせるために支援が必要です。

 親が分かっていないことが多いのは,自分が(訳注:子どもに)息を合わせていない,ということです。ペトリア・べーベが見せてくれたビデオを今でも鮮やかに覚えています。そのビデオは,お母さんが生後3か月の赤ちゃんと遊んでいるものです。全てがうまくいっていても,赤ちゃんが尻込みして,頭をよそに逸らすことがあります。お休みが必要です,というサインです。でも,あ母さんはそのサインがくみ取れないので,赤ちゃんにもっと関わろうとますます頑張ることになります。お母さんは赤ちゃんに顔を近づけたり,もっと大きな声で話しかけたりして。赤ちゃんがさらに尻込みしても,お母さんは赤ちゃんを揺らしたり,つついたりし続けます。しまいには,赤ちゃんは大声で泣きだします。赤ちゃんが大泣きすると,お母さんは赤ちゃんを床に下して,ガッカリした顔をしてその場から立ち去ります。お母さんは「嫌だなぁ」と感じているのは明らかですが,お母さんができなかったのは,赤ちゃんのちょっとしたサインを見逃しただけなんですよ。このようなちょっとしたサインの見逃しでも,何度も何度も繰り返されたら,お母さんは「もう知らない」という気持ちにいつもなりやすい,と思いません? (夜泣きをする赤ちゃんや動きが激しい赤ちゃんを育てている人ならどなたでも,何をやっても上手くいかないことが,どんなにストレスになるか,を善くご存じです)。日々赤ちゃんを落ち着かせることができずに,陽気で楽しい歓びで赤ちゃんと向かい合うことができないため,そのお母さんは,「この子は私にダメだしする子だ」と感じてしまいます

 治療の中で,お母さんに途方に暮れてくっ付けないアタッチメント・パターンの結果が問題なのか,トラウマの結果が問題なのかを区別することができません。こと2つ結果は絡み合っているからです。私の仕事仲間のレイチェル・イェフダは,性的に弄ばれたり,レイプされたりした,大人のニューヨーク市民のPTSDの割合を調査研究しました。ホロコースト後にPTSDになったお母さんは,トラウマ体験の後に,重たい心の病になる割合が,優位に高いことが分かりました。これを説明する一番理に適った説明は,生い立ちのために,育ちが粗末になり,暴力を受けた後にバランスを取り戻すことが難しかった,ということでしょう。イェフダが気付いたことは,2001年に(訳注:マンハッタンの南部にあった)世界貿易センターの大惨事に妊婦さんのお子さんたちにも,育ちが粗末になる同じ脆さがある,ということでした。

 同様に,痛みのある出来事に子どもがどう応じるかは,その子の親がその子を落ち着かせるのか,それとも,ストレスを掛けるのかに大いに関わります。私の以前の学生で,いま若年者精神科部門の局長をしている,グレン・サックスによれば,重たい火傷で入院した子でも,PTSDになるか否かは,その子がお母さんと一緒にして安心できるかどうかで,予見できる,と言います。お母さんに安心してくっ付く安心は,たくさんのモルヒネに匹敵しますから,痛みをなくすことができます。お母さんに安心してくっ付く安心が豊かになればなるほど,鎮痛剤は無用になります。

 もう一人の仲間,クラウデ・ケムトブは,ニューヨ~ク大学付属ランゴーン医療センターの家族トラウマ研究計画部長ですが,911のテロリストの攻撃を直接目撃した112人のニューヨ~ク市の子どもの調査研究をしました。調査中にPTSDやうつ病になっていたお母さんの子どもは,情緒障害になる子が6倍,自分の体験に対して過剰の攻撃的になる子は11倍になることが分かりました。お父さんがPTSDの子ども達は,問題行動をすることが分かりましたし,ケムトブが気付いたのは,これは直接的なものではなくて,お母さんを介してのものだ,ということでした(イライラした連れ合い,人を避ける連れ合い,心配性の連れ合いと一緒に暮らすってことは,うつ病はじめ,心に重たい重荷を負わすことになりますから)。

 もしも皆さんが心の底から安心できませんと,安心と危ないの違いが分からなくなります。皆さんが何をやっても,何の感慨もなくなりますと,危険な状況に晒されないと生きている,と実感できなくなっちゃいますから。悪い人にならなくっちゃ,ということになりましたら(だって,あんなに粗末に育てたんだから,悪い大人になる以外にないでしょ),他の人も自分を粗末にするはずだと思うようになります。皆さんが悪い大人になってもいいよ,ということになったら,何をやっても無駄ということに皆さん,なりますよ赤ちゃんの時にお母さんに途方にくれてる人って,何をやってもダメだという毎日ですから,その後の人生の中でも何をやってもトラウマ体験,ということに相場が決まってしまいます

 

 

赤ちゃんの時にお母さんに途方にくれてる人って

長期に悪影響がありますよ

 

 1980年代初め,私の仕事仲間のカレン・リオン・ルースは,ハーヴァード大学のアタッチメント研究者ですが,お母さんと赤ちゃんの,顔と顔のやり取りを,生後6か月,12か月,18か月の時に,ヴィデオに撮り始めました。また,子どもが5歳になった時点と7歳,ないしは,8歳の時点で,ヴィデオに母子の顔と顔のやり取りをヴィデオに撮りました。この母子全て,ハイリスクの家族でしたから,連邦政府が示す貧困家庭の基準に全ての母子が当てはまりましたし,おおむね半分の母親はひとり親でした。

 赤ちゃんが途方に暮れてお母さんにくっ付けませんと,2つの生き方になります。1つのグループの母親は,自分のことに感けて,赤ちゃんに注意を払うことができませんでした。この手の母親は,ああせい、こうせいと口うるさくて,親しみが持てません。

 

 

 この手の母親は日本にもかなりいます。私の偏見かも知れませんが,比較的教育レベルが高い母親に多い気がしますが,教育レベルが低い母親にももちろんいます。もちろん、ここで言う教育レベルとは,生半可な教育でしかありませんが…。

 「子どものため」などと称して「勉強しなさい」が口癖のお母さんで,岡田尊司さんが「善意の虐待」,「教育という名の虐待」と呼ぶパターンです。

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#2つは1つ #聖書の神様の予定 #森正弘教授

2020-05-12 06:30:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
 



#言葉とイメージ ≒ #左脳と右脳

 #トラウマ記憶 を #終わった話 にできる #EMDR 現世考 : LINE 乗っ取られる 「コンビニで,ビットコイン買ってきて」    真実と和解 :トラウマの......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

    Afterthoughts. 1985 「補足 1985」 から。Childhood and  Society の3番目の,最後の序文です。おそらく,エリクソンが出版した最後の論述になると思います。

  1902年生まれのエリクソン,当時83歳。

 亡くなったのは,この9年後,1995年 92歳になる1月ほど前です。

 p.9のブランクの後から。

 今朝は,p.11の,最後の,第3パラグラフから。

 

 

 今の2つの大国の,2人の親のタイプのぶつかり合いを,心から自由になる観点から見ますと,全てに影響する「アメリカ的な《ママ》」の母親のジレンマと,《ドイツ的な父親》が歴史的に壊された父親のタイプとに、ぶつかります。《口うるさい教育ママ》は,シングルマザーに一括りできないお母さんの様々な特色を示していると言われます(289ページ)が、もう1つ一般論を引用すれは,「母親が《ママ》になるのは,父親が,昔ながらの父親役になれない衝撃で,《パパ》になった時だけです」。と申しますのも,もしも皆さんが教育ママになっているとしても,教育ママだけが,子どもの対する父親の思いを取り違えたんですね。アメリカのお母さんたちが,お爺さんの役回りをするようになったのは,アメリカのお父さんたちが,教育や子育てで,家族をまとめる立場を止めたからです(p.295)。どちらのケースでもとても為になってきたのは,お母さん,あるいは,お父さんは,どんなタイプだったのか,ということと,お母さんとお父さんの関係はどうだったのか,ということを話し合うことです。これまで私は,軍靴が聞こえる中で父親の子どもに対する思いが残忍になったことに触れましたし,山川草木森羅万象悉がかしづいて,晴れ晴れと自由に生きることを振り返っていますのは,時間を見通す時に,いまここにこそ,山川草木悉が生きるはキリストとなって,聖書の神様のいのちを分かち合う結界がありますよ,ということをお示しする為なんです。そのいまここは,科学技術が最高に発展した結果,世界中の全ての人が,核爆弾の危機であると同時に,人間の最深欲求(聖書の神様と共に居て1人だけが満たすことができるヌミノース)を満足できない危険にさらされているいまここです。人類すべてを救うことができる,と同時に,生きるはキリストの結界ができるのは,人類すべての,お母さんの〈叫び〉お父さんの〈叫び〉が、《この2つの叫びが響き合って心から自由になる大人になる》対等な関係がある場合だけです。

 もちろん,お母さんたちは全ての子ども達の幼い頃の数年を司りますし,教育する習慣や毎日礼拝にする習慣,例えば,学校や家庭で,全ての関わりを始めますが,他方,家族を養うことや市民生活に関する毎日礼拝に加えて,敵と戦って勝つスピリットを養うこと,「聖書の神様が司る」心から優しい結界があることが目印になる特別な場の中で,特に敵と戦って勝つスピリットを養うことは,お父さん任せにしがちです。しかし,様々な子育てをする時の人間らしい《心からの優しさを抱く仲間》が「境界線を作る」ことは,いつでも,全くの敵を脅すことですし,自分と他者に分けて見る集団が,別の人種と見るようになるばかりではなく,別々に発展する人種と見るようになりまして,それを私は,「人類を上下2つに分けるウソ」と呼んでいるものができます。 「人類を上下2つに分けるウソ」最悪ケースが,近代史の中で,とっても進歩的で,教育レベルも高い国で,目には見えないように,しかし,爆発的な力を発揮したのがナチズム,と私ども夫婦は,身に染みて痛感してきました。創造の試練の中で,心から自由になるように申し上げれば,敵と戦うスピリットが大きくなるのは,子どもの頃の家で「父親が自分よりも上に立つこと」と表裏一体です。この「父親が自分よりも上に立つこと」のは,罰を課し喧嘩をする悪い良心ですし,フロイトさんが,自分の心に土足で踏み込むばかりか,猛烈に破壊的ですから,自己破壊的にもなる,としたものです。このように私の上に立つ悪い良心は,自由を,人が自分を許す限界と共に定義し合うから,自由も自分を許す限界も,心狭くします。自由も自分を許す限界も,心狭くなりますと,そのすべての上に立つ悪い良心は,お母さんが生み出し,お母さんが育て上げることができる「聖書の神様の創造を歓ぶ歓びを叫ぶ善い良心」とは相容れません。

  いまここで気付きますのは,全ての人は,女でも男でも,2人の親がいて当たり前だ,ということです。というのも,全ての人は,1人のお母さんがいましたからですし,実際かつてお母さんのお胎にいましたし,最初の発達が終わるまで,お母さんの一部だったからです。また,「ほとんど」どなたでも,男でも女でも,そのお母さんから「大事にされ,あるいは,粗末にされ」てきましたでしょ。あるいは,「大事にすること,あるいは,粗末にすること」を心得ている母親代わりから,「大事にされ,あるいは,粗末にされ」てきましたでしょ。しかし,これって,全ての男性は,母親はこういう者だということを体験していますし,1人の母親と,知らず知らずのうちに,どこかで一心同体に成っている,ということでしょ。ですからね,全ての男は,心の中に1人の母親がいる,ということができますね。同じ形で,あらゆる女性は,子どもの頃に,1人の父親が身に沁みていますし,あるいは,とにかく,大なり小なり残忍な習慣の中か,大なり小なり心が広い習慣の中かに,結びついた男たちが身に染みていますでしょ。つまりは,女も男も,子どもの頃には,1人の母親の顔が(できれば,聖母マリアみたいに)ひれ伏して心響かせて応えてくれて,同時に,1人のお父さんの顔が,「気高く優しい」生き方と,その時代にその家族で正しいと思われる力や強さならどんなものでも歓んで使う「気高く優しい」生き方の気構えとを,熱心に一心不乱に態度で示したことが,身に沁みています

 人類皆兄弟山川草木悉仏性の絆の中でさえ,女の子でも,男の子でも,あの歓びの中にありますし,大人がスピリットと全体に目配せして,自らを空っぽにする人生の習慣と志の中にある,「スピリット」と「全体」を別々に味わう歓びに気付いてきたことが,私ども夫婦が赤ちゃんを守ってきた(訳注:生きるはキリスト になる)ライフ・サイクルに意味をプレゼントするのは,ひれ伏し心響かせて応える低い視座のおかげです。唯一の聖書の神様のいのちが2人に一巡する結界は,善悪を超えるところに「心から自由になる」という理想がある,という,唯一の聖書の神様のいのちが2人に一巡する結界は,私の後期の著作で,肝に銘じていただきたいことです。後期の著作は,『青年ルター』から中年の『ガンジーの真実』を経て,究極的には『ガラリアのいくつかの言い伝えと《私》が生きている,驚き感激して生きる習慣』までで,3つめは,『エール大学評論』に寄稿したものです。

 私が2人が聖書の神様が創造する結界になることを結論として申し上げて来たのは,を強調するためです。このはね,『子どもと仲間』(訳注:エリクソンの最初の著作であると同時に,「子なる神のキリストが人類皆兄弟山川草木悉を繋ぎます」 という意味でもあります)に始まる,あの生きるはキリストの道が私ども山川草木を導いてくださるなのです。私が舞い戻ったのは,自分を空っぽにした善い良心こそが,自分のスピリットと聖書の神様のスピリットが一心同体に成る梵我一如をもたらすという希望です。しかしながら,お母さんの子育てとお父さんの子育ての中にある子どもの未来のいのちは,お母さんみたいに温もりに満ちて分かち合う山川草木悉と,お父さんみたいに山川草木悉を1つにする見守りと守りとの,2つが1つになることの上にあることに予定されています

 

 

 

 このように,聖書の神様の予定は,2つを1つにすることにあります。その時,いのちは歓びに満ち溢れることになっています。いのちは晴れ晴れと生きることに決まっています。

 それは,ロボコンの発案者で仏教にも造詣の深い 東工大名誉教授 森正弘さんが教えて下さるように,仏教の教えと完全に一致しています。

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#聖書の言葉 #単独者の恵み #ざわついている私

2020-05-12 05:38:21 | エリクソンの発達臨床心理
 
 


 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #宝物

 #聖書の言葉 #1人豊か #神様のユーモア #神様の奇跡 聖書の言葉: 根拠のない自信     学校でイジメがなくならないのは、教員もイジメをしているからだ!  ......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia
をご参照ください。



生きているのに
死んでいるあなたへ



今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

問いの続き

 

 

聖書の神様と共に

 

1人で居る恵みを何よりも心から大切にすれば

 

人様に

 

仲間になってくれない だの

 

話してくれない だの

 

と零す前に

 

自分の心がざわついていることに目が向きます

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