「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。
Childhood and Society p.99の第2バラグラフから。
今朝はp.103から
子ども達が作ったいろんな積み木に「共通の」要と私が呼ぶようになったものの中に(「特別な」要とは対照的です),心響かせる生き方を見つけて私が如何に感嘆したかをお伝えするために,私が申し上げなくてはならないのは,信じがたいことなんですが,特に何かを求めなくっても,多くの子ども等、しかも,健常な子ども等と働く経験は,実に生き生きとしていて,陽気で楽しいことに決まっていた,と言ことです。感嘆する気は臨床家の指針です。というのも,感嘆する気がなければ、臨床家が見つめる「発見」は,新(しい,あるいは,真に真実な)発見に付き物の心が育つ善さをなくしてしまうからです。
次々に子どもが,プロの誠実さで,「その子ならでは」になっている積み木作りに集中しますと,その子は,「出来た」とキッパリと言いますものね。私がだんだんと気付いたのは,女の子らよりも男の子らからの方が,いろいろと違った積み木が期待できる,という事実でした。例を挙げますと,女の子の受け止める生気方(Ⅳ₁)があります。女の子の場合,男の子に比べても,壁のない,家具でぐるっと輪を作る部屋を作りがちですね。時には,輪になった家具が,怖い何かに脅かされていることを示す場合もあります。たとえば,(図6)の豚や「ライオンに乗って帰宅するお父さん」みたいに。
あるい日,一人の男の子がこのような「女の子らしい」場面を作ったときに,その子を脅かす野獣がその場面に居ました。それで,私が感じたのは,その子の最深欲求を参加観察者である自分に私自身が売り渡しているのではないかという不安です。それに,その場を入口のドアのところで,その男の子は、「ここには何か嫌だな」と叫んで戻ってくると,ホッとした様子で,輪になった家具に接して,動物たちを配置しました。こんな積み木を作ったのは,しかも,2回も作った男の子は,1人だけです。その男の子は,肥満で,女の子のように育てられたんです。甲状腺の治療が効果ができ来るにつれて,3番目の積み木を(1年半後に作って初めて,)一番背が高い長細い塔を作りましたが,それは男の子らしいものでした。
その男の子は、すっかりスリムになって,その男の子の塔は,一番細長くなり,この男の子の身体感覚が積み木の空間の広がりに影響したことを示す「特別な」要素の一つを示すことになりました。ここからがもう一歩なのは,男女それぞれに「共通する」遊びを見る最上の物差しは,男とは何か,女とは何がを示す大事なことを表現している,と見る視点でしょう。そういう視点を持つときほど,私どもが歩みを始めました,心から優しい歩みに,感謝感動感激することはありませんよ。と申しますのも,組み立てた積み木は,言葉にせずとも,安心して数え,図り,準える術になるからです。同時に,積み木のブロックは,誰にでも幾何学的ですが,それは,文化的な含みや個人の解釈によって,少しも変わらないからです。一つの積み木は「ほぼ」一つのブロックにすぎないのに,男女で使うブロックの「数」も,造るブロックの「形」も違うということ(違いが積み木で表現したいことの違いのせいと考えなくても)が、鮮やかです。
そんな訳ですから,私は積み木を手始めに簡単な言葉で定義します。たとえば、塔、建物,道,小道,よくできた囲い込み,簡単な囲い込み、壁のある内装,壁のない内装、という言葉です。私は遊びの場面を写真に撮って、2人の客観的な観察者にもお送りして、こういった造り(とその組み合わせ)が実際あるとみるのか、ないとみるのかを判断してもらいました。お2人の観察者は,「大事な仲間として」賛成してくれるとすぐに,私が期待していることは知らずに,男の子と女の子の積み木では,こういった積み木はどのくらいの頻度で登場するのかというお2人の問いの回答が決まってきます。お2人の結論を一般的な言葉で要約していきましょう。読者の皆さんは,今まで申し上げた積み木の形が,男の子・女の子が作る物の3分の2を(かなり超える)場合があると思う人もあるでしょうし,また,残りの3分の1では、例外的なことが現れますが,それって「ルールがある証拠」かもれないと思う人もあるでしょう。
男女差の一番の違いは,男が直立する建物…を作るのに対して、女の子が積み木台を家の内装…として使う点です。
男の子たちが作るものには,背の高い建物がよくありましたね。でも,昇る反対,すなわち,落っこちるも,男の子が作るものにはよくありました。廃墟,すなわち,壊された建物は,男の子の間でもっぱら見かけます。(…)高い塔との関係で申し上げれば,何かが落っこちるのはいつものことのように見えますが,逆向きでそういう唯一の「一番大事な」要素が,大切なことを示す場合があると言うことです。1人の男の子が,どうしようかと散々迷った後で,とても高くてよくできたビルを壊して,簡素で低い建物に作り直したんです。別の男の子は,自分が拵えた塔を危なっかしくもバランスを取り,すぐに倒れちゃうのが「ドキドキするんだ」と言ってましたね。特に高いビルを作った男の子は,そのビルの足元の男の子の人形を置いて。「この子はビルの天辺から落っこちたんだ」と説明しました。別の男の子は,いくつもの苦心して作ったビルの天辺に,男の子の人形を座らせたのに,「僕は落ち込んでたんだ」と言いました(図7)。一番高いビルを作ったのは,一番チビの男の子でした。すでに申し上げましたように,白人でない男の子が,テーブルの「下に」ビルを作りました。こうした様々な積み木が明らかにしているのは,「高低の違い」は,「男らしさの違いだ」、と言うことです。子どもの育ちをたくさんよく調べてきた経験をしまして、私が臨床的に判ったのは,極端に高いものを作るのは(打つ壊すや落っこちると組み合わさった場合も含めて),その子が,自分には男らしさが足りないなぁ,とか,あんたは男らしくないと叱られるんじゃないかなぁ という気持ちを補いたいという気持ちが行き過ぎている、と言うことです。
さっき翻訳したヴァン・デ・コーク教授の文章とピッタリと同じです。仲間外れにされるような弱い自分を隠すために、強がることが習い性になる と言うことをヴァン・デ・コーク教授は教えてくださったでしょ?
今日のエリクソンは,チビた男の子でしかない自分を何とか補いたいという気持ちの行きすぎを述べていますでしょ。
いずれも、やり過ぎ をやりやすい人間に心の弱点を教えてくれています。