私どもは、やり取りのある現実や実感のある現実を共有し、実感してはじめて、人も自分も大事にできるようになんですね。やり取りも、実感を共に味わうようなこともないのに、人も自分も大事にできる訳、な~い。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p90の、第2パラグラフから。
現実という成熟した感じの、3つの欠くべからざる要素について言えば、factuality 「事実としての現実」は、いろんな現実の中の、普通「もの」と呼ぶ世界で、一番強調されるものです。その世界は、歪んで捉えたり、否定的に捉えたりすることが一番ない上に、とある認知の発達上で、とある科学技術の状況で、出来る限り事実と確認できる世界なんですね。
これが普通私どもが「現実」というときの現実ですね。別の言葉で言えば、客観的な事実です。しかし、繰り返しになりますが、これだけでは、真の現実ではないのです。3つの要素の一つにすぎません。
私どもは、客観的事実を知っても、それは3分の1の現実でしかない、ということを知っていた方がベターです。
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