トラウマのことを話すことは良い、と言うのがセラピーの神話になっちゃってたんですね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.233、下から8行目から。
残念なことですが、話せば治る、と言うほど、事は単純ではありません。トラウマを負わされるような出来事は、言葉にすることなど、ほとんど不可能ですね。これは、私どもすべてに当てはまることでして、なにもPTSDに苦しんでいる人だけではありませんからね。9.11の最初の刷り込みは、単なるお話じゃぁなくて、いろんなイメージなんですね。半狂乱で道を走る人々、灰を被った顔また顔、世界貿易センター第1ビルに突っ込んだ飛行機、手に手を取って飛び降りた人々の、バラバラな点また点。こういったイメージは、心の中やテレビの中で、繰り返されて、ジュリアーニ市長とメディアによって、私どもが分かち合うことが出来る、1つの物語を作り上げたわけですね。
9.11の物語は、ひとりびとりのものと言うよりも、行政とマスコミがでっち上げたものだった。「でっちあげた」は言い過ぎなのかもしれませんが、ニュアンスとしてはそういうことですね。状況を見た人で生き残った人があまりいないからでしょう。言葉よりも、イメージが、メディアを通して繰り返し示されました。ひとりびとりの物語ではなくて、マスコミが創り出したイメージですと、個人を癒す力はありませんよね。
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