良心の出来方。良い良心と悪い良心。その続き。
さて、第2の発達段階の第2段落の最初から翻訳再開です。 翻訳します。 2番目の儀式化の生育歴上の源は、人生の2番目の発達段階にあります。この2番目の発達段階は、心理...
エリクソンは天才だと思います。この部分を読むと、よく分かります。
「良いと悪いを言葉にする儀式化」は、赤ちゃんがおしゃべりを初めて歩き出すころから、三歳くらいの儀式化になります。この時期、子どもは、親が「ダメ」って言うことをやりたがります。そうやって、自分の「自由意思」と「自由になる時空」を試しているみたいです。これが人権の最も根本的な自由の始まり(元型)です。しかし、この第二の儀式化で、「ダメ」が多い場合や、良いと悪いの境界線が大人の気分によって、恣意的に揺らいでいる場合は、その自由を謳歌するよりも、「ダメ」なのは、その「ダメ」というあの「クソババア」なのか、自分なのか分からなくなりますし、自分の気持ちやら、意見やら、感想やらを言っていいものなのかどうか分からなくなります。自分を出すのが恥ずかしくなるからです。その感じに、大人になると「損得」がくっ付いて、自分の意見を言っても(パレーシアであっても)、「損だから、止めとこう」ということになってしまいます。
ですから、「良いと悪いを言葉にする儀式化」は、民主主義社会を実現する、根源的な儀式ということになります。
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