ルターは、自己正当化のために、聖書を持ち出してしまいました。聖書に従うのではなくて、聖書をアビューズ、虐待、悪用する、危ない道に逸れちゃいました。でも、どうしてかなぁ?
Young Man Luther 『青年ルター』p.240の、第2パラグラフのから。
過敏なキルケゴール、もう1人の憂鬱なデンマーク人は、プロテスタントの王政の国で暮らさなくちゃぁなりませんでした。このプロテスタントの王国は、世界で一番小さくて、一番肥沃で、一番自然豊かで、一番自給自足が出来ている国の1つです。でもね、こういった幸せになることを強制されたところに潜在する、いつでも憂鬱な気分をなかなか表したりはしませんよね。哲学的に、キルケゴールは、ルターが失歳にやったことを再びやらなくてはなりませんでしたが、キルケゴールは、よく考えた末に、国も家族も持たない哲学者であり続けました。キルケゴールは、ルターについて、次のように書いています。「人生の中で2~3年、ルターは『地の塩』でしたが、その後は、『卓上語録』が示すように、退廃そのものでした…。」
キルケゴールのルター評は厳しいですね。しかし、それは真実だったのでしょう。ルターはなぜ、こんなに堕落しちゃったのでしょうか?
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