「出す」のにも、いろんな「出す」がある筋肉と心と対人関係は、似ている。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p36の第2パラグラフから。&nbs...
キリスト教の立場から申し上げれば、希望はいつでも、「イエス・キリストにある忠実な信頼のゆえにあなた方は皆神の子です」(前田護郎先生の翻訳を参考にしての私訳)という、こと、そのイメージと話し言葉と出来事の一致に、ある訳です。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.242から。
時間を掛けて様々な研究が見出したことは、ある種の、慎重にバランスを取った状況では、協力することが自ずから生じて来る、ということでしょ。それは、その動物たちがそのような状況で協力するのは、おそらく、いつもの調子で活動するよりも、生き残りやすいはずだからでしょうね。しかし、生き残るのに協力するためには、このような好ましい状況を続けなくっちゃいけませんでしょ。人類は、協力し続けるのに必要なことは、他の人たちはみなさんに対して公平な態度を取るはずだ、と≪信頼を感じ取る良識≫ですし、あるいは、信頼を裏切り、他の人を犠牲にして自分の利益はかすめ取ろうとする輩を見つけ出し、罰(法的罰、あるいは、社会的罰)を与えることですね。
大事な指摘です。
人類は、個人でも集団でも、生き残るためには、協力が必要です。協力は、上下関係で、上が下をイジメる中で実現するものではありません。たとえ役職上の上下があっても、人間として対等に話し合いを大事にすることでしょう。それには、ブルース・ペリー教授が指摘しているように、他者を信頼する≪信頼を感じ取る良識≫が不可欠です。
また、それと同時に、自己中な輩を見つけ出し、罰を与えることも必要です。
やっぱり、自分の奥さんと子分だけを大事にする一方で、最も弱い立場にある、最重度の発達トラウマ障害に苦しんでいる子どもの人権を、恫喝と利益誘導で、蹂躙する輩には、遠からず天罰が下ることでしょう。罰は当然下るでしょう。
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