神様との関係でのウソとゴマカシ逆説的ですが、能動的に、意識的に、受け身になることを選択する時、心の病から回復するんだと感じます。 Young Man Luther 『青年ルター』p208の第2パ......
バカ役人ですと、「根本にあるもの」、「正しいこと」も、せいぜい、手続きや枝葉末節なルールを守ることくらい。そもそも、その手続きや枝葉末節なルールが「何のためのあるのか?」は考えない。この「考えない」ことが、ナチスのユダヤ人ジェノサイドにも繋がる「人類の対する犯罪」(ハンナ・アーレント)であることにも気が付かない…。そんな「考えない」毎日、「考えない」ルーティーン、「考えない」自動操縦で日々を過ごすのが、バカ役人の特色です。心や自分は、「息」をしてませんから、死んでます。
今朝は、本田哲郎神父様が、心の底からの悦びを味わうことが、真実に正しいことだと教えて下さいます。『釜ヶ崎の福音』から。
神が望まれる平和は、貧しく小さくされている人たちに「抑圧からの解放をもたらす正義」(ディカイオシューネー δικαιοσυνη)を土台とした、すべての人が「人として大切にされる」(アガペー άγαπη)、「喜び」(カラー χαρα)のある平和です。
この「喜び」(カラー χαρα)は、単なる「喜び」じゃないですよ。「腹の底からの悦び」、「弱い立場の人たちと分かち合う悦び」です。教育基本法で言う「人格の完成」と言った時の「人格」と言う言葉にも、この種の「弱い立場の人たちと分かち合う悦び」というニュアンスがありますね。何故ならば、この「人格」を携えた人は、①真理と正義を大事にして、②個人の価値を大事にして、③勤労と責任を大事にして、なおかつ、④自主的精神に充ちている人だからです。
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