子どもの日に 子どもにとって「楽しい」時間を是非子どもの日です。 子どもの日に、子ども1人1人が、いただいた命を感謝するようになってもらいたい、とお祈りします。 子どもにして差し上げること。私はある...
私どもが、弱肉強食ではなく、共生と協力を目指すのでしたら、、他者を信頼する≪信頼を感じ取る良識≫と、自己中な輩を見つけ出し、罰を与えることが必要です。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.242の第2パラグラフから。
残念なことに、他者に対する公平と善意という根源的な感じは、金持ちはますます金持ちになるけれども、後は地球規模の競争のお気に召すままに見捨てられている社会では、脅威にされされちゃってますもんね。ますます、メディアも、学校も、経済的な成功と、運動でも勉強でも、他者に勝つことの大事さを強調するようになってますでしょ。ますます競争に向かう雰囲気の中で、中産階級の親達も、富裕層の親達も、自分の子ども達に「なんでもいいから、自分の『強み』を見つけなさい」と極端に走りがちになっているように見えます。いつでも競争を強調することは、協力し、共感し、自分が損をしても、他を助ける訓練を失くしてしまいます。協力し、共感し、自分が損をしても、他を助ける訓練こそが、人間のメンタルヘルスと社会連帯に欠かせないものなのにね。
競争ばかりしていると、勉強や運動はできても、サモシイ人間になってしまいます。「自己責任」などと言って、弱い立場の人を見殺しにしがちになってしまうでしょ。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達がやってることは、美辞麗句を並べても、ケダモノのような人間と社会を創り出しつつあります。
近くでも、自分の目先の利己的な利益のためには、弱い立場の人を、恫喝しても、平気に平左の、あの夫婦みたいな無知無恥がいつも居るものですよね。でも、そんな人にも、仏教でいえば、「仏性」があり、キリスト教で言えば、「神の子」であり、ヒューマニズムであれば、「人間」ですから、キチンと罰を味わってもらってから、生まれ変わってもらいましょうね。
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