もう1つの譬え話 低い姿勢をとるイエス 改訂版二コラ・プッサン「キリストと姦淫の女」1653 ルーブル美術館 昨日は「ブドウ園の労働者」の譬えでした。 今日はもうひとつ、「姦淫の女」の譬...
80、90になっても、赤ちゃんの頃から培う根源的信頼感が大事。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.113の、下から6行目途中から。
私どもが根源的に信頼する特定の源が何であれ、希望がどれだけ厳しく挫かれそうになったとしても、根源的信頼感は、私どもを見限ったりなど、しないもんですよ。根源的信頼感のない人生など、考えられません。もしも、皆さんが、生きている手応えに満ちていて、恵みと閃きになるかもしれないものを、さらに頂ける、という希望に満ちていれば、生き甲斐が感じることになりますよ。私は信じているのですが、年寄りも、もしも、90になって、響き合わないものと折り合いがつけば、年寄りの達観への道に進んだも同然でしょう。
ここを読むと、ジョアンは、『旧約聖書』のイザヤ書第49章15節を念頭に置いている感じがありますね。
「たとえ母親があなたを忘れようとも
私はあなたを決して忘れない」
根源的信頼感とは、神様を信頼することと同じです。
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