松戸に住むのもそんなに長くないかもしれない、という気がして(なぜなのかわからないのですが)、街路樹の写真を撮っておきたいと思いつきました。これもなぜ街路樹、なのか自分にはわかりません。
体調も芳しいとはいえません。風邪をひいているせいもあるかもしれませんが、歩こうとすると脚が重いのです。通院はつづけていますが、胃潰瘍快癒後の血液検査とヘモグロビンの量を増加させる投薬を受けるのが主眼なので、主治医にはいまの体調の悪さはまだ打ち明けていないのです。
軽やかな気分とはいえませんが、手近なところから撮影しておくか、という気になったので、出かけることにしました。
松戸市には街路樹の名を愛称としている通りが多くあります。市のホームページにも紹介されていますが、いつも感じることながら、ここのホームページは隔靴掻痒の感が強い。
よそ者には、通りの名前と地域名を挙げられたところで、それだけではどこにあるのかわからないのです。地図が用意されていて、そこにジャンプできるようになっていればいいと思うのに……。通りに限らず、史跡もそうです。
ふと閃いたのは新松戸郷土資料館で、何かそれらしきものを見たことがあった、という記憶でした。
近いので行ってみました。
そうそう、これこれ、と思って手に取ったのは、「ご自由にお持ちください」と書かれたコーナーに置いてある「新松戸の街路樹・公園」というパンフレットでした。
ん? と思いつつ開きました。ん? と思ったのは、松戸市内全域ではなく、「新松戸」限定であったことです。それでも、東西に走る通り三本、南北三本の計六本ありました。
表と裏の見返しに地図がついていて、当該の通りが色分けされています。これなら一目瞭然です。
新松戸のメインストリート・けやき通りです。
駅前から流鉄の踏切を渡り、武蔵野貨物線をガードでくぐり、まっすぐ西に向かって走っていますが、駅前からダイエー直前まで、しばらくは街路樹がないので、けやき通りとは呼ばないようです。植えられているケヤキ(欅)の数は両側合わせて343本。
けやき通りと十字に交差するきょうちくとう通りです。こちらは中央分離帯だけに植えられていて551本。
残り四本の通りも近場なので、写真を撮るだけならわけもないことですが、通りを巡っている間に、隣町・流山にある東福寺の桜を思い出しました。
結構きれいだと聞いていましたが、いつも思い出すのは桜の季節が過ぎたころでした。
風邪を背負い込んでいるので、相変わらず足は重いのですが、ゆっくり歩いて三十分。境内に足を踏み入れると、仄かにお線香の香りが……。
ありがたいことに、今日は千仏堂の扉が開け放たれていました。桜を愛でる前に中を覗かせてもらいます。
中央の阿弥陀如来を中心に、一列五十体のミニ阿弥陀如来が十段、左右合わせて二十段。合計千体。中央の阿弥陀様を合わせて千一体、といわれていますが、私の目には大阿弥陀の左右に、ミディアムの阿弥陀が六体見えました。
充分間に合いました。
本数は決して多くありませんが、大木が多く、みな枝を豊かに広げているので見応えがあります。
鐘楼堂に舞い落ちる桜吹雪。
本堂(右)前にある公孫樹(イチョウ)の巨木です。
流山市の指定樹木になっていますが、樹齢はどれぐらいなのかわかりません。家に帰ったあと、ホームページを見ても、記載されているページはないようです。
急な石段を上り詰めると山門。ただし、この日は裏から廻っているので、石段は上っていません。
その左右に祀られた金剛力士像です。
去年十一月のブログでは防護ネットの加減で、吽像しか写せませんでした。今回は阿像のほうにも格好な隙間があるのを発見しました。
東福寺に関するブログを見ていると、いろんなところで「目つぶしの鴨」の話が紹介されています。
主人公は山門にある左甚五郎作の鴨の彫り物で、次のような伝説が伝えられています。
昔々、毎晩何者かが田畑を荒らすので、村人たちは困っていました。一体何者の仕業かと、寝ずの番をしていたある晩のこと、一羽の鴨が荒らしているのを見つけました。あとをつけると、東福寺の山門のところで忽然と姿を消しました。篝火を掲げてよく見ると、山門の彫刻の鴨の足に泥がついています。それを聞いた住職は鴨の目に五寸釘を打ち付けたそうです。以来、田畑は荒らされなくなった。そういう伝説です。
前にきたときも、山門をそれこそ穴の開くほどじっと見上げました。しかし、見当たらない。今日は天気もよく、充分に明るいので、改めてとっくりと見ましたが、やはりない。
山門と本堂との間、庫裡へとつづく通路にある中門です。
鴨の彫刻はそこにありました。
山門にあると思い込んでいたし、実際に「山門」と記すブログもあったので、いくら目を皿のようにしようと見つかる道理がありません。
十年以上前のブログには、白く塗装されていない、木地のままの画像がありました。その画像でも五寸釘は見えないので、いつ抜かれたのかわかりません。
今日は暖かいというより、初夏を思わせるような暑さでした。
途中、腰を下ろすところもなかったので、どこかで休憩したいと思いました。暑さに備えて自販機でアクエリアスを買いましたが、まだ口をつけていませんでした。脚は相変わらず重く、汗をかいたせいで、風邪もひどくなったようです。
帰りは電車に乗るか、歩くかと迷いながら、電車に乗っても、家までは十分近く歩かねばならないと考えたとき、あの喫茶店に行って休憩しよう、と閃きました。
いつだったか、やはり流山方面へ散策した帰り途、私の家まで十分ほどの住宅街の中に、昔ながらの喫茶店を見つけていたのです。
そのときは入りませんでしたが、立地条件から鑑みて、店主は多分老夫婦(少なくとも私とおっつかっつの年代)であろうと想像していました。
「このお店は何年ぐらいになるのですか?」という私の質問をきっかけに、結構話が弾むかも……。あるいは、根は優しいのに、口下手な主人で、返辞はぶっきらぼう。何一つ話は進まないかも……。
店名はfoo cafe(フー・カフェと読むのでしょう)。
入ってみると、居宅を改築したらしい店で、二階(実際は中二階)もありました。ただ、予想に反して、メニューを持ってあらわれたのは、五十代と思われる女性でした。
頼んだコーヒーが出てくるころには、どこにいたのか、若い女性も姿を見せました。まじまじと見るような失礼は働きませんが、なんとなく娘さんのような気がしました。
コーヒーはたっぷりの量があって450円。控え目な音でジャズがかかっていて雰囲気は上等の部類。
しかし結局、私から言葉を発することはありませんでした。私が発したのは「ブレンド。ご馳走様。ハイ、どうも(おつりを受け取ったとき)」の三言だけ。
なんとなく鬱状態に入りかけているな、という自覚のある私としては、これでも精一杯の挨拶だったのです。