一昨日は暖かな一日でした。午後、散策に出たら、冬のコートを着ていたので、歩きつづけているうちに汗をかいてしまうほどでした。
我が庵から歩いて二十五分ほどのところ-JR常磐線の駅でいうと、北小金と南柏の中間に、行念寺という浄土宗のお寺があります。
二十五分といっても、これはインターネットの地図で最短距離を検索した場合で、これまで歩いたことのない道をクネクネと辿らなければなりません。距離の遠近とは関係はないものの、このへんは市境の入り組んだところで、我が松戸市から流山市に入り、再び松戸市に入るとすぐまた流山、そしてようやく柏市に入って行念寺に到るのです。
道を間違えずに行こうとすれば、北小金駅まで逆行し、そこから旧水戸街道を歩くことになるので、四十分はかかります。
小さなお寺なので、とくに見るべきものはありません。ここだけを目的に、往復一時間半近くもかけるのは少し億劫です。
が、ちょっとした因縁が生まれたので、お参りに行かなければならない、という気になっていました。
改めてインターネットの地図を見て、先のように近道があるのを発見しました。常磐線と国道6号線を渡れば、すぐという感じです。しかし、常磐線は跨線橋かガードがなければ渡れないので、これが面倒だし、面倒と思ってしまうことが道を間違える元です。
富士川を辿ったときにくぐった砂尾ガードで常磐線を越すので、小春の出没する前ヶ崎の香取神社に寄って行くことにしました。しかし、この日も小春の姿は見えませんでした。
拝殿の欄干下に、日清製粉の懐石を置きました。キャッティより高級なので、小春が驚き、喜び勇んで食べる様子が目に浮かぶようです。
神社の少し手前の畑地で蝋梅を見つけました。七本ありましたが、まだ数輪咲いているだけです。
砂尾ガードをくぐって常磐線を越え、頭の中にたたき込んだつもりの地図を思い返しながら、脇道に入りました。途中で右に折れて旧水戸街道のほうに向かう道がなければいけないのに、行き止まりのように見えたので、曲がらなかった道が二本。
そうして、なんか見覚えのあるところに出たぞと思えば、行念寺を600メートルも行き過ぎた向小金の香取神社でした。北小金駅まで逆行するよりは早かったけれど、所要時間は結局三十分をオーバー。
境内に入るとすぐ左にこのような石碑が建てられています。
以前、南柏から旧水戸街道を歩いて帰ってきたとき、たまさか前を通りかかってこのお寺があることを知りました。小さく、本堂もコンクリート造りだったので、門前を行き過ぎようとしたところ、この石碑が見えたので、どんなことが刻まれているのか、と思って入ってみたのでした。
そのときのブログ(十一月一日)にも記しましたが、碑文には東漸寺の開山・經譽愚底(きょうよ・ぐてい)という人がすぐ近くにある常行院、柏市鷲野谷の醫王寺とともに開いた寺院であると刻まれています。
鷲野谷の醫王寺にはちょっとした因縁があったので、そのうち行かなければ、と思っていたところ、予期しなかった場所で因縁の名に出会って、早速行くことになったのでした。
醫王寺には早晩行ったのではありましょうが、このお寺の石碑を見て、すぐに行こうと思いついたわけですから、お礼参りのようなことをしておかねばならぬと考えながら、ついつい先延ばしになっていました。それを果たしに行ったのです。
改めて碑文を読んでみました。前は「醫王寺」という文字が目に入って、恐らく意表を突かれたのでしょう。そのすぐあとに經譽愚底さんの無縫塔がこの墓所にある、と刻まれているのを読み飛ばしていました。
もっとも初めてこの碑文に接したとき、私には經譽愚底さんへの関心はなかったのですが……。
墓所もこぢんまりとしているので、古そうな墓石はすぐ見つかりました。
卵形をした無縫塔の下、竿と呼ばれる四角い石には「當寺開山經譽愚底上人墓」と彫られています。
碑文には、上人の「無縫塔」と記されていますが、「墓」とは記されていません。墓は醫王寺にあると知らされていたので、軽い驚きと戸惑い。
されど、考えてみれば、複数の墓があるのは決して不思議なことでもない。
この日、私は一束のお線香を持ってきていましたので、焼香して、因縁を結びつけてもらったことを感謝しました。
墓所を出て本堂に近づこうとすると、並びの庫裡からチビ犬がキャンキャン吠えながら走り出てきました。
いきなりだったのでびっくりしましたが、おもむろに体勢を立て直して、蹴飛ばすぞ、という意欲を持ちかかったとき、庫裡からは犬をたしなめる女性の声につづいて、「驚かせてすみません。でも、噛みついたりはしませんから……」という声。
やがて大黒らしきご婦人が「すみません、失礼をして……」と謝りながら出てこられました。犬(私が見たところ、トイ・マンチェスター・テリア)はご婦人の胸に抱かれてなお私に向かって吠えつづけています。
ご婦人が庫裡へ戻ろうとしたので、「お賽銭をあげたいのですが……」と問いかけました。本堂前には賽銭箱が見当たらなかったのです。
「ご覧のような小さなお寺で、お参りしてくださる方もおりませんので」
そういうあとをついて行くと、硝子張りの扉に小窓が切ってあって、その向こうに賽銭箱がありました。
お参りを終えると、庫裡に帰ってしまったと思ったご婦人が木陰から姿を現わしました。手に持っていたのは小さな蜜柑の実二つ。今年初めて実をつけたものだということです。「どうぞ、お持ち帰りください」と私に差し出します。
行くアテなどないのですが、昔々行ったことのある京都東山の安養寺。ここは浄土宗の開祖・法然上人が比叡山を下りたあと、最初の草庵(吉水草庵)を結んだお寺です。そこにお供えしたいものだと私がいうと、「どうぞ、おなかにお納めください」。
ほのぼのとした気持ちになりました。
旧水戸街道を南柏駅まで歩き(行念寺からは二十分弱かかりました)、ダイソーを観察したあと、タリーズコーヒーで一服しました。
手で触れる形式の自動ドアを開けると、一斉に「いらっしゃいませ、こんにちは~♪」と黄色い声の三重唱が私を迎えてくれました。二十代前半の美女ばかり三人と見えました。店内は西日が射し込んで、とりわけ明るかったこともあって、私は眩しいような気持ちになってしまいました。
ケンタッキーフライドチキンやロッテリアは最近こそあまり行きませんが、よく入ったことがあるので、どんな種類の食べ物と飲み物があり、壁に掲げられたメニューの、どのあたりに自分が食べたり飲んだりしようと思っているものがあるのかわかっていますが、滅多に行かない(というよりも近場に店がない)タリーズやエクセルシオール・カフェのたぐいは、メニューを見てもすぐには判断がつきません。
やっとコーヒーと書かれているのを我が目で認めて、大(トール)を頼むと、注文を受けたお嬢さんが「トール・ドリップ」と叫び、どこからか「トール・ドリップ」、それを承けてまた一人が「トール・ドリップ」と三人で輪唱してくれます。
私が立ったところからは品名が隠れていて読めなかったので、「それから、一番左にあるサンドイッチを……」と頼むと、また「なんとかかんとか」「なんとかかんとか」と三人の輪唱です。
まだ私が若かったころ、私が行くような店で、多数の若いお嬢さんが接客してくれるのは酒場だけだったように思います。必ずしもそういうお嬢さんが目的で行くのではないけれども、行けばいるとわかっているので、私がシートに坐るやいなやゾロゾロとお出ましなさるのに、別段驚きもしないし、緊張もしない。しかし、このような喫茶店だと私は眩しくて仕方がない。ま、あと一、二回、行く機会があれば慣れるのでしょうが……。
席に坐ってコーヒーにミルクを入れ、少し落ち著いたところで厨房のほうを見ると、美女ばかり三人と思ったクルーが、美女ばかりと表現していいものかどうか……と思えるようになります。されど、私の緊張は解けません。一服してリラックスするために入ったはずの店で緊張していたのでは、なんのために入ったのか、わけがわからない。わけがわからないから、二度と行かないぞという店ではない。私は六十を過ぎて、ますます晩熟(おくて)になって行くようです。
願わくばこういう若いお嬢さんとお寺の話でもしたいものだ、と思いながら店をあとにしました。
本土寺はこの十五日から来月末まで無料開放となりました。名高い紅葉はほとんど名残もありません。山門や鐘楼堂では大掃除が始まっていました。
広い境内に、ほんの二本か三本、紅葉を残している樹がありました。残り香ならぬ残り紅葉というのも佳いものです。
行念寺さんでいただいてきた蜜柑です。本当に小さくて、小さいほうは直径5センチもありません。