二年目の薬師詣での〈つづき〉です。
薬師詣でのような、やや遠めの散策をするときに携帯して行くのは、インターネットからプリントした、およそ四千分の一の地図です。
北方向(いうまでもなく地図では上)だと、左に曲がるときは地図でも左ですから、そのまま進めばいいのですが、南に行かなければならない場合、不慣れな土地では地図をひっくり返してみないと、にわかには飲み込めません。それでもどういうわけか、地図の左が現実の左とはなってくれず、結構手こずるのです。
「あっ」とか、「おっ」とか、独り言を呟きながら、右に曲がりかけた径をもとに戻ります。
そんなこんなして歩くうち、左手に簡素な石段が見え、振り仰ぐと御堂があるのが見えたので、上ってみました。
地図では、薄い灰色に塗られた四角があって、なにがしかの建物がある、とわかるだけです。
上って行くと、不動堂と書かれた扁額、不動堂再建記と彫られた記念碑があって、この御堂には不動明王が祀られていることがわかります。
不動堂のかたわらにあった石碑。
當寺開山○○(○○は判読不能)大和尚と彫られています。墓石とは思えないので、何かの記念碑でしょうか。
不動堂からさらに上ると、天神堂がありました。
よっこらしょっともとの道路に戻り、細い小径に入ります。入った先に長く緩い上りの石段がつづいているのが見えました。上って行くと、目指してきた龍泉院の境内でした。
曹洞宗龍泉院の本堂です。
創建は建長五年(1253年)。この年は奇しくも道元禅師が遷化された年です。
我が宗派のお寺なので、例によって歴住の墓所を訪ねて焼香。三拝九拝。
「大正の法然」と呼ばれた浄土宗の高僧・山崎辨榮さんが手ずから植えたと伝えられる菩提樹です。
明治二十八年、釈尊成道の地・インドのブッダガヤから請来したもの。辨榮さんの生母がこの地(当時は東葛飾郡泉村)の出身だった縁もあって、龍泉院にはしばしば来山して説法をされたそうです。
境内には横からお邪魔する形になったので、山門を見るのは去るときになりました。
伊津美鳥見神社。
所在地は柏市泉ですから、伊津美と書いて、「いづみ」と読むのでしょうか。
伊津美鳥見神社から七分歩いて、弘誓院(ぐぜいん)に着きました。雌雄二樹ある公孫樹のうちの雄樹。目通り幹周り4・2メートルという巨樹です。
弘誓院は真言宗豊山派の寺院。正式には蓬莱山弘誓院福万寺といい、本尊は聖観音。「柳戸(やなど)の観音様」として昔から親しまれてきたそうです。下総観音霊場三十三番の第三十三番札所の名刹で、九世紀初め、行基菩薩によって開かれたと伝えられています。
弁財天も祀られています。
弘誓院がこの日の行程の最後です。帰りは柏駅へ。柳戸のバス停でバスがくるのを待ちます。
→この日、歩いたところ。