「田水張る」、あるいは「田水引く」という俳句の季語があるのを知りました。ちょうどいまごろの季節にふさわしい季語です。
しかし、私が所蔵している「日本大歳時記」(講談社刊)には記載がなく、よってこの季語を使った句を知るすべは、いまのところはありません。
毎日のお勤めである慶林寺への参拝を済ませたあと、いつになく体調がよかった(悪くなかった)ので、近隣にある田んぼの様子を見に行こうと思いました。
慶林寺の河津桜に桜桃ができていました。
我が庵から六~七分、慶林寺からでも十六~七分で富士川河畔に出ます。細い川ですが、この先、利根川水系の坂川に合流して東京湾に注ぐので、一級河川です。
富士川を越えると流山市。田んぼがあります。今日、見たかったのはまさにこういう風景。
去年はゴールデンウィーク中に田植えを見ました。田植えの前、田んぼの水張りと代かきを見たいと思っていたのです。
穏やかな陽気です。
今日は春特有の糞っ風がありません。
水の張られた田んぼも穏やかです。
富士山、とまではいわないが、田んぼの向こうに小粋な山でもあれば、逆さ○○と洒落込めるのです。しかし、現実の田んぼに映る逆さ○○は、老人ホームと免許センターと送電線の鉄塔。
一枚の田んぼではまさに水張りの最中でした。
ミズキ(水木)は白く、小さな花を咲かせ始めました。
富士川の流山市側にはこんな怪しげな崖があります。崖といっても、高さは2メートル少々なので、万が一崩れても、家が流されたり、埋まったり、という心配はなさそう。
それに、崖の上に生えているのは地中にビッシリと根を張っているであろう竹林です。
竹林であるからには、当然筍がありました。
しかし、地面からこんなに顔を覗かせるまで大きくなっていては、固くてとても食べられぬでしょう。
先ほど眺めてきた田んぼを高台から見下ろします。
キウイもいつの間にか花が終わって、実を結び始めていました。
こちらは梨の実。いまはキウイと同じぐらいの大きさ。
ハリエンジュ(針槐=別名・ニセアカシア)。
誰かが植えたのか、自生したのか、とても上ることはできないような崖に生えているので、白い花を間近で見てみたいものだと思いながら、見ることはできません。
花は天麩羅にして食べることができるそうです。新芽も和え物にしたり、油で炒めたりして食べられるそうです。そう聞くと、なおのこと間近で見てみたい、と思うのですが……。