いつになったら新型コロナウイルスは終息してくれるのか。見通しも立たないうちに、やってきた薬師詣での日(八日)。体調があまりよくなかったので、当日は地元の慶林寺に参拝するだけにとどめ、いつもどおり少し遠出をする薬師詣では今日十二日に振り替えることにしました。
薬師詣で、と改めていっても、歩いて行けるようなところはもうないので、電車に乗らなければなりません。常磐線は少々混んでいることもありますが、武蔵野線に乗るとすれば、私が薬師詣でに出かけるような時間はコロナがくる前からガラガラです。とはいえ、乗ってみなければわからないので、手探りで出発です。
武蔵野線に乗り換えるためには北小金から新松戸まで常磐線に一駅乗るだけです。北小金~新松戸間は乗車時間わずか二分です。空いていても、坐ることはありません。扉口に立ち、つり革や手すりには触らないようにします。
今日、最初に訪ねるつもりの浄光寺の最寄り駅は北越谷です。
北越谷といえば、一昨年十月の薬師詣でで降りたところです。すぐ近くを歩いていながら、浄光寺という薬師如来を祀るお寺があったことは知りませんでした。
遠出をする前に、いつもどおり地元の慶林寺に参拝して行きます。
北小金~新松戸~南越谷と乗り継いで、南越谷(新越谷)で東武線に乗り換え。二駅目の北越谷に着いて、西口に出ました。
常磐線の乗客は私を入れて一車両に五人。武蔵野線は途中で増減がありますが、降りるときは同八人。東武線は同五人でした。
北越谷駅から五分ほどで浄光寺に着きました。
真言宗豊山派のお寺ですが、創建年代等は不詳とされています。
山門横には立派な松の樹がありました。
本尊は十一面観音です。
境内の西側に薬師堂がありました。
扉が閉まっていたので、薬師如来を拝むことはできませんでしたが、御堂の前に建てられた説明板によると、
「新編武蔵風土記稿」には「大同二年飛騨工が一夜に建立せしと云、さはあれ一夜に建しなど、妄誕論をまたず、古よりの像は先年賊のために失ひしかば、今の像を安ぜり、此薬師を押入の薬師と唱ふ、其義は知らず」
と記されています。
飛騨工とは左甚五郎のことですが、甚五郎は実在した人物であるという説と江戸時代の名工の総称であるという説があります。
五智如来堂。
五智如来堂に祀られた青銅の薬師如来像です。右は大日如来、左は阿閦如来。
この五智如来を鋳造した太田駿河守正儀という人については、東京・台東区のホームページに次のような紹介があります。
同区元浅草にある唯念寺の銅鐘を鋳造した人物に関する記述で、鋳造に当たったのは(ここにある「正儀」ではなく)太田駿河守「正義」であるとして、
太田駿河守を称する鋳物師には正義、正儀、政義などがいますが、いずれも音が通じていること、宝永五年(1708年)から天保五年(1834年)まで二十八件の作例が知られることから、数代にわたって活躍したものと推定されます。
と、しています。
「正義」作として著名なのは、中山法華経寺の通称・中山大仏、江戸六地蔵などがありますが。中山大仏が鋳造されたのが享保四年(1719年)、江戸六地蔵(別の文献では鋳造者は「正儀」となっています)は宝永五年から享保五年(1720年)にかけて、ということを考えると、この五智如来像はまったく同じ時代につくられた、ということになります。
どういう理由かわかりませんが、同一人物が正義と正儀を使い分けていたのか。それとも本家・本舗・元祖などと使い分けて、結局はどれがおおもとであるのかわからないまま、お互いを立てながら、技を競い合った、ということだったのでしょうか。
五智如来堂に相対する浄光観音像。
浄光寺参拝を終えて北越谷駅に戻り、くるときに乗り換えた新越谷を過ぎて、一つ先の蒲生駅で降りました。
蒲生中央通り商店街を歩いて行きます。
蒲生駅東口から900メートルほどもつづく、非常に長い商店街です。
日曜日だというのにまったく人出が見られず、閉めている店も多いのは新型コロナウイルスのせいか、と思ったのですが、あとで調べてみると、もともと寂れてしまっている商店街のようでした。
蒲生駅から二十分近く歩いて、報土院に着きました。浄土宗のお寺です。
本尊は阿弥陀如来。
ここも創建は不明のようで、「新編武蔵風土記稿」によれば、中興開山は聞秀善教という僧侶。示寂したのはいまから四百三十八年前の天正十年(1582年)十月十五日とあります。
真新しい薬師堂がありました。堂内に祀られている金色の薬師三尊ときらびやかな十二神将です。ガラス窓越しの撮影なので、少し曇ってしまいました。
本堂前に居並ぶ五百羅漢像。
帰りは武蔵野線の南越谷駅から。
今度も電車はガラガラ。ことに新松戸で乗り換えた常磐線で、私が乗った車両(9号車)の先客は二人だけ。私も含めて三人とも北小金で降りてしまったので、午後一時過ぎという時刻にもかかわらず、車内は無人となりました。
この日、至近距離(2メートル以内)で向き合った人はただ一人。擦れ違ったり、すぐ後ろを歩く形になった人は二人。向き合ったただ一人は北越谷のファミリーマートの女性店員でしたが、私は無言で緑茶を買っただけ。
さて、今月はどうやら無事に薬師詣でを済ませることができたみたいですが、来月になればコロナが下火になっている、という可能性はなさそうです。
今日の行程についで近いのは川口市の東光寺ですが、ここは今日よりほんの少し先まで武蔵野線を利用しなくてはならず、さらにバスに乗らなければならないので、あたう限り初めての薬師如来を訪ねたいと思ってはいるものの、情勢次第では人に会うこともなく、歩いて行ける、地元の慶林寺参拝だけにとどめなくてはならないかもしれません。
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