桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

食禄という星

2010年05月28日 05時53分48秒 | つぶやき

 よくわからぬままに書いています。
 確か九星学で「食禄」という星があるそうです。
「確か」というのは、それを聞かされたのはもう三十年近くも前のことで、あとで触れますが、聞いたときは悪い気はしなかったものの、所詮(と私は思います)占いのことですから、頭から信じることはせず、詳しく調べてみようという気にもならなかったので、九星学と言い切ってよいものかどうか、自信がないのです。
 胃潰瘍で入院するまで、四十年以上も自分の血液型を間違っていた私ですから、九星学ではないのに九星学だと思い込んでいるのかもしれません。現にウェブで調べてみましたが、食禄というのは人相学で用いる語のようで、いまのところは九星学と一致する記述には出会えていません。

 三十代なかばのころ、私は商業雑誌の編集責任者をしていて、ある人物を執拗に追いかけていました。
 その人の名は三浦和義……。いわずと知れたロス疑惑の人です。
 当時は再婚した夫人とロンドンにいましたが、ロスで殺された前夫人の前に二度結婚して離婚していたことを掴んだのです。前夫人と違って、その二人は死んではいませんでしたが……。つまりロンドンに同行していたのは四人目の妻。

 ほぼ同じころ、占いのページを設けようという案が出て、私は九星学(?)と姓名判断をしている先生と帝国ホテルで面談することになりました。
 先生は私の名刺を受け取るなり、「ほう」といって唇をすぼめました。私の姓名の総画数は二十三画。姓名判断では最も好ましいとされている画数の一つだからです。
 画数の佳い名前ということは人づてに聞いて知っていましたが、三十代なかばまで、それほど佳いことがあったわけでもないので、私自身は佳い運勢だとは信じてはいなかったのです。
 初対面の挨拶もそこそこに、次に生年月日を訊かれました。答えたときにくだんの「食禄」という星が私についていることを教えられました。
 私と同じ年、同じ月、同じ日に生まれた人には、この星がいっぱいついていて、死ぬまで食うのに困らないというのです。

 その先生が即座に答えることに、私は感心しきりでした。

 人の姓名は無数にあるといっても、使われる漢字は限られているのですから、専門家であれば、間髪を置かず画数を当てるのはそれほど不思議ではない。
 しかし、それぞれの年月日にどんな星がついているのか。仮に当時八十歳ぐらいまでの人が運勢判断を仰ぎにくるとしたら、三百六十五日×八十年を全部暗記しているのか。
 いま、生きている人だけでは済まず、赤ちゃんの名前をつけるときに姓名判断を重んじる人もいるから、未来永劫諳んじていなければならぬ。そういう並外れた暗記力をどのようにして身に着けたのか。

 三十年近く前の話ですから記憶は曖昧模糊としていますが、先生答えて曰く、「そんなもん、憶えられません。たまたまあなたと同じ日に生まれた人の運勢を最近見たからですよ」と。
 私と同年同月同日生まれの人―。
 それが三浦さんであったのです。

 その後、三浦さんは逮捕されて収監されました。
 先生、鼻を高くして曰く、
「ほらね、食禄がついているから、死ぬまで刑務所で面倒を見てもらえる。食うのに困らない」
「ほほう、なるほど」と私。
 食うのに困らないはずの三浦さんも何に困ったのか、自殺してしまいました。
 私の食禄の星も風前の灯火なのかもしれません。

 


 月曜日、またハローワークへ出かけました。月曜日は雨でした。
 手続きが終わったあと、近くにある松戸神社へ散策。ハローワークでの職捜しは例によって不首尾でありました。しかし、私の心はかなり恬淡としていました。仕事にありつけそうな気配はてんでないのに、雨の神社もなかなかいいものですな、と思う余裕のような気持ちがありました。
 翌火曜日は市役所へ行きました。

 そして昨日は矢切にある社会福祉協議会というところへ行きました。ここは松戸駅から少し距離があるので、バスを利用しなくてはなりません。
 所要を済ませたあと、帰りのバス停へ歩いていたら、背後でブーッと音がしてバスが追い抜いて行きました。市川駅と松戸駅を結ぶ路線で、結構便数はあるのですが、体調を崩したあともせっかちという病は治らないようです。次の待ち切れず、松戸駅まで歩くことにしました。

 途中、こんもりと樹の繁った丘が見えたので寄り道をしたら、浅間神社でした。祭神は木花咲耶姫と源義家公。



 見上げるほどの高さの石段です。百十七段ありましたが、上りも下りも数を数えながら、途中でオヤ? と思うこともあり、段数は自信を持って「百十七段で間違いない」とは言い切れません。が、わざわざ行って、もう一度挑戦しようと思うだけの体力気力がいまの私にはない。

 鬱蒼としたこの森は「極相林」といって千葉県の天然記念物に指定されています。
 森林は長い年月の中で、樹木の交替が行なわれ、最後にこれ以上は樹木の交替が行なわれないだろうという安定した状態になります。生態学ではそれを極相林と呼ぶのだそうです。
 雨雲が出たせいもあり、夕方を思わせるような暗さになりました。



 石段の途中に狛犬ならぬ狛猿がありました。一対ではなく向かって右だけ。多分以前は一対になっていたのでしょう。
 私は初めて見たような気がしますが、全国津々浦々にある浅間神社では狛猿はとくに珍しいものではないようです。

 この森は昼なお暗い樹々の多さがいい。真夏でも涼しそうです。偶然きたわりには結構気に入りました。社会福祉協議会はまた訪ねることもあるので、今度はもう少しゆっくり巡ってみようと思います。



 一度跨いだ常磐線をもう一度跨いで台地を上りかけると、戸定邸の案内が目に入りました。このあたりにあることは知っていましたが、まさにその道に出るとは思いませんでした。
 徳川慶喜の弟・徳川昭武の別邸跡ですから、会津贔屓の私には、会津を裏切った慶喜の係累は無縁のところと決めていましたが、こうして偶然出くわすことになったのも縁。頭から毛嫌いせず覗いてみるか、と思い直して坂を上りました。



 ところが、結構急で長い坂でした。
 先に浅間神社の石段を上ったツケも出たようです。入口に到ると、さらにスロープが見えたので、いくらなんでもコリャア敵わんと思いました。一度上がった雨がまたパラパラときたこともあり、少し先にあった門だけカメラに収めて退散と決めました。



 雨雲が去ったあとはすっかり夏の空です。
 真夏生まれの私にとっては血湧き肉躍る季節の到来のはずです。本来なら寿がなくてはならぬのに、病身のいまの我はただただ堪えるのみです。

↓この日歩いたところ。
http://chizuz.com/map/map69496.html


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