今月の薬師詣では習志野市から船橋市を歩きました。
最初に目指したのは京成津田沼駅です。武蔵野線で西船橋まで行き、船橋で京成線に乗り換えて、所要五十分弱で京成津田沼に着きました。
南口に出ます。
京成津田沼駅から歩いて十二分。今日最初の目的地である東福寺に着きました。真言宗豊山派の寺院です。山号は瑠璃光山、院号は医王院と、お薬師さんをお祀りするために、これ以上ないという山号院号です。
「習志野市史」によると、本尊の薬師如来は行基菩薩(668年-749年)が難病平癒のために彫刻したもので、どのような経緯があったのか、木曽義仲(1154年-84年)の守り本尊とされ、さらに数百年を経た天文元年(1532年)三月、この東福寺を訪れた一人の老僧が当時の東福寺住職だった円観上人に、以上のような経緯を話して置いていったものだということです。
境内には薬師仏の石像もありました。
習志野市内で参拝するのは東福寺だけで、京成津田沼の一つ東京寄りの谷津駅へ行き、ここから京成船橋まで電車に乗ります。
京成船橋駅から二十分以上歩いて薬王寺に辿り着きましたが、非情にも鉄門はピッチリと閉ざされていました。
門内に建てられた説明板です。本尊は薬師如来、開山は江戸時代初期ごろと記してあります。
閉ざされた鉄扉の様子から、折角やってきたのに参拝は叶わないのかとがっかりすると同時に、拍子抜けしてしまいました。いつもなら薬師詣でをするだけでなく、途中に寺があれば参拝したりしながら歩くのですが、この日は最初に詣でた東福寺とこの薬王寺以外、覗いてみようと考えていたところがなかったからです。
行くべきところはほかにないか、と思っても、プリントした地図を二枚持ってきただけですから、捜すわけにもいきません。考えられることといえば、船橋駅へ戻ってロフトを覗いてみるぐらいのことしかことしかありません。船橋は二十代前半の一時期下宿していたことがありますが、ほとんど瞬間的といっていいほどの短期間であったし、眠るためだけに帰ったようなところでしたから、繁華街を歩いた憶えもありません。すなわち何も知らないのに等しい土地です。
薬王寺に到る直前、左手に急な上り坂があり、この「←日枝神社参道入口」という標識を見ていたので、お宮さんには申し訳がないけれども、暇つぶし同然で訪ねてみることにしました。
坂は見た目以上の急坂でした。山でいうなら八合目あたりまで上ったところで振り返ってみました。坂の右側(画像では左)には薬王寺の境内があるのですが、すっかり諦めてしまっていたので、薬王寺に沿って歩いているとは考えてもみませんでした。
坂を上り切ると、右手に工事用の塀がつづいているのが見え、この堂宇の屋根が見えました。近づいて行くのに連れて、工事中ではあるが、入れないものと諦めた薬王寺の境内にお邪魔することができるのだとわかりました。
プレハブの仮本堂が建てられていました。
覗くと、奥に厨子が安置されているのが見えました。扉は閉ざされていて中を見ることはできませんでしたが、恐らく本尊の薬師如来だったのでしょう。
ここへくるまでに、いくつかの寺を巡ってきているか、もしくはこれからまだ行くつもりのところがあったりしたら、日枝神社を覗いてみようという気は起こさなかったでしょう。薬師如来の功徳だったのでしょうか。
夏見日枝神社です。これで今日の予定は終了ですが、地図を見ると、薬王寺の門前の少し先に長福寺というお寺があるのを見つけたので、行って、そこを最後にします。
日枝神社から十分。長福寺山門前に着きました。
長福寺本堂。
開創は平安時代の969年-84年ごろ。曹洞宗のお寺ですが、開創当時は天台宗でした。
ここでも歴住の墓所に参拝。
下調べせずに行ったので、気づかなかったのが残念ですが、境内には夏見城の遺構が遺されているということでした。
境内の真横に貼り出されていた大きな掲示。檀家と寺との間には係争があるような雰囲気でした。ことの次第はにわか仕込みの私にはわかりませんが、揉め事があるらしいのは我が宗派のお寺であるだけに残念です。
長福寺の少し先に夏見稲荷神社があったので、寄ってから帰ることにしました。
稲荷神社の狛犬。両方とも奇っ怪な表情をしていますが、右の阿像はとりわけ奇っ怪です。
これにてこの日の寺社巡りは終了。JR船橋駅目指して帰ります。
東葉高速鉄道の高架をくぐると、涼しげな木立が見えました。海老川に沿った径を歩きます。
緑陰、という言葉が浮かびました。両岸往復3キロにわたって五十種の桜五百本が植えられているそうです。
鷹匠橋とたもとに建てられた橋の説明板。
鷹匠橋から眺めた海老川です。我が庵近くを流れる富士川より川幅は狭いですが、水量は豊かです。
→この日歩いたところ(谷津→京成船橋は電車を利用)。
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