何日か前、テレビでお寺関係のドキュメンタリー番組を視ていたら、ナレーターが「十七日は参拝客が多い。なぜならば御本尊の観音様の縁日だから」などといっているので、自然に口がすぼんでしまいました。なぜかというと、観音様の縁日は十八日のはず。自分は何年も間違えていたの? とすぼめた口が曲がってしまったのでした。
引っ越しのとき、旧庵から持ってくることができたわずかばかりの荷物をひっくり返して歳時記を見てみると、確かに観音様の縁日は十八日で間違いがない。テレビで放映していたお寺は奈良県にあるので、もしかしたら関西流は違うのかもしれないと前後のページを繰ってみると、十七日も観音様の縁日となっています。ただし、観音様は観音様でも、千手観音の縁日でした。
引っ越す前は近くで観音様を祀っているお寺が東漸寺(浄土宗)と慶林寺(曹洞宗)と二つありましたが、いまは少し遠くなってしまいました。そこで近場で観音様をお祀りしているお寺はないか? と捜してみると、歩いて二十分ほどのところにある福昌寺がありました。
福昌寺に参拝するためには西から東へ常磐線を越さなければなりません。その常磐線のアンダーパスです。
自動車専用だと思っていたのですが、近隣の人から、歩行者も自転車も通れますよ、と教えられました。ただし、入口には危険なので、できれば通らずに迂回してほしい、という旨の注意書きが掲げられています。一車線しかないので、信号があって、車は交互に一方通行。確かにかたわらを車が勢いよく飛ばして行くので、少しヤバいという感じはありますが、入口から出口までは100メートルちょっと。二分ほど歩けば向こう側に出られます。迂回するとなると、距離は800メートルと伸びて、十分もかかるのです。
車道部分より少し高くして、狭い歩道があります。
抜け出ると、行手の左から正面にかけて小高い丘があり、目指す福性寺はその丘の上にあります。
観音詣でにきましたが、まずは本堂に参拝します。本尊はお釈迦様です。
創建は安土桃山時代の天正五年(1577年)、開基は北小金にある廣徳寺の第七世・峰山雄鯨大和尚です。かつて私が日参していた慶林寺は創建が永禄八年(1565年)、開基は廣徳寺の第六世・大岸舜達大和尚ですから、ひと回り違いの兄弟のようなものです。
本堂前にある子育地蔵。ここにも拝礼。
境内のアジサイ(紫陽花)はこれから、という感じです。
観音堂にお参りします。
扉が開いていたので、観音様を拝観することができましたが、じつはこれは御前立ちで、本来の観音様は後ろの扉が閉じられた厨子の中におわすのです。
通称黒観音と呼ばれて親しまれているそうで、行基菩薩(668年-749年)作だとか。御開帳は十二年に一度だけ。丑年ということですから、二年前に済んだばかりです。
観音堂前の達磨像。
最後に歴住の墓所にお参りして帰ることにします。
手すりがつけられた長い径……のように見えますが、急勾配の石段径なのです。福昌寺からの帰りに何度か降り口を見るだけで通り過ぎていましたが、どこに出るかわからないし、もしかしたら行き止まり(?)とも思ったので、下るのをためらっていたのです。
今日は行き止まりだったら戻ればいい、と肚をくくって降りてみたら、新松戸駅に出ることができました。昼なお暗く、蛍光灯が灯されていました。
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